第四十五話
正教会の神殿は、街の中心にありながら――明確に切り分けられていた。
石畳の色合いが変わる。空気の質が変わる。
境界をまたいだ瞬間、それまで肌に触れていた風が、すっと均される。
葡萄棚や麦畑で感じた、あのやわらかな揺らぎはここにはない。
整えられた流れ。乱れのない循環。
ミアは何も言わず、その変化を受け入れる。
隣を歩くユエリーだけが、ほんのわずかに視線を細めた。
――避けていた理由が、はっきりと分かる。
ここは風が在る場所ではない。
在らされている場所だ。
神殿は白い大理石で築かれていた。
建物は大きくない。それでも装飾は過剰なほどだった。柱には精緻な彫刻が施され、天へと伸びる曲線は誇示するように広がっている。
豪奢なバロック建築。
美しい。
だがその美しさは、どこか圧を持っている。
訪れる者に、無言で形を強いるような。
正面の大扉がゆっくりと開かれる。
中へ足を踏み入れた瞬間――風が、消えた。
正確には、消えたように感じる。
空気は動いているはずなのに、触れてこない。
音もまた、吸い込まれるように静かだ。
高い天井。色硝子から差し込む光が床に落ち、規則正しい色の帯を作っている。
そのすべてが、計算され尽くしている。
ミアはゆっくりと歩を進める。
ローブの裾が石床をかすめる音だけが、わずかに響いた。
司祭は振り返らずに言う。
「いかがですかな」
誇るでもなく、試すでもなく。
ただ、確認するように。
ミアは少しだけ視線を上げた。
天井へ。
光へ。
そして――感じない風へ。
「……静かですね」
短い感想。
否定も賞賛も含まない。
だがその言葉の選び方に、司祭の口元がわずかに緩む。
「ええ。ここではすべてが整えられておりますゆえ」
整えられている。
その言葉が、この場所の本質だった。
ユエリーは一歩、ミアの後ろに位置を取る。
無意識のうちに距離を詰めている。
この空間は、外とは違う。
剣でどうにかなる類のものではないと、本能が告げている。
ミアは立ち止まった。
中央の広間。
祭壇の前。
そこに立って、初めてはっきりと理解する。
ここでは、風は応えない。
応える必要がないように、すでにすべてが決められている。
ミアは何も言わない。
ただ、静かにその場に立つ。
風のない場所で。
風を知る者として。




