第四十一話
「うん、やっぱり名前はヴェントだ。そうだよな、母ちゃん」
男は照れくさそうに笑いながらも、その声には確かな決意があった。
「ええ、いいわね」
母親も穏やかに頷いた。眠るヴェントをそっと抱き上げ、その腕の中で、赤ん坊は静かな寝息を立てている。
ミアは、握られていた指をそっとほどいた。
眠りを妨げないように、ほんのわずかずつ。
最後に、柔らかな髪へと指先を落とす。
小さく、撫でる。
触れたところから、ぬくもりが返ってくる。
まだ何も知らない命。けれど、これから多くを受け取っていく存在。
「……精霊のご加護がありますように」
ミアは胸の内で祈った。
願いは形を持たない。
だが、届くべきところへは届く。
ミアはゆっくりと立ち上がる。
椅子を静かに戻し、音を立てないように一歩引いた。
父親が深く頭を下げる。母親も、それに続く。
ミアは小さく会釈を返すだけで、言葉は添えない。
この静けさを壊さないために。
ユエリーが扉を開ける。
きしむ音ひとつ立てず、外の空気がわずかに入り込む。
ミアは振り返らない。
そのまま一歩、外へ。
扉が静かに閉じられる。
家の中に残るのは、規則正しい寝息と、あたたかな余韻。
外に出ると、街の音が戻ってくる。
人の声、足音、遠くで回る風車の軋み。
けれど――
先ほどまでとは、ほんの少しだけ違っていた。
頬をかすめる風が、やわらかい。
整えられた流れの中に、わずかなゆらぎが混じっている。
ミアはローブの奥で目を細めた。
何も言わない。
ただ、その変化を受け取る。
そしてまた歩き出す。
小さな祈りは、もう蒔かれている。




