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星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第二章

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第四十話

赤ん坊はいい。何よりも無垢で、穢れのない存在。


ミアはそう思いながら、小さな寝台に近づいた。


「あら、昨日の歌い手さんね。顔を見に来てくれたの?」


母親が柔らかく微笑む。その声色には警戒も遠慮もなく、ただ素直な喜びが滲んでいた。


「はい。お邪魔します」


ローブの奥で軽く頭を下げる。


「可愛いですね」


自然にこぼれた言葉に、母親は目を細めた。


「うふふ、ありがとう」


寝台の上、小さな身体が規則正しく呼吸を繰り返している。まだ世界を知らない、ただ在るだけの命。


ミアはそっと手を伸ばし、その稚い指先に自分の指を近づけた。


きゅ、と。


握られる。


思いのほかしっかりとした力に、ミアの目元がわずかに緩む。


「あら、あなたが気に入ったのかしらね」


母親がくすりと笑う。

その空気に、父親――門兵の男が声を弾ませた。


「そうだ、お嬢ちゃん、記念に一曲歌ってくれねぇか?子守唄でもなんでもいい」


「あなた、いくらなんでも厚かましいわよ!」


すぐさま母親がたしなめる。

ミアは小さく首を振った。


「構いませんよ。静かなのにしますね」


そう言って、にこりと笑う。


ユエリーが壁際で静かに立つ中、ミアは椅子を借りて腰掛けた。


空いた手で竪琴を膝に載せ、そっと弦を撫でる。


ポロ……ポロロン。


軽く調律するだけで、音はすぐに整った。


この部屋には余計な音がない。だからこそ、小さな響きがよく通る。


ミアは一度だけ、赤ん坊を見る。


その手はまだ、自分の指を握ったままだ。


ふっと息を整え、音を落とした。


♪おやすみ ちいさなひと

♪あさのひかりは まぶたのむこう


やわらかな旋律が、部屋の空気に溶けていく。


♪まどべをわたる やさしいかぜ


音は広がらず、ただこの空間に満ちる。

外の整えられた風とは違う、閉じた優しさ。


♪きみのねいきを そっときいてる


窓辺のカーテンが、ほんのわずかに揺れた。

意識しなければ気づかないほどの変化。


♪にぎったゆびの ぬくもりを


母親が息をひそめる。

父親もまた、動かない。


♪ゆめのなかまで つれてゆこう


赤ん坊の指先の力が、少しだけ緩む。


♪まだしらない みちのうえも

♪かぜはそっと ふいている


呼吸が、歌に合わせるように整っていく。


見えないところで、何かが寄り添う気配。

だがそれは主張しない。

ただ、在るだけ。


♪ねむれ ねむれ あたたかく


風は命じられていない。

ただ、この音に触れている。


母親の肩から力が抜けた。


♪かあさんのこえが そばにある


その目に、うっすらと涙が滲む。


♪とうさんのわらいごえも


時間の流れが、ゆるやかになる。


♪やわらかなゆめに まざってく


赤ん坊は、すでに深い眠りへと落ちていた。


♪ちいさなてのひら ほどけたら


握っていた指は、そのまま。

だがもう力はない。

安心しきった、やわらかな重みだけが残る。


♪このいえじゅうに ひかりがさす


父親が、静かに帽子を外した。

無意識の所作だった。


♪めざめるときも ここにいる


音は、ゆっくりと収束していく。


♪おやすみ ちいさなひと


ポロン――

最後の一音が落ちる。

それで終わりだった。


しばらく、誰も動かない。

壊すのが惜しいほどの静けさが、そこにあった。


やがて母親が、小さく息を吐く。


「……すごいわ」


囁くような声。


ミアは竪琴を膝に置き、何事もなかったかのように微笑んだ。


そのとき。

窓辺のカーテンが、先ほどよりも確かに揺れた。

整えられた流れではない。


ほんのわずかな、自由な風。

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