第三十九話
広場に差し掛かると、昨日の余韻がまだそこに残っていた。
石畳の上を駆け回る子供たちが、あの旋律を口ずさんでいる。言葉はところどころ曖昧で、音も外れている。けれど、それでいい。
♪ル、ルル、ルルルル
拙い合唱に合わせて、ふわりと風が抜けた。
強くはない。だが確かに、応えている。
ミアは足を止めず、そのまま歩みを進めた。
「よう、お嬢ちゃん、昨日は凄かったなあ!」
気安い声に顔を向けると、門の前で見た男が手を振っていた。鎧は外し、軽装になっている。
「あら、おはようございます。今日は非番ですか?」
「いや〜昨日カミさんがあれから産気づいちゃってな、今朝方生まれたとこなんだ、てわけで今日は非番だ!」
豪快に笑うその顔は、昨日よりもいっそう緩んでいる。
ミアの胸の内で、何かがやわらかくほどけた。
「赤ちゃん……おめでとうございます!」
「おうよ、ありがとうな!超安産、母子ともに健康だってよ!昨日の歌のおかげかもな、ガハハ」
冗談めかした言い方。
けれどその言葉に、嘘は混じっていない。
人は理由を求める。安心するために、意味を結びつける。
それは信仰の、いちばん素朴な形だ。
ミアは小さく頷いた。
「それは良かった」
男は腕を組んで少し考えるような仕草をしてから、にやりと笑う。
「男の子だからヴェントって名づけんのは安直かね〜?」
ミアは一瞬だけ目を細めた。
風の名。
呼ばれれば、応えるかもしれない名。
「……いい名前だと思いますよ」
強くも弱くもない、ただ自然な調子でそう返す。
名は縛るものではない。けれど、繋ぐものにはなる。
男は満足そうに頷いた。
「そうだ、お嬢ちゃん、暇なら顔見て行ってくんねえか?」
気軽な誘い。
だがその奥には、昨日から続く縁がある。
ミアは一度だけユエリーを見上げた。
問いではない。
確認でもない。
ただ、隣にいるという事実をなぞるように。
そしてすぐに男へ向き直る。
「良いのですか?赤ちゃんとお母さんが休めているなら行きたいです」
答えは軽やかだった。
門兵の家へと向かう道すがら、子供たちの歌が背後で続いている。
旋律は揺れ、形を変えながら、それでも消えない。
ふと、また風が通り抜けた。
先ほどより、ほんの少しだけやわらかい。
ミアは何も言わない。
ただ歩く。
大きな広場から離れ、細い路地へと入っていく。
整えられた風の届きにくい場所。
人の生活の匂いが濃く残る場所。
そこでなら――
もっと、はっきりと応えるはずだから。




