第三十八話
「実に有意義な時間だったよ。行って来るといい」
食後の静けさの中、アルヴェリオは穏やかにそう言った。
声音は変わらない。柔らかく、余計な圧を持たない。
それでいて――どこか一歩引いた位置から、こちらを見ているようでもあった。
ミアはローブの奥でわずかに目を伏せる。
「ありがとうございます」
それ以上は何も言わない。
ぺこりと小さく頭を下げ、そのまま椅子から立ち上がった。
隣でユエリーも無言のまま続く。
食堂の床を踏む足音は静かで、余計な響きを残さない。
背後からの視線は感じる。
だが振り返らない。
見せるものは、もう見せた。
あとは――相手がどう動くかだ。
扉へと向かう途中、窓から差し込む光がローブの端を白く照らす。
外は晴れている。
空は高く、雲は薄い。
風車も変わらず回っている。
それなのに。
やはりどこか、足りない。
風が“そこにあるだけ”で、触れてこない。
ミアは足を止めず、そのまま食堂を出た。
扉が静かに閉じる。
食堂を出た瞬間、空気がわずかに変わる。
広い廊下。高い天井。
風の通り道として設計されたはずの空間は、整いすぎていて、どこか息苦しい。
ユエリーが隣に並ぶ。
言葉はない。
ただ一度、視線だけが落ちてきた。
問いではない。
確認だ。
ミアは小さく息を吐く。
「……やっぱり、変だね」
独り言のように呟く。
返事はない。
けれどユエリーの気配が、わずかに鋭くなる。
外へ続く回廊の先、開かれた中庭が見える。
本来なら風が抜けて、草木が揺れるはずの場所。
だがそこにあるのは、整えられた景色だけ。
乱れのない葉。揺れない水面。
美しい。
けれど、どこまでも“作られた静けさ”。
ミアは歩みを進める。
今日も歌う。
ただし、同じ場所ではない。
同じやり方でもない。
この街に足りないものを、もう分かっているから。
ローブの奥で、ほんのわずかに口元が緩む。
気づかれない程度に。
風は、止まってはいない。
けれど、なぜこんなに窮屈なのだろう。




