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星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第一章

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第十七話

転移の光が静かにほどけたとき、そこにあったのは、驚くほど静かな空間だった。

森のざわめきも、境界の揺らぎもない。世界の継ぎ目から切り離されたような、穏やかな“内側”。


老師の庵は、こぢんまりとしていた。


だが、その小ささは貧しさではない。むしろ、必要なものだけを選び抜いた結果としての簡潔さ。石造りの壁は白に近い淡い灰色で、触れればひんやりとしていそうな質感を持ちながら、どこか柔らかな印象を与える。継ぎ目は滑らかで、無骨さはない。ひとつひとつが丁寧に積まれ、長い時間をかけて整えられたことがわかる。


中に入ると、ぱちぱちと小さく火が爆ぜる音がした。

暖炉だった。


春先とはいえ、外気はまだ冷たい。石の建物の内側に溜まったわずかな冷えを、ゆっくりと溶かしていくような火の温もりが、部屋全体に広がっている。

炎は大きくない。だが、十分だった。

光は柔らかく、影は深すぎない。

そこにいる者の輪郭を、穏やかに浮かび上がらせる。

ニチカは、わずかに目を細めた。


(……いいな)


無意識に、そう思う。

彼が普段いる場所は、もっと広く、もっと華美だ。

宮殿のような建物。高い天井。磨き上げられた床。人の気配は常に多く、音は絶えない。使用人、護衛、商人、客人――様々な思惑が交錯し、空気は常に“動いている”。


だがここは違う。

静かだ。

必要以上のものがない。

そして何より――

居心地がいい。

それは、ニチカにとって少しだけ新鮮な感覚だった。


後ろから、ゆっくりと足音が入ってくる。

シレンだった。

先ほどまでの崩れた様子は、すでに整えられている。涙の跡も消え、姿勢も戻っている。いつもの、隙のない商会長の顔。

だが――

完全ではない。

目の奥に、まだ残っている。

長い時間を越えた再会の余韻が。そしてそれを、ニチカは見逃さない。

(……珍しいな)

心の中で呟く。あの男が、ここまで感情を表に出すのは。


草薙シレン。

ダークエルフである彼は、かつて多くの忌避と敵意の中で生きてきた。

“邪悪なる者”。

そう呼ばれる種族。だが、彼はそれを力で覆した。商会を立ち上げ、築き、広げた。

金を動かし、情報を掌握し、人を束ねる。

やがてその規模は、国家すら無視できないほどに膨れ上がる。

いまや――表立って敵対する者はいない。いたとしても、結果は見えている。

経済的に干上がるか、情報で潰されるか、あるいは物理的に消されるか。

どの道を選んでも、行き着く先は同じ。

抹殺。

財力とは、時に暴力になる。

それを最も正確に理解し、使いこなしている男。

それがシレンだった。


そして同時に――彼は、巨大な“家”の頂点でもある。

妻は五十人。

子や孫を含めれば、その数は百を優に超える。

血縁だけで構成された、一つの“群れ”。ニチカもまた、その中のひとりだった。数多いる孫の中の一人。

だが――ただの一人ではない。抜きん出た存在。

それでもなお、“家族”であることに変わりはない。


だからこそ。今の状況は、異常だった。同じ空間にいる。

それだけならまだいい。だが――同じテーブルに、着こうとしている。


「ほら、座って座って」


ミアが軽やかに言う。すでに席を用意している。

いつの間にか、簡素だが整った食卓が整えられていた。木のテーブルに、人数分の椅子。素朴だが温かみのある器。


ナギは慣れた様子で腰を下ろす。

老師も、静かに席に着く。

ミアは当然のように、その間に入る。


そして――空いている席を、ぱんぱんと叩く。

「ニチカ、ここ」

無邪気な声。迷いがない。

ニチカは、ほんの一瞬だけ足を止めた。

(……同じ席、か)

祖父と。商会長と。同じ卓を囲む。

それがどれほど“特別”なことか、彼はよく知っている。これまで、そんな機会はほとんどなかった。必要がなかったからだ。


立場が違う。役割が違う。

距離は常に保たれていた。


だが今は違う。

理由は、ひとつ。


ミアが、そこにいるからだ。


ニチカは、静かに椅子を引いた。音を立てない。自然な動作で腰を下ろす。視線を上げると、向かいにシレンがいる。

一瞬だけ、目が合う。

その視線には、いつもの冷静さがある。


だが同時に――ほんのわずかな“認識”が混じる。

数ある孫としてではない。


ひとつの“個”として見られている感覚。


ニチカは、それを正面から受け止める。逸らさない。そして、ほんのわずかに口元を緩める。シレンもまた、何も言わない。

だが、その沈黙がすべてを物語っていた。


ミアが、ぱんと手を叩く。

「いただきます、でいいんだよね?」

確認のようでいて、すでに始める気満々の声音。

ナギが苦笑する。

「合ってるよ」

老師は静かに頷く。

シレンも、わずかに目を伏せる。

そして――

「……いただきます」

ニチカは、初めてその言葉を、こんな形で口にした。


暖炉の火が、ぱちりと弾ける。その音が、やけに心地よく響いた。

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