第十六話
森の光は、いつの間にか少しだけ傾いていた。
葉の隙間から落ちる光が、柔らかく色を変え、地面に散った花々を淡く照らしている。さっきまで無邪気に編まれていた小さな花の輪が、いくつも足元に転がっていた。
ミアはその中のひとつを拾い上げて、くるりと指先で回す。
ナギはまだ頭に乗せられたそれを外すかどうか迷っているようで、結局そのままにしていた。文句は言うが、完全に拒むことはしない。その様子が、どこか可笑しい。
ニチカは、その光景を少し離れたところから見ていた。
こんな時間を、自分が“いい”と思う日が来るとは考えたこともなかった。計算も、価値の測定もない。ただ、そこにあるやり取りを眺めているだけの時間。
だが――(悪くない)
そう思っている。
それどころか、どこか胸の奥が軽く熱を持っている。
ミアがふと顔を上げ、ニチカの方を見る。
その視線を受けた瞬間、彼の中で何かがすっと整う。
衝動ではない。迷いでもない。
ただ、“やるべきこと”として理解する。
ニチカは一歩踏み出した。
地面に散っていた花を、いくつか拾い上げる。種類も大きさも違うそれらを、指先で素早く選別する。どれが折れやすく、どれが強度を持つか。どの配置が最も形を保つか。
考えるまでもない。
手が勝手に動く。
編む。
絡める。
重ねる。
わずかな時間で、形が整う。
それは先ほどミアが作っていたものよりも、ほんの少しだけ“完成度”が高かった。美しさを強調する配置。崩れにくい構造。意図的に計算された、ささやかな技巧。
ニチカはそれを持って、ミアの前に立つ。
そして、わずかに腰を折った。
仕草は自然だった。
教えられた礼儀ではない。身体に染みついた“差し出し方”。
「お姫様、冠はあなたの頭にこそ似合います」
軽く、だが確かに響く声音。
ふざけているようでいて、どこか本気が混じる。
ミアは一瞬きょとんとする。
その隙に、ニチカはそっと花冠を乗せた。
真珠色の髪の上に、色とりどりの花が重なる。
白と、淡い色彩。
それはまるで、最初からそうあるべき形だったかのように馴染んだ。
ニチカは、ほんの一瞬だけ見つめる。
(……ああ)
納得する。これでいい、と。そのときほど、自分の手先の器用さをありがたいと思ったことはなかった。
目利きであることも、配置を見極める感覚も。
すべてが、この瞬間のためにあるかのように思えた。
そして同時に、ふと可笑しくなる。
(まさか、こんなことで使うとはな)
傭兵としても、諜報としても、幾度となく発揮してきた能力。
それが今、ただの“ままごと”に使われている。
だが――
(いいな、これ)
胸の奥が、わずかに弾む。こんな感覚は初めてだった。
ミアは、少しだけ頬を緩めた。照れたように、はにかむ。
その表情は、さっきまでの無邪気さとも違う、ほんの少しだけ年相応のもの。
「……ありがとう」
素直に礼を言う。
その一言が、妙に重く響く。ニチカは軽く肩をすくめる。
「どういたしまして」
それだけ返す。
だが、その内側ではまだ余韻が残っている。
ミアは、そのままくるりと振り返った。
遠くでまだ老師と話しているシレンへ、ちらりと視線を向ける。
涙の跡は消えていない。
それでも立ち上がり、なんとか言葉を続けている。
その様子を見て、ミアはくすっと笑った。
「お礼に、ご飯を食べていかない?」
唐突な提案。
だが、自然な流れでもある。
そして、少しだけ悪戯っぽく続ける。
「シレンも、その顔で商会には戻れないでしょう?」
ナギが吹き出しかけて、慌てて咳払いをする。
ニチカは一瞬だけ目を細めた。
(確かに)
あの状態で戻れば、ただ事では済まない。
だがそれ以上に――この流れが、面白い。
ミアはにこにこと笑いながら、片手を軽く上げた。
指先が空間に触れる。
そこに、円が描かれる。光が集まり、線が繋がる。
複雑でありながら無駄のない構造。
一瞬で展開されるそれは、明らかに“子どもの遊び”の範疇を超えている。
転移魔法陣。
淡く輝きながら、地面に定着する。
風もないのに、空気が揺れる。
どこか別の場所と、ここが繋がる感覚。
ミアは振り返る。
花冠を乗せたまま、にこやかに。
「行こう?」
あまりにも軽く言う。
まるで近所へ遊びに行くかのように。ナギはため息をつきながらも、止めない。ニチカは、その光景を見て――小さく笑った。
(ほんとに)
胸の奥で、確かに思う。
(退屈しないな)
そして、迷いなく一歩踏み出した。
白き魔女の作った光の中へ。




