表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星眼の魔女 第二部  作者: しろ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/39

第十五話

森の奥、光の届きにくい場所に、ふたりは立っていた。

木々の影が幾重にも重なり、そこだけ時間の流れが緩やかになったような空間。風は吹いているはずなのに、枝葉はほとんど揺れない。音が吸い込まれていくような、静けさ。

その中心に、“老師”と呼ばれる老人はいた。

灰色の衣。無駄のない佇まい。特別に威圧するわけでもないのに、そこにいるだけで周囲の輪郭が引き締まる。存在が空間を定義してしまうような、そんな種類の重さを持っている。


シレンは、その前に立っていた。

いや――正確には、立っていられなかった。

「……あなたが……」

声が震える。抑えようとしても抑えきれない。

「あなたが、ここに……」

言葉が途切れる。

商会長としての顔は、そこにはない。

ただのひとりの人間が、目の前の存在に向き合っている。

老師は、静かに彼を見ていた。

表情はほとんど動かない。だが、その視線は冷たくはない。むしろ、長い時間を知っている者だけが持つ、穏やかな深さがあった。

「久しいな、シレン」

低く、落ち着いた声。

それだけで、シレンの身体が崩れた。

距離を詰める。

そして、ためらいもなく――しがみついた。

「……っ……」

言葉にならない声が漏れる。

肩に顔を押し付けるようにして、ただ必死に掴む。

その姿は、商会長ではなかった。

長い時間を耐え抜いてきた者が、ようやく帰る場所に辿り着いたときの、それだった。

「……生きて……」

息を詰まらせながら、言葉を探す。

「生きて、おられたのですね……」

涙が落ちる。

抑えようともしない。

誇りも、立場も、その瞬間には意味を持たなかった。

老師は、わずかに肩を揺らしたが、拒むことはしなかった。

ただ静かに、そのまま受け止める。

「簡単には、死なんさ」

短く言う。

それは事実の確認のようなものだった。

だが、その言葉の裏にあるものを、シレンは理解している。

だからこそ、余計に涙が止まらない。

「……ずっと……」

掠れた声。

「ずっと、お待ちしておりました……」

老師は、それに答えない。ただ、ほんのわずかに目を細める。

それだけで十分だった。長い沈黙が流れる。

だがそれは、気まずさではない。

積み重なった時間が、ようやく繋がった静けさだった。


一方で、少し離れた場所では、まったく別の時間が流れていた。


ミアは、地面に座り込んでいた。

周囲に咲いていた小さな花を摘み、ひとつひとつ丁寧に編んでいく。指先は器用で、迷いがない。慣れているのか、それとも感覚でやっているのか、形はすぐに整っていく。

「できた」

小さく呟いて、立ち上がる。

最初に狙われたのは、ナギだった。

「ほら」

ぽす、と。

何の前触れもなく、頭に乗せる。

ナギは一瞬固まる。

「……は?」

手を伸ばしかけるが、ミアはすでに一歩引いている。

「似合ってるよ」

くすくすと笑う。ナギの眉間に皺が寄る。

「似合うかこんなもん!」

反射的に言い返すが、完全に取り払うことはしない。

そのまま、少しだけ視線を逸らす。

ミアは満足げに頷く。

「うん、いい感じ」

そして、次の標的に視線を移す。

ニチカだった。

「ニチカも」

言うが早いか、距離を詰める。


ニチカは避けない。避ける理由がない。ただ、何が来るのかは理解している。花冠が、そっと頭に乗せられる。銀の長髪に、色とりどりの小さな花が混じる。その光景は、妙に整っていた。

整いすぎているがゆえに、逆に違和感がない。

ミアは少し下がって、それを眺める。

「うん、やっぱり似合う」

素直な評価。

ニチカは、わずかに目を瞬かせる。

(……まあ、悪くないか)

そんなことを思っている自分に、少しだけ驚く。普通なら外す。意味のない装飾だ。だが、今はそのままでいいと思った。ナギが横からぼそりと言う。

「……外せよ」

「なんで?」

即答だった。

「いや、普通外すだろ」

「別に困ってないし」

軽く肩をすくめる。

ナギは呆れたように息を吐く。

「お前らほんと……」

言いかけて、やめる。

何を言っても無駄だとわかっている顔。

ミアは、ふたりを交互に見て、満足そうに笑う。

「いいね、仲良し」

その言葉に、ナギが即座に反応する。

「仲良くねぇ!」

ニチカは、少しだけ笑った。

否定はしない。肯定もしない。

ただ、そのやり取りを受け入れている。



遠くで、シレンの声がまだ続いている。

抑えきれない感情が、途切れ途切れに溢れている。

老師はそれを受け止めながら、静かに言葉を返している。長い長い時間を埋めるような、ゆっくりとした対話。

その重さと、こちらの軽やかさ。

まるで別の世界の出来事のように、同時に存在している。

ニチカは、その両方を見ていた。

 

過去に膝を折る商会長と、未来を無邪気に編む少女。


その間に立っている自分。頭には花冠。

場違いなはずのそれが、なぜかしっくりとくる。

(……ほんとに)

心の中で、静かに思う。

(とんでもないところに来たな)

 

だが、その感覚は嫌ではない。むしろ――少しだけ、笑いたくなる。ミアがまた花を摘み始める。ナギがそれを見てため息をつく。


遠くで、シレンの声が揺れる。


そして老師は、ただそこにいる。すべてが同時に存在しているこの時間が、妙に確かなものとして、そこにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ