第二十七話
貴賓室に通された空気は、広場のそれとはまるで別物だった。
扉が閉まる音が、やけに遠く感じられる。外の喧騒も、風のざわめきも、厚い壁に遮られてわずかな残響としてしか届かない。ここは切り離された空間――意図的に対話のために整えられた場所だと、肌で分かる。
長い卓の上には、すでに料理が並んでいる。
温度も香りも、すべてが最適な状態で待っている。
人をもてなすためというよりも、場を成立させるために整えられた配置。
ミアはその全体を一瞥し、すぐに視線を落とした。
見過ぎない。悟らせない。
領主は、ゆるやかな所作で席へと歩み、自然な流れで上座に着く。その動きには一切の無駄がなく、誰が主であるかを改めて示す必要すらない。
「どうぞ。私の名はアルヴェリオといいます。若輩ながらこの街の領主です」
穏やかな声。
それだけで、座るべき場所は明確になる。
ミアは一拍だけ間を置き、
「私はミアです。こちらは護衛のユエリー」
と自己紹介し、静かに席へと着いた。
ユエリーもまた、その隣に座る。
背筋は伸び、視線は低く抑えられているが、緊張は一切緩んでいない。
食事が始まる。
銀器が触れるかすかな音。皿が運ばれる規則正しい気配。
会話はすぐには始まらない。
まずは間。
相手の呼吸を測る時間。
やがて、アルヴェリオが口を開いた。
「風は、よく応えていました」
先程と同じ言葉。
だが今度は、確認ではなく前提として置かれる。
ミアは顔を上げない。
「この街の風が、豊かだからです」
同じ返し。
だが、意味は違う。
踏み込ませないための線。
アルヴェリオは小さく笑った。
「謙遜が過ぎる」
否定。
そして間を置かず、続ける。
「精霊が応じるというのは、そう簡単なことではない」
言い切る。
知っている者の言葉。
ミアの指先が、ほんのわずかに止まる。
だがすぐに動き出す。
「……詳しいのですね」
探るようでいて、問いではない言い方。
アルヴェリオは杯を軽く傾けた。
「この街で生きる以上、無関心ではいられない」
事実だけを置く。
そして、視線がわずかに動く。
レースの奥。
見えないはずの中身を測るように。
「君は、どこでそれを学んだ?」
核心に近い。
だが、まだ踏み込みすぎない位置。
ミアはゆっくりとナイフを置いた。
音を立てないように。
「旅の途中で、いろいろと」
曖昧に濁す。
アルヴェリオはそれ以上追わない。
代わりに、少しだけ話題をずらす。
「この街を、どう見る?」
問いが変わる。
試されているのは、知識ではなく視点。
ミアはわずかに考えた。
そして、答える。
「お行儀のよい風の吹く街、だと思います」
短い。
だが十分。
アルヴェリオの目が、ほんのわずかに細められる。
「……面白い表現だ」
評価とも、興味とも取れる声音。
沈黙が落ちる。
だが、それは重くはない。
次の言葉を待つための、意図的な空白。
その時、
「主」
ユエリーが、低く一言だけ発した。
視線は動かさないまま。
だがその声には、わずかな警戒が滲んでいる。
ミアはそれを受けて、ほんの一瞬だけ呼吸を整えた。
そして、顔を上げる。
レースの奥から、まっすぐに。
「領主さまは――精霊を、どうお考えですか?」
今度は、こちらから。
場に落とす。
ただの会話ではない。
思想の端を、探る問い。
アルヴェリオは、即答しなかった。
杯を置き、指先を軽く組む。
そして、ゆっくりと口を開く。
「共にあるものだ」
簡潔だが、その一言に迷いはない。
「支配するものでも、従うものでもない」
静かな断定。
ミアの胸の奥で、何かが小さく鳴る。
同時に――この男は、簡単ではないと理解する。
アルヴェリオは続けた。
「だからこそ、均衡が崩れることを恐れる者もいる」
視線が、わずかに深くなる。
「君のような存在は、特にね」
空気が、わずかに張る。
名指しではない。
だが、明確に指している。
ミアは沈黙した。
否定もしない。
肯定もしない。
そのまま、ただ受け止める。
――この場は、もう十分だ。
そう判断するまでに、時間はかからなかった。




