第十四話
薪ストーブの上で、小さな鍋がことことと音を立てていた。
火は強すぎず弱すぎず、ゆっくりと食材の旨味を引き出していく。立ちのぼる湯気に、香りがほのかに混じり、閉じられた空間の中に穏やかな温度を満たしていた。
ミアはその様子を確かめながら、もう一方の手で頁をめくる。
――時の聖典。
視線を落とすたびに、文字が浮かび上がり、この世界の今が静かに流れ込んでくる。誰かがどこかで動き、何かが起きている。その断片を拾い集め、頭の中で組み立てていく。
やがて、ぼんやりとしていた輪郭が、少しずつ形を持ちはじめた。
「……この先に、小さな街があるみたい」
顔を上げる。
「まずはそこに行って、通貨を得よう」
生活基盤を整える。それが最優先だ。
情報だけでは生きていけない。この世界で存在するためには、相応の形が必要になる。
「私たちの身分だけど――」
言いながら、首元に手を伸ばす。
取り出したのは、小さなペンダント。
交差する二本の剣を象った意匠。
「ニチカがくれた草薙の紋章が、保証してくれそうだよ」
軽く掲げるようにして見せる。
それはただの装飾品ではない。草薙商会の名を背負う証。
商人でありながら、戦場すら渡り歩くあの男の影響力を、この界でも通用するか確かめてみよう。
「まったく、ニチカ様様ね?」
くすりと笑う。
その声音には、感謝と呆れが程よく混ざっている。
だが――ユエリーは面白くなさそうだった。
表情は大きく変わらない。けれど、ほんのわずかに視線が逸れる。
火の揺らぎを見つめるようでいて、実際には別の何かを見ている。
ニチカの名が出るたびに生まれる、言葉にしない違和感。
それを否定することも、誤魔化すこともしない。ただ、そのまま受け止めている。
ミアはそんな様子に気づきながらも、あえて深く触れない。
代わりに、鍋の中を軽くかき混ぜた。
ぐつり、と音がする。
「ほら、もうすぐできるよ」
何気ない言葉。
けれど、それで十分だった。
外は風の吹く草原。内は温かな火と食事。
その境界に立ちながら、ミアは次の一歩を見据えていた。
まずは街へ。
そこから、すべてが始まる。




