第十一話
見渡す限りの草野原だった。
空はどこまでも高く、雲はゆるやかに流れている。足元では、名も知らぬ野花が風に揺れ、色とりどりの小さな命が波のように連なっていた。踏みしめるたびに草がさやりと音を立て、世界が静かに呼吸しているのが分かる。
その中心に、二人は降り立っていた。
「転移は成功したみたいね。ユエリー、転移酔いは無さそう?」
ミアは周囲を見渡しながら、振り返る。初めての二人だけでの転移。術式は完璧だったが、同行者への影響までは完全に測りきれない。
ユエリーは短く頷いた。
それだけで十分だと言わんばかりに、静かに歩み寄り、そのままミアのフードへと手を伸ばす。
白いローブの縁を軽く整える仕草。
顔を覆うレースがずれていないか、風でめくれていないかを確かめるように、ほんのわずかに指先で撫でる。その動きは自然で、何度も繰り返してきた習慣のようでもあった。
問題ない、という無言の返答。
ミアは小さく頷き返すと、再び視線を広げた。
「それにしても……だだっ広いなあー」
ぽつりと漏れる感想は、どこか楽しげだ。
遮るものが何もない。人の気配も、建物の影もない。
ただ風と草と空だけがある世界。
「ユエリー、水場がありそうなら探してくれる?」
軽く言いながらも、その中身はしっかりと現実的だった。
「暫くは時の聖典を読んで、この界の情報を知りたいの」
未知の土地。
まず必要なのは、生きるための基盤。
水の確保、地形の把握、通貨の流通、勢力図――老師から叩き込まれた知識が、頭の中で静かに整理されていく。
ユエリーは再び頷くと、周囲に視線を巡らせた。
風の流れ。草の揺れ方。遠くにわずかに沈む地形の起伏。
人の目では見落とすような微細な違いを拾い上げ、最も水の気配が濃い方向を選び取る。
そして、ミアが目に入る範囲での探索を開始した。
ミアはその背を確認すると、草の上に腰を下ろした。
柔らかな地面。風が頬を撫で、レース越しの光が淡く揺れる。
胸元から一冊の本を取り出す。
――時の聖典。
静かに頁を開くと、文字がゆらりと浮かび上がった。
この世界で、今、何が起きているのか。
それは、ミアがまだ知らないこの界のほんの少し前の真実。
息を整え、意識をそこへ沈めていく。
新しい旅が、ようやく始まった。




