第十話
「さて、それじゃ行きますか」
あまりにも軽やかに、ミアは笑った。
七年という歳月を経て辿り着いた出立の瞬間だというのに、その声音には肩の力が入っていない。けれど、その軽さは決して浅さではなく、積み重ねてきたものすべてを内側に収めたうえでの静かな覚悟だった。
ユエリーが何も言わず、その後ろに続く。
主の一歩に遅れないように、決して離れないように、それが彼にとっての在り方だった。
ミアは床に手をかざす。
描かれる魔法陣は一切の淀みがない。座標の固定、術式の展開、魔力の流し込み。その一連の動作が、呼吸のように自然に繋がっていく。かつて制御に苦しんでいたとは思えないほど、力は静かに、正確に収まっていた。
光が足元に広がる。
淡く、しかし確かな存在感を持って。
「行ってきます。みんな、元気で」
振り返ることなく、言葉だけを残す。
それで十分だった。
見送る側もまた、多くを語らない。
短く頷き、あるいは軽く手を上げるだけ。
引き止める言葉も、湿った別れもない。
帰ってくる場所があると知っているからこそ、送り出すことができる。
それだけの関係だった。
旅の目的は明確だ。
精霊の力を補強し、その存在を各地に根付かせること。必要とあらば、信仰という形にまで昇華させる。
天に対抗するための、静かで長い布石。
だがその一方で、ミアの胸の内を満たしているのは、もっと素直な感情だった。
未知への期待。
これからどんな景色を見て、どんな出会いがあり、どんな出来事が待っているのか。想像するだけで、心が弾むのを抑えきれない。
止まらない高鳴りを、そのまま抱きしめる。
それでいいと思えた。
隣に、ユエリーがいる。
差し出された手を、自然に取る。
繋いだ掌は、もう小さくはない。それでも確かに、自分よりも大きく、温かく、離れることを想定していない強さで握り返される。
光が一層強くなる。
足元の魔法陣が、ゆっくりと回転を始める。
次の瞬間――その姿は、静かに掻き消えた。




