第十三話
その問いは、ほとんど反射に近かった。
「それで、僕は何をすれば君たちの隣に並び立てるの?」
軽い口調に聞こえるよう整えられていたが、内側はまったく軽くない。商談に入るときと同じだ。
条件を引き出し、相手の基準を測り、自分がどこに立てばいいかを定めるための、最初の一手。ニチカにとって“並ぶ”とは、感情ではなく位置の問題だった。
どの地平に立つか。どの価値で繋がるか。その答えを、彼は正確に欲していた。
ミアは、ほんの一瞬だけ彼を見つめ、それから――ふっと、何かをほどくように白いフードへ手をかけた。
布が落ちる。
隠されていた真珠色の髪が、空気のないはずの場所でふわりと揺れた。細く、柔らかく、光を含んでいるのに眩しさはなく、ただ目を離せなくなる質の色。藍の奥に金を宿す瞳が、まっすぐにニチカを射抜く。
そして、ミアは笑った。
子どもらしい無邪気さと、何かを決めきっている者の強さが同時に宿る、あまりにも無防備な笑顔。
その瞬間、ニチカは思う。
(……ああ、綺麗だな)
評価ではない。比較でもない。ただ、そう思った。
それだけで、十分だった。
ミアはそのまま、あっけらかんと言う。
「それは簡単だよ。私達、友達になりましょう」
一瞬、言葉の意味が遅れて届く。
商談ではない。条件でもない。対価の話ですらない。
友達。
ニチカの中で組み上がっていたいくつもの前提が、そこで静かに崩れた。
だがミアは気にした様子もなく続ける。
「ニチカ、歳はいくつ?」
唐突で、なんの脈絡もない問い。
「私、まだまだ小さいから、老師が旅はまだ早いって言うの」
少しだけ口を尖らせる。
「退屈なの。遊び相手になってくれる?」
あまりにも軽い調子で、世界の構造ごとひっくり返すようなことを言う。
ナギが、その瞬間、弾かれたように声を上げた。
「お前、本気か!?」
一歩踏み出し、ミアの前に出る。
「こんな血なまぐさいやつ、俺は反対だ!」
隠す気もない敵意。あるいは、純粋な拒絶。
ニチカはそれを正面から受け止めながら、どこか冷静に観察している。
(“血なまぐさい”、か)
否定はできない。実際そうだからだ。
だがミアは、まったく意に介さない。
「でも、次期草薙商会長と友達になるなんて、面白そうじゃない」
あっさりと言い切る。
その言葉に、ナギの眉がぴくりと動く。
「ナギ、負けそうで怖いの?」
完全に火に油を注ぐ言い方だった。
「違うって!」
ナギは即座に否定する。
「どうしてお前はそうやって、面倒事に嬉々として乗っかろうとするんだ!」
言葉の端に、焦りが混じる。
怒っているのではない。守ろうとしている。それがはっきりわかる声。だがミアは、くすりと笑った。
「それは、面白そうだからに決まってるじゃん」
あまりにも当然のように言う。迷いがない。打算もない。ただ、それが理由として成立している。
ナギは言葉を失いかけるが、すぐに食い下がる。
「危ないことすんなって、俺は兄貴として言ってんだぞ!」
その声には、確かな必死さがあった。ミアは少しだけ目を細める。怒ってはいない。
困ってもいない。ただ――少しだけ、優しくなる。
「大丈夫だよ」
短く、それだけ言う。
だが、その一言には、ナギが否定できない“確信”が含まれている。
ナギは唇を噛み、言葉を飲み込む。それ以上は、言えない。言っても、止められないとわかっているからだ。
そのやり取りを、ニチカはずっと見ていた。
最初は冷静に。次に、少しだけ興味深く。そして、最後には――堪えきれなくなった。
「……っ、はは……」
小さく漏れる。それが、すぐに膨らむ。
「ははははっ……!」
とうとう、腹を抱えて笑い出した。場違いなくらい、楽しそうに。抑える気もない。ナギが怪訝そうに睨む。
「……何がそんなにおかしい」
ニチカは笑いながら、なんとか言葉を返す。
「いや……ごめん、ちょっと……予想外でさ……」
息を整えながら、まだ肩が揺れている。
「普通さ、もっとこう……条件とか、試練とか、そういう話になると思うじゃん。魔女との交渉って」
視線をミアに戻す。
その瞳は、先ほどまでよりもずっと柔らかい。
「まさか“友達になろう”ってくるとは思わなかった」
ミアは首を傾げる。
「だって、それが一番早いでしょ?」
本気で言っている。
その単純さが、ニチカにはたまらなく可笑しい。そして――どうしようもなく、納得できる。
「……ああ、うん」
小さく息を吐く。笑いはまだ残っている。
だがその奥で、何かが静かに定まる。
「いいよ」
あっさりと言う。
「遊び相手、引き受ける」
それは冗談のようでいて、完全な了承だった。条件も、対価も、この瞬間だけは横に置く。代わりに差し出すのは――もっと単純なもの。
「よろしく、ミア」
ほんの少しだけ、声音が変わる。
商人ではない。傭兵でもない。ただの少年としての声。
ミアはにっと笑う。
「うん、よろしくニチカ!」
そのやり取りを見て、ナギは深くため息をついた。
止められなかった。最初から、わかっていたことだが。それでも一応、最後に釘を刺す。
「……俺は認めたわけじゃないからな」
ニチカは軽く肩をすくめる。
「いいよ、別に」
あっさり返す。
「そのうち認めるでしょ」
ナギのこめかみに青筋が浮かぶ。
「認めねぇよ」
即答だった。ミアが笑う。
その中心で、世界の重さがほんの少しだけ軽くなる。
商人と魔女と、その兄。
本来なら交わるはずのない三つが、いま確かに同じ場所に立っている。
取引でもなく、契約でもなく。
ただの“友達”として。
――それがどれほど異質で、どれほど強固な結びつきになるのか。
このときの誰も、まだ言葉にはしていなかった。




