第百二十九話
老師の声は低く、怒気を孕んでいるわけではないのに逃げ場を塞ぐような重さを持っていた。
その言葉が書斎の空気に沈み込むたびに、ただの叱責ではなく“先を見通した問い”であることが分かる。
甘さを削ぎ落とした現実を突きつけるための声音だった。
「その身体で、その瞳で生きていくことが、どれほど過酷なのか……わからんのか?」
問いは、ミア自身の在り方そのものに向けられている。
星眼。
そしてその器に宿る膨大な力、それがどれだけの歪みを呼び、どれだけのものを引き寄せるのか、ミアは知っている。
知っているからこそ隠してきた、逃げてきたわけではなく、壊さないために選んできた道だった。
だが、その前提の上にさらに重ねられる。
「なれば……あの龍はどうする?」
一瞬だけ、空気が変わる。
名を出さずとも分かる。
ユエリー――月麗。
「お前の血塗られた旅路に、巻き込むのか?」
その言葉は鋭く、そして正確だった。
ミア一人の問題では終わらないことを、あえて逃げ道のない形で突きつけてくる。
彼は離れない、そういう存在だと全員が知っている、ならばその選択は“巻き込む”ことと同義になる。
ミアはすぐには答えなかった。
ほんのわずか、視線を落とす。
思い浮かぶのは、ついさきほどの感触だった。
強く抱きしめられた腕の力。
額を拭われたときの執着。
言葉にしきれない感情をそのまま行動にしたような不器用さ。
そして――
「……巻き込む、というより」
ゆっくりと顔を上げる。
逃げずに答えるために。
「離れてくれない、と思います」
それは願望ではなく、確信に近いものだった。
どれだけ危険を並べても、どれだけ遠ざけようとしても、あの龍はきっとついてくる。
主としてではなく、もっと別の理由で。
「だから」
言葉を続ける。
「巻き込まない、という選択は……たぶん、最初から無いです」
静かな断言だった。
諦めではない、理解だ。
そしてその上で、ほんの少しだけ声が柔らかくなる。
「でも」
ミアの指先が、無意識にわずかに動く。
あの腕の感触を思い出すように。
「無理やり連れていくつもりも、ありません」
強制ではない。
選ばせる。
けれど――
「一緒に来るって言うなら……止めません」
それが、自分の答えだった。
守るために遠ざけることもできる、けれどそれは相手の意思を否定することにもなる。
ユエリーという存在を考えれば、それはきっと“守る”にはならない。
だからこそ、選ぶのは相手であり、受け入れるのは自分。
その形しかないと、ミアは理解している。
書斎の空気が、また静かに沈む。
その答えが、どれほど重いものかを測るように。




