第百二十五話
庵に辿り着いたとき、ようやくミアはユエリーの腕の中から解放されたのだが、その瞬間に訪れるはずの安堵は思ったよりも小さく、代わりに残っていたのはずっと抱えられていたことによる体温の名残と、額に刻まれたまま消えない印の存在感で、外気に触れた肌が少しひんやりとするたびに、そこだけがわずかに熱を帯びているように感じられた。
解放されたはずなのに完全に自由になったわけではないという、そんな奇妙な感覚を抱えたままミアは一歩踏み出す。
本来ならば、戻ってきたあとは各々が好きに過ごす時間になるはずだった。
ナギは見張りに戻り、ニチカは仕入れや算段を考え、ユエリーは――おそらくまたミアの側を離れないだろうし、老師は酒でも飲みながら様子を眺める。
そんないつもの流れが自然と頭に浮かんでいたのに、その予想はあっさりと崩された。
「ミア、来い」
短い呼び声だったが、拒否を許さない響きがあった。
振り返ると老師が既に歩き出していて、その背中には普段の飄々とした気配が薄く、代わりにどこか張り詰めたものが漂っているのが分かる、軽口も冗談も挟む余地がない、そういう空気だった。
(……ああ)
ミアは内心で小さく息をつく、思い当たることがないわけではない、むしろ、ある。
それもかなり明確に、さきほど森の中で巡らせていた思考、宇宙樹のこと、精霊の循環、それをどう捉えるかという自分なりの結論。
その“方向”は、きっとこの人には見えてしまっているのだろうと、薄々分かっていた。
案内された先は、いつものリビングではなかった、暖炉の火と雑然とした空気が混ざるあの場所ではなく、扉一枚隔てた奥にある書斎、普段はあまり使われないその部屋は静かで、余計なものが少なく、だからこそ思考を逃がさない空間だった。
閉じられた瞬間に外の気配が遠のき、ここでは誤魔化しが効かないのだと直感的に理解させられる。
「報連相だ、ミア」
老師は振り返らずに言った、その言葉はどこか事務的で、それでいて核心を突いている。
軽く注意するような調子ではなく、確認でもなく、前提として“するべきこと”を示している響きだった。
「なにか思うことがあるなら、真っ先に儂に相談するべきだ」
そのまま続けられる言葉は低く、しかしはっきりとしている、怒鳴っているわけではないのに逃げ場がない、言外に含まれているのは叱責というよりも、責任の共有を求める圧であり、見過ごさないという意思表示だった。
ミアは少しだけ視線を落とす、責められているという感覚は不思議と強くはない。
むしろ、見抜かれていることへの納得の方が大きい。
あの短い時間の中で巡らせた思考を、言葉にしていない段階で拾い上げられている、その事実が、この人の立ち位置を改めて示しているようで、軽く扱えるものではないと再認識する。
(やっぱり、ばれてる)
苦笑に近い感覚が胸の奥で生まれるが、それを表に出すことはしない、ここで軽く流せる話ではないことも、もう分かっている。
だからこそ、この場所に連れてこられたのだと理解している。
書斎の空気は静かだった、外の生活音はほとんど届かず、聞こえるのはわずかな木の軋みと、自分たちの呼吸だけ、その中でミアはゆっくりと顔を上げる。
逃げることも、誤魔化すことも意味がない場所であるなら、最初からそれを選ぶ必要もない。
胸の奥に抱えていた思考が、言葉になる準備を始めていた。




