第百二十二話
迷いの森を抜ける、その途中だった。
ふと。
ミアは目を止める。
「……あれ」
違和感は、ごく小さなものだった。
けれど、見過ごせない。
視界の端に――“何か”がある。
振り返る。
そこに立つ三本杉。
先ほども通ったはずの、大きな古木。
けれど今は――違って見えた。
「……顔、ある」
思わず、ぽつりと呟く。
幹の節が、歪みが、まるで“表情”のように浮かび上がっている。
皺の深い、年老いた顔。
穏やかで、どこか愉快そうな。
今までは、ただの木にしか見えなかったものが、はっきりと“存在”としてそこにある。
そして――
「ほ、ほ、ほ」
声が、した。
乾いたような、柔らかな笑い声。
風に揺れる葉音とは明らかに違う。
意志を持った響き。
「……しゃべった」
ミアの目が、ぱちりと瞬く。
驚きはある。
だが、怖れはない。
むしろ――すとんと、腑に落ちる感覚。
「お嬢さん」
三本杉のひとつが、ゆっくりと“こちらを見る”。
幹がきしむように、わずかに傾く。
「王様の祝福を受けたからのう」
しわがれた声が、はっきりと届く。
「我々の姿が、はっきり見えるし」
葉がさらさらと鳴る。
それが言葉に重なる。
「喋れるようになったのさ」
まるで、当たり前のことを告げるように。
何でもないことのように。
ミアは少しだけ首を傾げて、その言葉を受け止める。
「……そっか」
納得する。
あまりにも自然に。
さっきまで見えなかったものが見える。
聞こえなかった声が聞こえる。
それが特別だとは思うのに、不思議と“おかしい”とは感じない。
額に、まだ残る微かな熱。
無意識に、そこへ指先が触れる。
赤い六花の印。
消えない、精霊王の証。
その影響が、こうして現れている。
「すごいね」
ミアは素直に言った。
「みんな、こんなふうに見えてたんだ」
三本杉が、ほ、ほ、とまた笑う。
「これで森も退屈せんじゃろう」
「おしゃべり相手が増えたわい」
別の一本も、ゆったりと枝を揺らす。
その様子に、ミアはくすっと笑った。
ユエリーの腕の中で、少しだけ体を預けながら。
ユエリーは何も言わない。
ただ、その会話を静かに聞いている。
だがその視線は一瞬だけ、ミアの額へと落ちた。
赤い印。
消せなかったもの。
そして――確かに変わってしまった“何か”。
ニチカが小さく息を吐く。
「……なるほどね」
低く呟く。
「祝福、ね」
その言葉に含まれる意味は、軽くない。
ナギは肩をすくめ、老師は静かに頷いた。
森の中を、また歩き出す。
けれどもう、さっきまでと同じ森ではない。
見えるものが増えた世界。
語りかけてくる世界。
そして何より――ミア自身が、少しだけ変わった世界。
その変化を抱えたまま、一行は迷いの森を抜けていった。




