第百十五話
差し出された手。
それはあまりにも自然で、あまりにも“疑う余地のないもの”だった。
拒む理由など――最初から、どこにもない。
ミアは一瞬も迷わず、その手を取る。
小さな掌が重なり、軽く握り返す。
触れた瞬間、わずかに温度を感じた。
冷たくも、熱くもない。
ただ“在る”という確かな感触。
――生きているものの、根源の温度。
セルジュの瞳が、ほんのわずかに見開かれる。
驚き。
それはごく微かなものだったが、確かにそこにあった。
「……」
言葉にならない感情が、一瞬だけ過る。
だがすぐに、それは笑みに溶けた。
「……君は、本当に」
小さく息を吐くように。けれど、その先は言葉にしない。
ただ、楽しげに目を細める。
四人いるはずの許嫁のひとり。
本来であれば、もっと警戒されてもおかしくない立場。距離を測られ、試され、拒まれることすらあるだろう関係。
それなのに――目の前の少女は、まるで昔から知っている相手にするように、何の躊躇もなく手を取った。
その事実が、セルジュには新鮮だった。
そして、少しだけ――嬉しかった。
「君と、ずっと話してみたかったんだ」
柔らかな声。それは嘘ではない。
長い時間をかけて、遠くから“見ていた”相手。
触れることのなかった存在。
それが今、目の前にいて、こうして手を繋いでいる。
「おいで?」
軽やかに。気負いもなく。
まるで散歩に誘うような気安さで、セルジュはミアの手を引く。
ミアは抵抗しない。
そのまま、歩き出す。
宇宙のような空間の中へ。
一歩踏み出すたび、足元に緑が生まれる。
草が芽吹き、花が咲き、小さな命が連なっていく。
まるで、道を“作っている”かのように。
「……すごい」
ミアが小さく呟く。
その声は、今度は消えなかった。
この場所では、“彼の隣にいる者の声”だけが、許されているかのように。
後ろでは、ユエリーが一歩踏み出しかけて――止まる。
ナギも、ニチカも、動かない。
いや、“動けない”。
見えない境界。拒絶ではない。だが、明確な区分。
ここから先は――“招かれた者だけ”の領域。老師が静かに息を吐く。
「……なるほどな」
小さく呟く。これは対話だ。
そして、選ばれた者にしか許されない時間。
ユエリーの視線が、ミアの背に注がれる。
強い。
だが、追わない。
主が自ら選んで進んだ先を、無理に奪うことはしない。
ただ――その背を見届ける。
ミアは振り返らない。
ただ、前へ。
セルジュに手を引かれながら、宇宙樹の中心へと歩いていく。
未知の中へ。
だが、不思議と恐れはなかった。
その手が、確かに“導いている”と、理解できていたから。




