第百十一話
森の奥で、ふいに空気が変わった。
見えない膜に触れたような、わずかな違和感。
次の一歩を踏み出した瞬間――それは確信へと変わる。
「……結界か」
ナギが低く呟く。視界には何もない。
だが確かに、“境界”がそこにあった。
内と外を分かつ、透明な線。
それを越えた先、木々の密度がふっと緩み、ぽっかりと開けた空間に――それは現れていた。
苔むした扉。
古く、静かで、長い年月を経た気配を纏っている。
蔦が絡み、半ば自然と一体化しているようなその佇まいは、まるで“そこにあることが当然”であるかのようだった。
「ここからが……」
ミアがそっと呟く。
白い猫耳フードの影から、静かに扉を見つめる。
「新しい、精霊の世界……なのね」
その声には、期待と、ほんの少しの緊張が混じっていた。
ユエリーは一歩前に出る。
だが、扉には触れない。
不用意に干渉すべきものではないと、本能で理解している。
その代わりに、周囲の気配を探る。
この場所を守る“何か”の存在を。
ニチカは息を潜めていた。
さすがにここでは軽口も出ない。
商人としての好奇心すら、一歩引いている。
価値がどうこうではない。
ここは、そういう場所ではないと直感していた。
老師は静かに腕を組み、ただ待つ。
知っている者の、余裕。そして、順序を乱さぬ者の態度。
――その時。
ふわり、と。
音もなく、白い影が降り立った。
白梟。
雪のような羽を持ち、静かな瞳でこちらを見つめている。
その眼差しは、ただの動物のものではない。
測るように、見定めるように、じっと、一行を順に見ていく。
ミアと、目が合う。
ほんの一瞬。
だが、その中に何かが交わされたような気がした。
やがて、白梟は静かに羽を広げる。
音もなく宙へと舞い上がり――森の奥へ、扉の向こう側へと飛び去っていった。
「……通達、か」
ナギが小さく言う。
「魔女の訪いを告げに行ったんだろうな」
老師が頷く。
「この先は、招かれねば入れぬ」
淡々とした説明。
つまり――今は“待つ時間”。
ミアは扉の前に立ったまま、そっと息を整えた。
胸の奥が、わずかに高鳴る。
怖くはない。けれど、軽くもない。
ここから先は――またひとつ、世界が変わる。
その予感だけが、静かに確かに、そこにあった。




