第百十話
三本杉のざわめきを背に、森の奥へと足を踏み入れる。
先ほどまでの“迷わせる圧”は嘘のように消え、道は自然と開けていた。
木々の間を抜ける風も、どこか柔らかい。
「……彼ら、トレントじゃないんだね」
ミアがくすりと笑う。
振り返る視線の先には、先ほどの三本杉。
「杉の精霊……」
その言葉には、納得と、ほんの少しの親しみが混じっていた。
敵意も、警戒もない。
ただ“そこにいる”存在。
それが、ミアには心地よかった。
「セルジュを護る森でもあるからな」
老師が口の端をわずかに上げる。
その声音には、どこか確信めいたものがあった。
ただの森ではない。
意思を持ち、選別し、守る場所。
精霊王へ至る者を――選ぶ森。
ユエリーは無言のまま、周囲に視線を巡らせている。
その眼差しは鋭く、だが敵意はない。
ただ、測っている。この森の“格”を。
そして――主が足を踏み入れるに値する場所かを。
「……なるほどな」
小さく呟く。それだけで十分だった。
一方で――
「……すごいな、これ」
ニチカは完全に“商人の顔”になっていた。
周囲を見渡すその目は、もはや別の意味で輝いている。
「見たことない素材ばっかりだ」
足元の苔。木の皮。
空気に混じる香りすらも、すべてを観察対象にしている。
「貴重な資源、みた限りでもかなりあるよ」
冷静な分析。
だが、その奥には明確な興奮がある。
未開の市場。
未発見の価値。
それらが目の前に広がっているのだから、当然だった。
ナギが呆れたように肩をすくめる。
「……お前、ほんとブレねえな」
「ブレたら商売にならないでしょ?」
即答。
迷いがない。
その様子に、ミアはまた小さく笑った。
けれど――その足取りは、どこか慎重だった。
森は静かだ。静かすぎるほどに。
鳥の声も少なく、風の音だけが通り抜ける。
それでも、不気味ではない。
むしろ――“見られている”ような感覚。
拒絶ではなく、観察。
試されているような、そんな気配。
ミアはそっとフードの端に触れる。
白い猫耳が、わずかに揺れた。
「……もうすぐ、かな」
誰にともなく呟く。
森の奥。
見えないはずの場所に、確かに“何か”がある。
ユエリーが一歩、前へ出る。
その背は自然とミアを庇う位置にあった。
ナギは無言で周囲を警戒し、
ニチカはなおも観察を続けている。
そして老師は――
何も言わずに歩く。迷いのない足取りで。
導かれるように、あるいは――迎えられるように。
森は、静かに彼らを奥へと通していった。




