第百五話
「……クソ重、拗らせ龍……」
ナギはぼそりと吐き捨てた。
声に出したのは、ほんのわずか。
けれどその内心には、はっきりとした警戒があった。
寝台の上。
ミアはすでに穏やかな寝息を立てている。
その小さな身体を、まるで手放すまいとするかのように抱きしめ続けるユエリー。
腕は緩まない。
むしろ、眠りに落ちた後のほうが、わずかに強くなっているようにすら見える。
(重いどころの話じゃねえだろ、これ)
ナギは眉をひそめる。
だが、動かない。
動けないのではない。
“まだ”動く必要がないと判断している。
灯りは落ちている。
庵の中は静寂に沈んでいる。
だが――ナギにとって、それは何の意味も持たない。
視界は昼と変わらず明瞭で、呼吸のリズムすら正確に捉えている。
オートマタに、闇は関係ない。
老師の言葉が、脳裏に蘇る。
――ユエリーがことを起こしそうになったら、全力で止めろ。
短く、だが重い命令。
それがどれほど現実的な懸念に基づいているかも、ナギは理解していた。
(あと一歩、ってとこか……)
視線の先。ユエリーの指先が、ほんのわずかに動く。
ミアの頬へと触れかけて――止まる。
その距離。その逡巡。わずか一瞬。
だがナギは、反射的に身体を強張らせていた。
(来るか?)
空気が張り詰める。
だが――ユエリーは、それ以上何もしなかった。
ただ、静かにミアを抱きしめたまま、目を閉じる。
深く息を吐き、そのまま眠りへと落ちていった。
「……はぁ」
ナギは、音にならないため息をつく。
張り詰めていたものが、わずかに緩む。
(ギリギリ踏みとどまった、ってとこか)
正直なところ。
あと一歩踏み込めば、ナギは容赦なく止めに入っていた。
相手が元龍王だろうが関係ない。
この庵の秩序を守るのが、自分の役割だ。
そして――ミアを守ること。それが最優先。
静まり返った室内。規則正しい寝息が二つ。
それを見守る、ひとつの影。
ナギは壁にもたれたまま、目を閉じることなく立ち続ける。
眠る必要はない。
ただ、見守るだけでいい。
(まったく……)
視線をわずかに落とす。
小さな主と、
重すぎる龍。
その組み合わせに、呆れと、わずかな苦笑が混じる。
(平和ってやつは、ほんと手がかかるな)
誰に聞かせるでもなく、心の中で呟いた。
夜は、何事もなく更けていく。
――今のところは。




