第百三話
夜になれば、昼間の熱気が嘘のように引いていく。
森の奥から運ばれてくる風はやわらかく、どこか湿り気を帯びながらも、肌を撫でる温度は心地よかった。
ホウ、と低く鳴く梟の声が、静かな闇に溶けていく。
新しい庵は、まだ見慣れない気配を孕みながらも、確かに“夜”を受け入れていた。
その中で、ひときわ賑やかな音が響く。
ガン、と鍋が鳴る音。
じゅわ、と油が弾ける音。
「早く食べないと腐っちゃうからね」
ミアの声が、やけに明るく弾んだ。
冬用に仕込んだ保存食の数々。
本来ならば雪の中でゆっくりと消費していくはずだったそれらは、この気候では一気に“期限付き”の食材へと変わっている。
だからこそ――
「今日はスタミナもりもりメニューだよ」
言いながら、ミアは豪快に鍋を振るう。
小さな身体からは想像もつかないほどの手際。
火力の調整も、味付けも、迷いがない。
むしろ、制御の難しい魔力を扱う時よりも、よほど自然に見える。
香ばしい匂いが立ち上る。
肉の焼ける匂い。
香辛料の刺激。
濃い味付けの、いかにも“力がつく”料理たちが、次々と卓へと並べられていく。
「……量、おかしくねえか」
ナギがぼそりと呟く。
視線の先には、明らかに人数分を超えた料理の山。
だが――
「作り過ぎという概念はないからね」
ミアは悪びれもせず、にこりと笑った。
それがこの庵の“当たり前”。
「残さず食べるのが家訓だよ?」
軽やかに言い放つ。
つまり、逃げ道はない。
ナギがため息をつく。
「毎回思うけど、それ誰が決めたんだよ……」
「わたしだ」
間髪入れずに答えたのはユエリーだった。
当然のように席に着き、すでに箸を手にしている。
その姿勢は真剣そのもの。
「主が作るものを残すなど、あり得ぬ」
断言。
そこに一切の揺らぎはない。信条というより、信仰に近い。
ナギが呆れた目を向ける。
「お前ほんと極端だよな……」
「当然だ」
さらりと返すユエリー。
「主の作るものは、すべて価値がある」
その視線が、ミアへと向く。
迷いも照れもない、まっすぐな評価。
ミアは少しだけ照れたように笑った。
「……ありがと」
そのやり取りを、老師は黙って見ていたが、
やがて箸を取りながら一言。
「まあ、腐らせるよりはいい」
現実的な判断。
そして一口、料理を口に運ぶ。
「……うまいな」
ぽつりとこぼす。それだけで十分だった。
食事が始まる。
湯気の立つ料理。賑やかな音。
それぞれが箸を進める中で、昼間の緊張も、重い話も、少しずつ溶けていく。
ミアは鍋をよそいながら、ふと皆の様子を見渡した。
よく食べるユエリー。
文句を言いながらも箸が止まらないナギ。
黙々と味わう老師。
そこに、ひとり欠けている。
「……ニチカ、間に合うかな」
ぽつりと呟く。
あの騒がしさがない食卓は、少しだけ静かすぎた。
それでも、この温かな時間は確かにそこにあって――
梟の声が、またひとつ、夜の深まりを知らせていた。




