第百話
「……化け物みたいでしょ?」
ぽつりと落ちたその一言は、先ほどまでの説明よりもずっと静かで、ずっと深く場に沈んだ。
ミアは笑おうとしたのだろう。けれど、その表情はうまく形にならないまま、どこか歪んで止まっている。
「だから、隠れて暮らしてるの」
視線は床へ落ちたまま。
小さな手が、ぎゅっと服の裾を握りしめる。
「前の生で……前世ではね」
その言葉に、ナギがわずかに顔を上げる。
ニチカの目も細くなる。
ユエリーだけが、最初から一度も逸らさず、まっすぐにミアを見ていた。
「そのせいで、たくさんの不幸を招いて……」
言葉が、少しだけ途切れる。
思い出しているのか、それとも思い出したくないのか。
「……壊れてしまったの」
それは事実の羅列だった。
感情を削ぎ落としたような、淡々とした響き。
けれど、その奥にあるものはあまりにも重い。
庵の中は、しんと静まり返る。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
軽く触れていい話ではない。
慰めで流していい重さでもない。
ニチカは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それで?」
あえて軽くもせず、重くもしない声音で問う。
「今の君は、どうなんだ」
過去ではなく、“今”を。
ミアは少しだけ目を瞬かせる。
予想していなかった問いだったのかもしれない。
「……どう、って」
言葉を探すように、小さく繰り返す。
その時だった。
「化け物、か」
低く、静かな声。
ユエリーだった。
その声音には嘲りも、拒絶もない。
ただ、言葉そのものを確かめるような響き。
「それが何だ」
きっぱりと言い切る。
ミアの肩が、わずかに揺れた。
「力が強大であることが、異質であることが、何だと言う」
一歩、近づく。
その足取りは静かで、揺るがない。
「そなたが何であろうと、わたしの主であることに変わりはない」
迷いのない断言。
そこには評価も比較もない。
ただ事実としての認識。
「壊れたのは過去だ」
わずかに目を細める。
「今、ここにいるそなたは――壊れているのか?」
問いは鋭い。
だが責めるためではない。
引き戻すための言葉。
ミアは、答えに詰まる。
少しだけ考えて、小さく首を振った。
「……壊れて、ない」
かすれるような声。
それでも、はっきりと。
ユエリーはそれを聞いて、ほんのわずかに頷いた。
「ならば、それで十分だ」
それ以上、何も要らないとでも言うように。
ニチカが肩をすくめる。
「まあ、少なくとも」
いつもの軽さを少しだけ取り戻しながら、
「僕は“壊れてるやつ”にあんな風に笑われた覚えはないな」
視線をミアに向ける。
あの湖での顔。
あの無邪気な声。
全部、嘘ではなかった。
ナギもぽつりと続く。
「めんどくせえ力持ってんのは確かだけどな」
遠慮のない言い方。
だが、それが逆に救いになる。
「だからっていちいち化け物扱いしてたら、こっちが持たねえよ」
ふっと息を吐く。
「今さらだろ」
その言葉で、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
ミアは、少しだけ目を見開く。
予想していた反応ではなかったのだろう。
拒絶でも、恐怖でもない。
受け流すでもなく、ただ、そのまま受け止められている。
それが、かえって戸惑いを生む。
老師は腕を組んだまま、しばらく黙っていたが、
やがて低く口を開いた。
「……だから隠すのは間違っちゃいねえ」
現実的な声音。
「その力は、表に出りゃ確実に狙われる」
天界人の話と繋がる。
危険は、はっきりしている。だが――
「だがな」
ちらりとミアを見る。
「それを理由に、自分を化け物扱いすんのは違うだろうよ」
ぶっきらぼうに言い切る。
ミアは、言葉を失ったまま立ち尽くす。
胸の奥で、何かがほどけるような、それでいて、うまく言葉にならない感覚。
小さく息を吸って、ゆっくりと吐く。
「……そっか」
かすかに、笑った。
まだ不安は消えていない。
過去も、力も、何も変わっていない。
それでも――今ここで向けられている視線だけは、確かに違っていた。




