表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い結婚の溶ける日──公爵の隠された狂愛──  作者: あおき華


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/36

第8話 思い出したの?

 外出から戻ると、陽の当たる玄関ホールでサミュエルが待ち構えていた。


 ジャガード貼りの椅子に座り、脚を組んで、冷ややかに彼女を見ている。

 彼の無言の圧力。モニカの肌がピリピリとしびれた。


「サミュエル。寝てなくていいの?」

 モニカは手を下で組んで、そろそろと彼に歩み寄った。


 サミュエルは脚を組み直し、顔をそらした。

「どこに行ってたんだ?」


「え? あ……手紙を、出しに」


 クリストファーとダミアンへの手紙は、すでに昨日出していた。

 本当は仕事探しに行っていたのだ。


 リーデンの街中にある職業紹介所。

 仕事の紹介を頼んでも、全く相手にしてもらえなかった。


『レイクフォード公爵夫人にふさわしい仕事は、ここにはありません』


 そう言って追い返した職員は、そもそも私が公爵夫人だとは、信じていない様子だった。


「自由奔放なのは結構だが、せめて何か言ってから出かけたらどうだ?」

 サミュエルが刺々しく言った。


 ただ出かけただけで、サミュエルがこんなに不機嫌になるとは思わなかった。


「毎回声をかけるの?そんなの手間だわ⋯⋯」

「手間?」

 サミュエルは荒く息をはいて立ち上がり、イライラと帽子を被った。


「僕はこれから出かける。君はどうする?」

 ステッキを手に取り、サミュエルは彼女の横を通り過ぎた。


「もう外出してもいいの?」

 モニカは彼を目で追った。


()()()かい?」

 サミュエルが片眉を上げながら言った。


 彼はずっと、私の帰りを待っていたのだろうか。

 モニカはサミュエルに近づき、彼の腕に手を添えた。

 サミュエルがビクリと体を揺らして、彼女の手を振り払った。


 ホールに射し込む陽の光が、厚い雲に遮られた。


 陰の下で手を宙に浮かせたまま、モニカは引きつった唇を震わせた。

 サミュエルが片手で顔をぬぐい、静かに腕を差し出した。


「すまない……」


 モニカは少しためらった後、再びサミュエルの腕に手を置いた。



 甘い空気はどこに行ってしまったんだろう。

 昨日の話を聞いて気が変わったのだろうか。


 ひょっとしてキスが気に入らなかったのかもしれない。つまらない女だと気付いたのかも。いえ、逆に下品だった?


 モニカは唇をかみしめた。

 サミュエルはまるで戦場に行く兵士のように、険しい横顔をしていた。




 レイクフォード・ハウスのあるアベニューと交差する、テイラー通り。

 今日も馬車や人が行き交い、賑わっている。

 商店の入る建物がずらりと立ち並ぶ一マイルほどの大通りには、仕立屋や靴屋、レストラン、大抵の店が揃っていた。


「何か買うの?」

「いや……」

 特に目的地もなく、ショーウィンドウを見ながら彼と歩いた。


 向かいから歩いて来る、今はやりの袖の膨らんだドレスを着た二人組。モニカとサミュエルを交互に見ながら、ひそひそと耳うちをしていた。


 洗練されたジェントルマンと、みすぼらしい紫色のワンピースを着た女。きっと彼女達の想像力を掻き立てたに違いない。


 私はサミュエルの身分違いの恋人ってところかしら。それとも、彼に買われた街角の─────


 モニカはサミュエルの腕に添えた手をすっと下ろして、急に立ち止まった。


 サミュエルが眉を寄せて振り返り、再び腕を差し出した。

 彼までじろじろと好奇の目を向けられていた。気づかないわけないのに。


 顔を曇らせてサミュエルの腕を見つめた。

「もう、帰らない?」


 サミュエルは大きなため息をついた。

「恥ずかしいなら、何でまともな服を着ないんだ」

 ぶつぶつと文句を言いながら彼女の手を取り、屋敷に向かって歩きはじめた。


「そんな服を着続ける狙いは何なんだ? 僕には全く理解できない」


「手違いでドレスを処分してしまっただけよ」

 モニカは消え入りそうな小さな声で言った。


 サミュエルはぴたりと立ち止まり、顔をしかめた。

「処分したって……全部?」


 モニカはうなずいた。シルビアの仕事に抜かりはなかった。


「新しく買えばいいだろう。君の口座には十分なお金を入れていたはずだ」

 そう言った後、サミュエルはなぜか突然口を覆った。


 モニカは彼に背中を向けて、うつむきながら前髪をいじった。

 口座のお金は、借金の返済のために全部使い込んでしまっている。


「あら? 何で口座のことを知っているの?」

 モニカは振り向いた。


「帳簿を見ただけだ」

 無表情の彼に、モニカは少しだけ首をかしげた。病み上がりなのに、もうそんなことをしてるのね。


 サミュエルが咳払いをした。

「それで、口座にはいくら残っているんだ?」

 モニカはギクッと縮み上がった。


 黙り込んでいる間に、馬車が三台追い越して行った。


 サミュエルは唇に指を当てて、少し考え込むような顔をした。

「……今から、その、銀行に行こうか」


「あ、あの……使っちゃって……今は、もう……全部無いの」

 あわてて口に出すと、サミュエルは目を見開いて、彼女を見つめた。




 モニカは大抵のドレスを、テイラー通りのウォルターの店で作っていた。サミュエルは迷わず彼の店を選んだ。

 店に入るとサミュエルはウォルターを呼び、ドレスのデザインを十着分、彼女に選ばせた。


「いますぐ着られるものはないのか?」


 ウォルターはようやくモニカの服に目をやり、怪訝な表情をすぐさま笑顔で隠した。

「試作品を見てみましょう」


 試作品がぎっしりと吊るされた広いドレスルームで、モニカはラズベリーレッドの一着を身にまとった。

 鏡に映った女性店員が、顎の下で手を合わせ、目を輝かせている。

 モニカは頬を染めて、柔らかな光沢を放つシルクサテンのひだをそっと撫でた。


 部屋に入って来たサミュエルは、ドアのそばで立ち止まった。遠目でモニカを眺めた後、ゆっくりと近づいて彼女の両肘に手を添えた。

「⋯⋯悪くないね」


 ―――やっと、笑ったわ!

 モニカは彼の笑顔に、瞳を濡らして笑い返した。


 店員がウォルターを呼びに行くと、サミュエルはモニカを抱き寄せた。


 手に口づけをしかけたサミュエルが、突然ぴたりと止まった。華奢な手を穴が開くほど見つめている。

 サミュエルは、戸惑うモニカの顔を鋭くにらみつけた。


「あ、あなた今日変よ」

 震えながら言うと、不気味な笑みが返ってきた。


 サミュエルは彼女の頭に何気なく両手をまわすと、急に手荒なキスをした。


 モニカはサミュエルの背中に腕をまわしてフロックコートをつかんだ。ひりひりする口づけにさえ、胸は高鳴っていた。



 そのあとサミュエルは、何事も無かったように、冷たい仮面を付けた。モニカが結婚して以来慣れ親しんだ、サミュエルそのものだった。




 レイクフォード・ハウスのホールに戻ると、サミュエルはモニカに一瞥もくれずに階段を上っていった。


 モニカはサミュエルの背中を見ながら尋ねた。

「思い出したの?」


 サミュエルがぴたりと立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。目を合わせたまま、何も言わない。

 それが答えだった。


 サミュエルが階段をおりてきた。

 モニカは両手で顔を覆った。気付かない振りをすれば、もう少しは一緒にいられたのだ。彼に話を切り出すきっかけを、自分から与えてしまった。

 モニカはそばの椅子にがくりと座りこんだ。


 硬い表情のサミュエルが、彼女を見下ろすように立っている。彼はモニカの膝の上に置かれた手に視線を向けた。


「指輪は?」


 モニカはぼんやりとサミュエルを見つめた。そして自分の手を見下ろした。左手の薬指には、白く指輪の跡が残っている。


 当然、返してほしいはずだ。


 第二代レイクフォード公が婚約者に贈ったブルーサファイアの指輪は、デザインを変えながら公爵夫人の証として引き継がれてきた。

 彼にとってお金に変えられない価値があるのだ。


「ごめんなさい。ボートンに置いてきたの。必ず返しにくるわ」

 モニカはこわばった声でつぶやいた。


 サミュエルは顎を引くと、彼女に背を向けて大きなアーチ窓まで進んだ。

「返してほしいとは思っていない」


 モニカは眉を下げて、サミュエルを見つめた。

「どうして?」


 サミュエルは何も答えずに、壁にもたれた。


 指輪は再び必要になるはずだ。


 サミュエルの新しい妻。更に、二人の子供の妻……


 モニカはあえて、考えるのをやめた。

 これ以上考えると、心が壊れて、治らなくなりそうな気がした。



「ダミアン・カートライト」

 サミュエルがざらついた声で、ふいに思いがけない名前を口にした。


 モニカは祈るように両手を組んで、腰を折り曲げた。

 借金のことを知られてしまった。


 サミュエルが腕を組んでうつむいた。

「君とあの男の関係を、説明してくれ」


 モニカは呆然として、言葉を失った。

 サミュエルはうつむいたまま視線だけを上げて、じっとモニカを見つめている。


 彼の質問は、思っていたものと違った。


 サミュエルの手紙に書かれていた不貞行為とは、ダミアンの事を指していたのだろうか。


「ダミアンは⋯⋯その、ただの友達よ」

 モニカは鼻を手でこすった。胃が少し、むかむかとした。

 嘘はついていない……


 サミュエルは両目を片手で覆った。

「本当に?」


「本当よ……彼との関係を疑っていたの?」

 いったい……いつから?


 サミュエルは眉をわずかにひそめて、少し暗くなり始めた窓の外を眺めた。

 モニカははっと息をして立ち上がった。具合が悪そうなほど彼は青ざめている。


 モニカはサミュエルに駆け寄り、彼の両手を強く握りしめた。

「命にかけて本当よ……」


 サミュエルは疲れきった瞳をとじて、長い間沈黙した。



「わかった」

 目を開けると、彼は落ちついた声で、はっきりと言った。



 サミュエルが階段を上り見えなくなった。 

 モニカは椅子にふらふらと近づいて、ぐったりと沈み込んだ。


 サミュエルは離婚に触れなかった。


 モニカはやけに眩しく輝くシャンデリアを仰ぎ見ながら、大きく息を吐き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ