表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い結婚の溶ける日──公爵の隠された狂愛──  作者: あおき華


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/36

第4話 あと二日の命

 部屋に舞う無数のほこりが、カーテンの隙間から差す光に反射している。


 モニカの部屋は、衝動的に出て行ったあの日のまま、手を加えられていないようだった。

 机の上には開いたままの雑誌が置かれている。花瓶のバラは花首を曲げて茶色く萎れていた。


 モニカはクリーム色のシーツとウールの毛布が敷かれたベッドに座り、そのまま後ろに倒れ込んだ。ほこりが舞い上がり、むせて鼻と口を手で覆った。


 ジョーンズさんがいなくなる頃を見計らって、またサミュエルのところに戻ろう……


 胸に両手を置き、クモの巣がかかった天井をぼんやり見上げた。

 

 時間が止まったままの彼女の部屋。

 こもった空気にミスマッチな、シトラスと樹木の心地よい香りがした。


 モニカはまぶたを閉じ、深く息を吸って、また目を開いた。

 サミュエルの香りだわ。


 体をひねり、毛布に鼻を寄せた。サミュエルがいつもつけている香水の香りがする。

 モニカはベッドに両肘をつき、目をしばたたいた。


 どうして?


 ベッドに座り、毛布をかき寄せて顔をうずめた。


 サミュエルがここで寝ていたなんて考えるのは、ばかげているかしら。


 モニカは頭を上げ、赤くなった頬を手で冷やした。上の空でベッドを整え、窓を開けてほこりを追い払った。


 メイド長がやってきて、猫背気味に何度も謝った。


「本当に申し訳ありません、奥様。部屋の管理が行き届いておらず……」

 メイド数人に命じながら、あわただしく掃除を始めた。


「その、旦那様に、ここには入るなと命じられていたもので……」

 メイド長は目をそわそわと動かしながら、しきりに手をこすり合わせた。


「気にしないで。ずっといなかったんだもの」


 サイドテーブルの上には、白い錠剤の入った薬瓶が置いてあった。モニカは眉を寄せて瓶を手に取り、目の前で軽く振った。もう、ほとんど残っていない。


 何の薬だったかしら。


 モニカは深く考えず、その瓶をテーブルに戻した。





 サミュエルを診察するエバンス。そのすぐ後ろで、モニカはメリッサと並んだ。


「外れてしまった馬車の車輪に不自然な傷があったの。今度の事故は、人為的なものかもしれないわ」

 メリッサが歯を食いしばった。


 モニカはゆっくりと口を押さえた。すこしずつ手をおろして、ようやく声を出した。

「でも……誰が……?」


 エバンスがサミュエルの胸から聴診器を外し、肩を落とした。


「もう、三日目ですな」

 エバンスは、立ちつくすモニカとメリッサを振り返った。


「ええ、そうよ」

 メリッサは腕を抱き込むように組んで、エバンスをにらみつけた。


「このまま脱水症状が続くと、あと二日⋯⋯もつかどうか⋯⋯」


 モニカは数歩後ずさった。突然、体がガタガタと震え始めた。


 エバンスから向けられる深い憐れみの表情。無意識にうめき声をもらしながら、サミュエルの元に駆け寄った。


 たったの三日間で、目のまわりが落ちくぼんでしまったサミュエル。土気色の乾いた顔。

 気のせいに、もうできない。


 モニカは喉に手をあてて、絨毯の上に崩れ落ちた。


 メリッサがよろよろとベッドのヘッドボードにしがみついた。


「何とかならないの?」


 頭を掻きむしり、エバンスはうつむいた。


 メリッサは目頭をおさえると、何も言わずに身をひるがえし、部屋を出ていった。


 モニカはベッドに這い上がり、サミュエルの胸にしがみついた。


「後でまた来るよ」

 うしろでエバンスが、静かにドアを閉める音が聞こえた。






「見てごらんモニカ。女王陛下が来ているよ」

 隣のダミアンがモニカに耳うちをした。


 モニカは一階席から、後ろを振り向いた。


 二階と三階の二段構えのロイヤルボックス席。金箔できらびやかに装飾された広い座席の中で、女王は誰かと話をしている。


 女王の話し相手がこちらを見下ろした気がした。陰に隠れたその人物の顔は、モニカの席からはよく見えなかった。



 四階まで座席がずらりと並ぶ国立歌劇場の大ホール。

 モニカは今日、ダミアンに誘われて初めてオペラの観劇に来ていた。


 ダミアンと出かけることを伝えた時、父クリストファーは苦い顔をしていた。


"彼と付き合う気かい?"


 モニカは父の言葉を思い出して、独り笑いをした。ダミアンは保護者みたいなものだ。

 一回りも年上で経験豊富なダミアンが、自分のような小娘を恋愛対象に見ているとは思えなかった。


 一から身を立て成功者となったダミアン。オペラハウスの上流階級の世界に、違和感なく堂々と溶け込んでいた。


 舞台の幕が開くと、モニカは深紅のベルベットの座席から身を乗り出した。オペラグラスを覗き込んで、食い入るように、歌劇に見入った。


 幕間になり、客席が明るく照らされた。


「人に酔ったみたい。外の空気を吸ってくるわ」

 ダミアンに告げて席を立った。



 歌劇場外の回廊で、モニカは柱によりかかり、うっとりとため息をついた。


 ソプラノ歌手の歌う感傷的なメロディ。観劇しながら、思いきり歌いたくて、うずうずとしていた。

 モニカはキョロキョロとまわりを確認すると、オレンジ色に染まった空に向かって、心のままに歌った。


 歌をすぐに耳で覚えて歌ってしまうのは、子供の頃からの性だった。

 

 

 物音が聞こえて、あわてて口を閉じた。

 見回すと、隣の柱のそばにすらりとした若い男性がいた。


 洗練された装いと高貴なたたずまい。なぜか彼女一点を見たまま、固まったように身動きをとらない。


 モニカは体を彼の方に向けて、首をかしげた。


 彼はぱっと足元に顔をそらした。そしてまたすぐ顔を上げて、彼女と視線をからませた。


 誰なの?


 モニカは体が熱くなり、顔を手で扇いだ。男性は咳払いをして、整った髪を更に撫でつけている。

 彼の体が出すサイン。恋は知らないのに、本能的に分かる気がした。


 その男性は、一歩また一歩と、少しずつ彼女に歩み寄った。


 モニカは、いつの間にか開いていた唇に触れながら、彼を見つめた。

 透明感のある緑色の瞳は、何処となく憂いを帯びている。

 何故か懐かしくて、モニカはその瞳に、魂が吸い込まれてしまいそうな気がした。



 その後、たどたどしく彼と言葉を交わした。


 彼は公爵だった。レイクフォード公爵。聞いたことがある。

 ───少し遠い存在。


 モニカはうつむいて、腕をさすった。

 こんな気持ちになったのは、初めてだった。



 座席に戻りうしろを振り返ると、ロイヤルボックス席に彼はいた。女王陛下に相槌を打ちながら、一階席の彼女を見つめている。


 その後のオペラは、全く集中できなかった。




 女王陛下のお気に入りのサミュエルは、よくオペラに同行していた。

 あまり歌劇に興味はなさそうだったけれど、あの日のオペラのアリア───『永久に消えぬ愛』──あの曲は好きだと言っていた。


 彼に求められて、もう一度歌ったのは、いつのことだったかしら。結婚前の円満な頃だったことだけは、確かだ。


 モニカは体を起こし、サミュエルの手を握って彼を見つめた。

 

「サミュエル⋯⋯」


 背すじを伸ばすと、モニカはあの日のアリアを歌った。


 恋に敗れた主人公。今のモニカも彼女と同じだった。


 真に迫る感情をのせた歌声が、波打つように空気を揺らし、部屋に悲しく広がった。


「サミュエル⋯⋯。覚えてる?」


 モニカはサミュエルの頬を撫でると、胸に耳をあてた。


 聞こえてくるサミュエルの心音は、三日前より明らかに早く、弱くなってしまっている。

 憔悴しきった目で、サミュエルの顔を見つめた。


 サミュエルのまぶたがピクピクと動いた気がした。


 モニカはサミュエルの頭の両脇に手をついてシーツを握りしめた。


「サミュエル?」

 瞼を指でスッと横に撫でた。


 お願い───


 サミュエルの目が、わずかに開いて閉じた。

 湖面の様に光る瞳が、一瞬だけ見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ