第34話 女王陛下の怒り
モニカは居間の椅子に座り、白い毛糸のベビードレスを編んでいた。
洗礼式に赤ちゃんに着せる為に、一週間前から編み始めたドレス。やっと半分ほどを編み終えた。
向かいのソファーにはレナードが寝ている。朝に帰ってきてからそのままの姿で。
頬には赤色とピンク色の口紅のキスマークが、いくつも付いていた。
いったい何の社会勉強をしているのやら。
「叔父さんみたいになっちゃだめよ?」
モニカはお腹に小声で語りかけた。
サラがやって来た。
少しためらった後、サラはモニカの隣の椅子に座った。
背中を丸めて膝を抱え、編み物をする彼女の手元をじっと見ている。
「小さいのね……」
「編む?」
モニカはさりげなく尋ねた。
サラは前かがみになっていた背中をゆっくりと起こして、こくりとうなずいた。
ナニーから一緒に教わった編み物。モニカより、妹のほうが編むのは早くて上手い。
サラは赤ちゃん用のボンネットの編み図とにらめっこをすると、慣れた手つきでかぎ針を動かし始めた。
最近、サラは舞踏会に行くことを見合わせてばかりいる。言葉数も少ない。
ベネット卿のことを引きずっているのだろう。
元気を取り戻して欲しいのに、どうしたら良いのか分からない。
「もうすぐ、レナードがいなくなるでしょう?……私もそろそろボートンに帰ろうかなって思うの」
手を動かしながら、サラは抑揚のない声で言った。
モニカは手を止めて、サラを見つめた。
「でもサラ……結婚はどうするの?」
ボートンにいてはジェントルマンとの出会いはほとんどない。
サラは編みかけのかぎ針と毛糸をローテーブルに置いて、両手を膝の下に隠した。
「私、一生独身でもいいかなって最近思えてきたの。なんだか結婚には向いてなさそうだし……」
「サラ、もう少しよく考えてみたら?これから運命の出会いがあるかもしれないわ」
サラは口を引き結んで、首を横に何度も振った。
「ボートンは僕が継ぐから、サラにずっと居座られても困る」
レナードが目を閉じたまま、ぶっきらぼうに言った。
モニカは眉をひそめた。
「レナード。そんな言い方ないでしょう?」
サラは泣くのを我慢するように顔をゆがめて、遠くを見ている。
「やっぱりここで、子守りとしてでも雇ってもらおうかな」
サラの空元気な笑顔は、一瞬で消えてしまった。
メリッサが居間に入って来て仁王立ちになった。
このところずいぶん機嫌が良かったのに、手紙を片手に握りしめてやけに険しい顔をしている。
「サラ……あなた女王陛下を怒らせてしまったわね」
サラが口をぽかんと開けて椅子から立ち上がった。
「ど、どうして私が?女王陛下とは、まるで接点がありません……」
「ベネット卿を叩いたでしょう」
「え?」
「だからよ」
サラが激しくまばたきをした。
恐れていた事態が起きてしまった。噂が女王陛下の耳に入ってしまったのだ。
モニカは手を白くなるほど強く組んで、うなだれた。
「私が目を離したから……」
「はあ。こんなことになるなら、この子にちゃんと彼の素性を伝えておけばよかったわ」
メリッサが非難に満ちた眼差しでモニカをにらんだ。
義母に口止めをしたのはモニカだった。
「彼の素性?」
サラが腕を抱え込むように組んだ。
「ベネット卿は女王陛下の孫よ」
メリッサは目を閉じて、こめかみに指を押しつけた。
サラが短く笑い声を出した。
「うそ」
モニカはキリキリと痛むみぞおちをおさえながら立ち上がった。
「あの、お義母様。女王陛下はなんと……?」
「サラを連れてこいと書いてあるわ」
モニカはうめき声をもらした。レナードが薄目を開けて、顔をしかめている。
「ただの子爵だって彼は……」
「ただの子爵なもんですか。ベネット卿のお父様のストックランド公は、女王陛下の第二王子よ」
そう言うと、メリッサは大きなため息をついた。
「うそ……うそよ……」
サラは耳をおさえて、椅子にうずくまってしまった。
王宮から迎えの馬車が来た。
有無を言わさぬ王宮への招待。
サミュエルがサラに付き添って、一緒に女王陛下のもとに向かうことになった。
女王をなだめられそうなのは、レイクフォード公爵家では、サミュエルぐらいしかいなかった。
屋敷の前に着けられた王室の馬車。立ち止まったサミュエルの視線がわずかにこわばっている。
サラはまるで護送される囚人のようにうなだれながら先に馬車に乗った。
「サラは無くすものが無いからいいわ。問題はサミュエルよ」
見送りにきたメリッサが、ごく小さな声でぼやいた。
サミュエルは馬車の前で振り返ると、ぎこちなく笑った。
「行ってくるよ」
喉がつかえて言葉が出なかった。モニカは代わりに、彼の頬にためらいがちにキスをした。
サミュエルは彼女の体に両手を回すと、ゆっくりと深呼吸をした。
「どんな結果になっても、僕についてきてくれるかい?」
モニカは目を見開いて、何度も激しくうなずいた。
サミュエルが少し笑った。表情が全体的に少し明るくなった気がする。
「冗談だよ。何も起こったりはしない。それに今の僕は無敵だからね」
「サミュエル……」
モニカは眉を下げてサミュエルから視線をそらした。
私はいつも彼のお荷物になってばかりだ。
最後にモニカの頬を軽く撫でると、サミュエルは馬車に乗った。
重厚な馬車が、門の向こうで曲がり、姿を消した。
「ゆくゆくは首相にと言われてきたのに……。もう無理でしょうね」
メリッサが隣で虚ろな目をしている。
モニカは両手をじっと見下ろして、強く瞼を閉じた。
彼の政治生命を終わらせてしまった。
「お腹の子供に悪いわね。もうやめるわ」
メリッサは重い足取りで屋敷に戻っていった。
屋敷からレナードが出てきて、キョロキョロと辺りを見回した。
「行ったの?」
「……ええ」
モニカは肘を抱えながら答えた。
「サラも厄介な相手と関わったもんだよ。ところでさ、また馬車を借りてもいい」
「また遊びに行くの?」
「まあね。ここで待っていても出来ることは何もないし」
レナードは腕を上げて伸びをした。
こんなときに遊びに行くだなんて。レナードも驚くほど冷たくなったものだ。
「好きにして……」
昔は、モニカとサラは僕が守るんだ、なんてかわいいことを言っていたのに。
レナードは軽快にアプローチ階段をおりて、馬屋に向かった。珍しく、フロックコートを着て身なりを整えている。
モニカは屋敷に戻りかけた足を、ふいにピタリと止めた。
「もしかして、何かするつもりなの?」
目を光らせたレナードが、ニヤリと笑った。




