第33話 愛の結晶
翌日、五十代くらいの女性を伴って、エバンスがやって来た。
午後の静かな玄関ホール。
エバンスがサミュエルに向かって苦笑いをした。
「彼女はドクター・ベンソンです。女性医師の先駆けでしてな。忙しいのに無理に予定を空けてもらいましたよ。あなたが女性の医師じゃないと嫌だなんて、わがままを言うもんだから……」
いかめしい女性医師は、にこりともせずにサミュエルに手を差し出した。
「閣下。 お会いできて光栄です。 エレノア・ベンソンと申します。産科医をしています」
サミュエルはベンソンの手を両手で熱心に握りしめた。
「よろしくお願いします。 ベンソン先生」
産科医と聞こえてから、モニカは麻痺したように身動きが取れなかった。
気づけばベンソンが目の前に来て、握手を待っている。
モニカはあわてて彼女と握手をすると、錆び付いた歯車のように、ぎこちなくサミュエルを振り返った。
「…………産科?」
サミュエルは眩しいほどの笑顔で頷き、モニカの両肩に手を置いた。
ベンソンはエイミーに案内されて、先にモニカの寝室へ向かった。
「ほらモニカ、君が行かないと意味がないよ」
サミュエルが耳もとで焦れったそうにささやいた。
モニカは何度も彼を振り返りながら、もたもたと自分の寝室に向かった。
寝室でベンソンの問診と診察を受けた。
モニカはぼんやりと意識と無意識の間をさまよいながら、ベンソンに受け答えをして、指示に従った。
寡黙な医師ベンソンは、必要なことを除き、無駄な会話は一切してこなかった。
そのあと、サミュエルとエバンスの待つ応接間に彼女と向かった。
ソファーに座るサミュエル。彼の前のローテーブルに、かなり読み込まれた形跡のある『父親になる前に読む、百の心得』が置いてある。
モニカは一瞬立ち止まったあと、彼の隣に体を縮めて座った。
「妊娠で間違いないでしょう」
ベンソンは椅子に座ると淡々と言った。
サミュエルはふらふらと立ち上がり、頭を両手で抱えて大きくのけぞった。
「はははっ。良かったですな。……やれやれだ」
向かいに座るエバンスが、笑いながらうなずいた。
サミュエルは続けざまにモニカを抱き締めた。彼女の頭に何度もキスをしながら、まくし立てるように神に感謝の祈りを捧げている。
モニカは焦点の合わない目で真っ直ぐに前を向いた。
自分には子供が産めないかもしれないと怯えていたので、自覚が湧かない。
「公爵夫人は、つわりのことをご存知なかったようですね」
ベンソンが怪訝そうな面持ちで言った。
なんだろう、つわりって……
サミュエルがモニカの肩を抱いた。
「彼女は母を早くに亡くしていますから」
「そういうことでしたか……」
モニカはお腹を見下ろして、両手をそっとあててみた。
ほんの少しだけぽっこりとしている。太ったとばかり決めつけていた。
お腹に手を当てたまま、瞼を閉じた。
頭の中で、緑色の瞳を持つ赤ちゃんが、ハイハイをしながら笑った。
「ここにサミュエルの赤ちゃんがいるのね」
目を輝かせながら独り言をつぶやいた。とたんに腕に鳥肌がたった。
「二ヶ月ほど前に、妊娠のしるしの出血があったようですね。奥様は月のものとおっしゃっていましたが」
ベンソンがカルテを確認しながら言った。
「産まれるのはいつですか?」
サミュエルが身を乗りだした。声がうわずっている。
「おそらく三月ぐらいでしょう」
自然とサミュエルと目が合った。
見るからに舞い上がっている彼。なんて嬉しそうな顔なんだろう。
サミュエルはお腹を丸く撫でる彼女の手の上に、手を重ねた。
「僕らの子どもだ……」
「……ええ」
モニカは声を震わせ、何度も頷いた。
「モニカ、僕らの絆は、その……揺るぎないものになるね」
サミュエルが、私との間に絆を感じてくれている。
モニカは涙をこらえて、笑みを浮かべた。とたんに、サミュエルに熱く抱き寄せられた。
サミュエルがキスをしようとしているのが分かった。
目を閉じると同時に、エバンスの咳払いが聞こえた。
「私たちのことをお忘れですかな?いやいやいや、お熱いようで」
モニカは彼の腕の中から無理矢理抜け出して、顔を手であおいだ。
「今日の公爵はまるで別人ですな」
「サ、サミュエルは子供を待ち望んでいたんです……跡取りがいりますから」
モニカはしきりに髪を撫でて整えた。
「跡取りねえ。……というより、夫人を繋ぎ止めておくために必死なんでしょう、公爵?」
冷やかすようにエバンスは言った。
サミュエルは突然ポーカーフェイスになった。彼の耳が、やけに赤い。
ベンソンが顔をそらして小さく噴き出した。
「いやはや、ずいぶんと愛されてしまったものだね、公爵夫人」
エバンスはにやりとしながらウインクをした。
「も、もう。エバンス先生ったら……」
そうで、ありますように。モニカは心の中で強く願った。
「エバンス。 彼女への気持ちは、愛なんて言葉じゃまるで足りない。そんな小さな型に、はめないでくれないか」
至って真面目に、サミュエルは言った。




