第31話 レイクフォード・ハウスの舞踏会
サラとメリッサは舞踏会に出かけた。
レナードは今夜もどこかで遊び歩いている。
なので、その日の晩餐のメンバーはサミュエルとモニカの二人だけだった。
「まったく……。レナードも、行き先を言ってから、出かければいいのに」
モニカはテーブルクロスをいじりながら、ぶつぶつと不満をもらした。
「レナードはもう分別のつく年齢だよ。君は弟をかまいすぎだ。放っておけばいい」
サミュエルはグラスを軽く回して、シャンパンを飲んだ。
彼の意見なんて聞いていない。そうだねと、どうして言えないのかしら。
モニカは目をぐっと細めて、いつになくイライラとしながらサミュエルを睨みつけた。
「あなたとレナードは違うのよ」
「何が?」
モニカは口を閉ざした。レナードがボートンで女達とこっそり遊んでいた話は言いたくなかった。
執事が子羊の香草焼きを運んできた。
モニカは手のひらを執事に向けてそれを断った。執事はうなずいて下がっていった。
「食べないと体に悪いよ」
彼の皿に綺麗に盛り付けられた子羊肉。
モニカはそれにちょっとだけ目を向けて、顔をゆがめた。
「なんて、なんて残酷なの……」
「何の話だい?」
サミュエルが彼女をまじまじと見つめた。
「あなただって、子羊ぐらい見たことがあるでしょう?」
「え?ああ、もちろんだ」
モニカは鼻を両手で覆い、弱々しくすすった。
「あんなにかわいい生き物を食べるなんて……私にはとてもできないわ」
サミュエルがひとつも面白くなさそうに笑った。
「……この前は美味しそうに食べていたじゃないか」
「言わないで!思い出したくないの!」
とにかく今夜はそういう気分だった。
モニカはわざと大きくため息をついて、オレンジジュースをちびちびと飲んだ。
最近やたらとさっぱりしたオレンジジュースが美味しく感じる。
サミュエルがぎこちなく、食べづらそうに食事を再開した。
「なら、メニューの采配も君が母から引き継いだらどうだい?」
モニカは静かにグラスを置いた。
「……あなた、私がここで何もせずになまけていると言いたいんでしょう?」
回りくどい嫌味を言って……
「は?」
サミュエルの声が少しだけ尖った。
デザートにチョコレートムースが出された。モニカはポロポロと涙を流してテーブルクロスを濡らした。
「モニカ?いったいどうしたんだ」
サミュエルが慌てて立ち上がり、テーブルを回って彼女のうしろまでやってきた。
モニカは涙をナフキンで拭った。
「いいえ、いいえ、違うの。……なんて、幸せなんだろうと思って」
肩に置かれたサミュエルの手に手を重ねて、声を詰まらせた。
ボートンで貧しく暮らしていた頃、どれだけこのチョコレートムースが恋しかったことか……
「モニカ……今日の君は、どうかしてるよ……」
モニカははっとした。彼はかなり、困り顔になっている。
確かに今夜の私は少しおかしい。
「ごめんなさい、気にしないで。最近何だか気持ちが乱れやすいの」
サミュエルはためらいながら席に戻った。
モニカは下を向いてチョコレートムースを食べた。濃厚な香りが鼻を抜けると、急に吐き気がしてえずいた。
ずっと風邪が治らない。熱はないのに……
またサミュエルがやってきた。
「もしかして、君は……」
背中をさすっていた彼の手が突然止まった。
サミュエルは口元を手で覆って彼女をじっと見つめると、酔いしれるように輝く瞳を閉じた。
小声で何か独り言をつぶやいている。
何なのだろう。モニカは口を開きかけたが、再び吐き気が込み上げてきて、それどころではなくなってしまった。
午後十一時すぎ。
モニカはホールの椅子に座って、そわそわとサラの帰りを待っていた。
馬車の音と御者の声が聞こえた。少ししてメリッサ、それに続きサラが入ってきた。
モニカは二人に駆け寄った。
「お帰りなさい。 今日もありがとうございます、お義母様。 サラ、舞踏会はどうだった? ベネ──」
メリッサの鋭い視線にギクリとして、固く唇を閉じた。
サラはろくに反応も示さず、足を引きずりながら幽霊のように階段をのぼっていった。
メリッサは肩や首をしきりに揉んでいる。
「もう、付添いも嫌になってきたわ。辛気臭いのは嫌いなのよね」
モニカはお腹の上で両手を擦り合わせた。
「サラは……ベネット卿とどうでしたか?」
メリッサは渋い顔をして首を左右に振った。
体がずっしりと重たく感じた。
「明日の舞踏会に彼も呼んでいるの?」
「はい……」
「二人のことは、諦めた方がよさそうよ」
モニカの肩を軽く叩いて、メリッサも階段をのぼっていった。
レイクフォード・ハウスの舞踏室。
今日は大勢の盛装した貴族達が集まっている。
未婚の男女、それと付添人たち。
造花で彩られたドレスを身にまとうサラと、ミッドナイトブルーのイブニングコートを着たレナード。
二人とも、少し緊張した面持ちで立っている。
室内オーケストラがのびやかに演奏を始めた。
ゲストが見守る中、モニカはサミュエルとファーストダンスを踊った。
それを皮切りに、華やかな舞踏会がスタートした。
「僕に、何か話があるんじゃないかい?」
ワルツを舞いながら、サミュエルが硬い声で尋ねた。
モニカは首をかしげてサミュエルを見上げた。
「いいえ?」
彼の含みのある視線が、ドレスからこぼれ落ちそうになっている彼女の胸元に注がれた。
「……ちょっぴり、太っちゃったみたい」
モニカは照れ笑いを浮かべた。
すこし前までは、ぴったりだったのに。
サミュエルがいぶかしげに顔をしかめた。
運動でもしようかしら……
「……エバンスを呼んだよ。明日来ることになった」
「エバンス先生を?どうして?」
サミュエルは何も答えず、ひときわ真剣に彼女を見つめた。
「どこか……調子が悪いの?」
モニカは足を止めて、彼の頬の傷痕に触れた。
「僕は絶好調だよ」
サミュエルはモニカの手のひらにさっと口づけをして、再び彼女を誘い、踊りはじめた。
今日のサミュエルのダンスはやけにゆったりとしている。まるでゆりかごに揺られているようだ。
モニカは微笑んだ。
「サラのために舞踏会まで開いてくれてありがとう」
サミュエルは肩をすくめた。
「早く相手を決めさせて、追い出したいだけかもしれないよ?」
「また、そんなこと言って」
モニカは笑いながら視線を巡らせて、サラを探した。
サラは淀んだ表情で、プレイボーイのミスター・ハントと踊っている。彼を招待するつもりはなかったのに、サラが勝手に呼んでしまった。
あんな顔をするなら、呼ばなければ良かったのに。
サラと踊りながら他の女性に流し目を送るミスター・ハントに、モニカは大きく肩を落とした。
ベネット卿は一人で、大きな鏡の設置された壁際に立っていた。ダンスもせずに、据わった目でサラ一点のみを見つめている。
数週間見ない間に、ひどく荒んだ、近づき難い空気を纏うようになっていた。
「よそ見をしないで」
サミュエルが低く声をひそめた。
「サラとベネット卿が気になるだけよ」
二人の間には、何か特別なものがあるのではないか。そんな気がしてならない。
サミュエルは顔をあげて二人を見ると、神妙な面持ちで頷いた。
「彼らが運命の相手なら……どんな試練があっても結ばれるはずだよ」
「運命の相手?」
繋いだ手にどちらともなく力がこもった。
なんて、ロマンチックなことを言うのかしら。モニカは夢見るようなため息をついて、サミュエルを見上げた。
「すてきね……」
サミュエルの頬がほんのり赤らんだ。
サミュエルはダンスをしながら、何故かじわじわと壁に寄っていった。
光沢のある赤いカーテンの裏にモニカをさっと引き込むと、サミュエルは彼女をぴったりと抱きしめてむさぼるようにキスをしはじめた。
すぐそばでオーケストラが演奏をしている。モニカはわずかに戦慄を覚えながらも、ついサミュエルの肩に腕を回してキスを返した。
お互いに慎みを失ってしまうのは、昨夜、愛を交わさなかったせいかしら……
そうしている間に、曲が二回変わった。
名残惜しそうに唇を離したサミュエルが、吐息混じりの声で言った。
「少し別の部屋で休憩してこようか」
落ち着き始めていた心臓が、また高鳴り始めた。
モニカは震えながら、コクンと頭を動かした。




