第25話 夫の密かな援助
モニカはサミュエルの書斎に入り、ろうそくの燃える手燭をデスクの上に置いた。
引き出しの中にあるトレーには、几帳面に書類が重ねられている。その一番下にボートン山の売買契約書を見つけた。
やっぱり……
父もレナードも、きっと気がついていない。
サミュエルは父に気兼ねさせないために、あえて、不動産会社を間に挟んだのだろう。
彼が不動産会社に支払った金額は、レナードに聞いていたものより更に千ボンド高かった。
モニカはサミュエルの椅子に座り、鼻をすすりながら机の上の契約書を見つめた。
彼のおかげでレナードが学校に行けるようになった。父も体面を保った暮らしができる。
こんなに助けてもらってばかりでいいのかしら。
モニカは胸がいっぱいになってデスクに静かに顔を伏せた。
「ただいま」
ここちよい声が聞こえた。
小川のせせらぎのように心にしみた。
サミュエルが帽子と上着をポールハンガーにかけていた。
今日は議会の日だったサミュエル。デスクの上の置き時計を見ると、まだ夜の八時前。以前よりも帰りが早くなっている。
「今日も早かったのね」
サミュエルは彼女の両肩に手を置いて頬にキスをした。
「さっき聞いたけどレナードが来ているんだって?」
モニカは彼の顔を見上げた。今回はサラが来たの時のように不機嫌ではなさそうだ。ベッドで愛し合うようになってから、彼は少し穏やかになった気がする。
「何を探っていたんだい?」
サミュエルがデスクの上の書類に目を向けた。すぐに彼の視線が泳いだ。
「ボートン山を買ったのは、あなただったのね」
モニカが小さな声で言うと、サミュエルは目をそらしたまま口元を手でこすった。
「サミュエル……あの山はなんの価値もないの。とっても危ないし、あなたの……、あなたの嫌いな虫が、うようよいるわ」
モニカはうつむきながら言葉をしぼりだした。
手を膝の上で握りしめて再びサミュエルを見上げた。サミュエルは気にする様子もなく、口角をきゅっと上げた。
「またあなたに大金を失わせてしまったのね」
「そんな顔しないでくれ。こうできて僕はすごく満足しているんだ」
サミュエルがデスクに腰かけてモニカの頬を撫でた。
「……笑ってくれ」
モニカはじっとサミュエルの瞳を見つめると、ためらいがちにほほえんだ。
「サミュエル……、本当にありがとう」
サミュエルは明るい表情でうなずいた。
「ボートンは僕たちの子供のルーツにもなるんだ。ひとつぐらい土地を持っててもいいだろう?」
モニカは思わず口をすぼめた。
また、当たり前のように子供の話をしたわ。
サミュエルのミニチュアのような小さなかわいい男の子のイメージが、また頭の中で鮮明に浮かんだ。モニカは胸を手でおさえて深いため息をついた。
サミュエルのデスクの上に置かれている一冊の本。何気なく目を向けると、タイトルに『父親になる前に読む、百の心得』と書かれてあった。
居間に入ると、レナードとサラがカードゲームをしていた。レナードは座りながら両足をローテーブルに乗せてくつろぎきっている。
モニカは立ち止まって腰に両手をあてた。
こんなところ、サミュエルとメリッサには見せられない。
「レナード、足をおろして」
汚れた靴を苦々しく見ながら、モニカはレナードに注意した。
「あなた、いつまでここにいるつもりなの?」
そろそろ気になってきた。弟が来て今日で四日目だ。
「学校が始まるまで、ここにいようかと思ってるんだけど。ボートンよりは、ここからの方がクライン・カレッジに近いし」
「え?」
「いいだろ?」
「ここで何をするの」
「社会勉強だよ」
「社会勉強?」
しれっとトランプに目を向けたまま、レナードはテーブルの上のつま先を揺らした。
サラが彼女の目を見ながら何度もうなずいた。
「モニカ、もうすぐレナードとなかなか会えなくなるわ。いいでしょ?」
「でも……どうかしら、サミュエルとお義母様に聞いてみないと」
モニカはソファーに座って、腕をさすった。
もうすぐ始まるレナードの寄宿舎暮らし。だけど、サラもいるのにレナードのことまでは、正直なところ頼みずらい。
「レディ・メリッサは、いいって言ってたよ」
レナードの言葉と重なるように、メリッサが部屋に入ってきた。
ようやくレナードが居ずまいを正した。
「ああ、ここにいたのねレナード。あなた舞踏会に行きたいと言っていたでしょう。サミュエルの昔のイブニングコートがあったんだけど、合うんじゃないかしら」
メリッサは連れてきたメイドと従僕に指図して、ミッドナイトブルーのイブニングコートと同素材のトラウザーズを、レナードの体にあてがわせた。
「これ僕にくれるの? 」
「ええ。だってそんな格好じゃ、舞踏会には行けないでしょう?」
「僕はこのまま行くつもりだったけど?」
「まさか!」
やけに馴れ馴れしく話すレナードに、モニカはひやひやとしていた。メリッサは意に介さない様子で笑っている。
メリッサはレナードを見ながら顎に手をあてた。
「悪くなさそうね。ちょっと着てみてちょうだい」
レナードは口笛を吹きながら、従僕をつれて部屋を出ていった。
「お義母様、すみません。レナードまでお世話になって……」
モニカは手の甲を擦りながら下をむいた。
「いいのよ。レナードは面白い子だわ。サミュエル──あなたの夫はね、本当に愛想のないつまらない子だったのよ」
レナードはメリッサに気に入られているようだ。昔から女性受けがいいほうだったけど……
「レナードからあなたの実家の事情は聞いたわ」
メリッサがだしぬけに言った。
モニカは息を止めた。急に冷や汗が出てきた。
「あなた、本当に自分の話は何もしないのね」
そう言いながら、メリッサは女王陛下のごとく堂々と向かいの椅子に座った。
その姿は、従姉妹同士の陛下と、どことなく似ている。
モニカの隣に座るサラが、視線を向けられてびくりと体を揺らした。
「まあ、気にすることないわ。今どきよくあることよ」
モニカはメリッサを見つめながら、胸に手をあてた。
「お義母様……」
「ああ、それと、この前のお茶会の話、知人から話は聞いたわ。ずいぶん浮いてたみたいじゃないの。まったく……あなたは筆頭公爵家の人間なのよ。なめられてどうするのよ。今度は私も連れて行きなさい。いいわね?」
メリッサがモニカを指差しながら威圧的に言った。
モニカは少しのけぞりながら、激しく何度もうなずいた。
メリッサは今度はサラを指差した。
「それと、あなたは爪を噛む癖をやめること!」
サラも激しくうなずいた。
しばらくしてレナードが帰ってきた。別人のようなのレナードの貴公子ぶりに、三人は感嘆の声をあげた。




