第24話 開けたレナードの未来
公爵家に戻って間もなく二ヶ月が過ぎようとしていた。
リーデンの夏の夜は午後十時を過ぎてもまだ明るい。
バルコニーから今だ賑わう通りを眺めていると、寝室を訪れたサミュエルが隣に来て手紙を渡した。
レイクフォードにいる家令からの知らせだった。
ダミアンへの借金返済が無事、完了したと書かれている。何のトラブルもなかったようだった。
モニカは手紙を封筒に丁寧にしまってサミュエルに返した。
これで、ダミアンに会う必要も無くなった。少し心が軽い。
もう、彼のことは忘れてしまいたかった。
サラは女王陛下への謁見が済み、正式に社交界デビューを果たした。
メリッサが用意してくれた真っ白なドレスを着て女王陛下にカーテシーをするサラは、誰よりも輝いて見えた。
「ふー、疲れたわ」
馬車に乗ったとたん、サラは肘をあげて大きく伸びをした。素の姿をさらして、さっきまでよりずっと生き生きとしている。
サラの顔を売り参加した今日のファインズ伯爵夫人のお茶会。感触は良くなかった。
結婚適齢期の息子がいる夫人達には、はっきりと距離を置かれていた気がする。
モニカは、うつむいて力の入らない手のひらを見下ろした。
母親たちは花嫁候補のことをシビアな目で見ている。サラは自慢の妹だが、ウェルズ男爵家には経済力はなかった。
ボートンの話だけは、それとなく何度も聞かれた。もしかして、屋敷を手放した噂が広がっているのかもしれない。
「私、何も変なことをしていなかったわよね?……何だか話しかけてもよそよそしい人ばかりでつまらなかったわ。別にこっちも仲良くしたいとも思わなかったけど」
少し強がるようにサラは言った。
モニカは黙りこんだあと、眉を下げてサラの肩に手を回した。
「今日のサラは完璧だった。お父様が見たら、感激してたと思う」
「……そう?」
サラは照れくさそうに頬を掻いた。
次第に機嫌がよくなり、景色を見ながら体を横に揺らしはじめた。
レイクフォード・ハウスが見えてきた。
スピードを下げた馬車の窓に小石がカチカチと何度も当たった。
このあたりにはストリートチルドレンも多い。そう見当をつけて窓から外を覗くと、道にぽつんと立つレナードと目が合った。
「レナード」
モニカは腰を浮かせて後ろを振り返った。
「レナード!?どこ?」
サラが窓に張り付いた。
「レナード!どうしてここにいるのよ」
馬車から駆け下りると、サラは体当たりするようにレナードに抱きついた。
「ちょっとね」
レナードはサラの勢いによろめきながら答えた。
「それにしても……」
レナードがモニカとサラをじろじろと見ながら、周りをぐるりと歩いた。
「ふーん……いいんじゃない。見違えた。ちゃんとレディに見えるよ」
一方のレナードは、若い労働者に見える。
「お父様は?ボートンに一人なの?大丈夫なの?」
モニカは額を手でさすりながらレナードを見つめた。
サミュエルがボートンに女中を送ったとは言っていたけれど……
「ああ、大丈夫大丈夫。ぴんぴんしてるよ」
「ぴんぴん?」
にやりとレナードが笑った。
「モニカ、とりあえず屋敷でなんか飲ませてよ」
レナードがハンチング帽を脱いで汗の流れる顔をあおいだ。今日は日差しがじりじりと照りつけていて、やけに暑い。
モニカはレナードにハンカチを渡した。
「入っていればよかったのに」
レナードは威圧的に構えるレイクフォード・ハウスを見上げながら汗を拭くと、なにも言わずに勝手に馬車に乗りこんだ。
「私、分かる。レナードの気持ち……」
サラが神妙な顔でうなずいた。
格子窓からは少し強い午後の西日が射し込んでいる。
ソファーの真ん中に座ったレナード。モニカとサラはローテーブルを挟んでその向かいの椅子に座った。
執事がティーセットと小菓子の載った三段の皿をテーブルに置き、静かに応接室を退出した。
モニカは皿の上のクリームたっぷりのケーキから目をそらした。
どうしてか、見ているだけで吐きそうになる。
熱い熱いと言いながら湯気の立つ紅茶を飲み終えると、レナードはショルダーバッグから小袋を取り出した。
「なに?」
「あげるよ」
モニカはじゃらじゃらと音のする重たい小袋を受け取り、中を覗いた。
金貨がぎっしりと詰まっている。
覗きこんだサラが、食べていたタルトを膝に落とした。
「サラのドレス代に使ってよ」
モニカの顔から血の気が引いた。
「レナード……、いったいこのお金はどうしたの」
なんとか、か細い声を出した。
レナードはたまに、馬鹿なことをする。頭の中に様々な悪い予想が浮かんだ。
「なにその目。違うからね。これは真っ当なお金。山が売れたんだ。そのほんの一部。」
「山?」
金貨に目を奪われながら、サラが身を乗り出した。
レナードも、目を爛々とさせてぐっと身を乗り出した。
「ボートン山だよ、ボートン山。誰も買い手がつかずに売れ残っていただろ?あれが売れたんだ」
モニカはじっとしていられず、立ち上がって体のあちこちをペタペタと触った。
脆い岩場だらけのボートン山。危険すぎて今は立入禁止になっている。どうしてあれが売れるのだろうか。山道も造られていないのに。
「あんな山を買うなんて、そんな変わった人がいるの?」
「それがいたんだよね。リーデンの不動産会社だって言ってた。いくらだと思う?」
「いくらって……二百ポンドぐらい?」
弟の顔色を見て、モニカは予想より高めに言った。
レナードが得意顔でソファーに背をもたせかけた。
「なんと、一万三千ポンド」
「「一万三千ポンド!?」」
モニカとサラは声を張り上げた。
モニカは椅子に沈み込み、鼻と口を両手で隠した。
信じられない。
「もっと早くに売れてくれていたら……」
借金にあんなに苦しまずにすんだのに……
サラが急に人差し指を立てた。
「まって、あの山に私たちの知らない価値でもあるんじゃないの?もしかして金が取れるとか」
レナードがいきなり真顔になって体を起こした。
「やめろよ。惜しくなるだろ」
「そんな話聞いたこともないわ」
モニカは紅茶を一口飲んで、大きく深呼吸をした。まだ気持ちが乱れている。
レナードが背もたれにどさりと体を倒した。
「それでさ、父上が公爵にお金を返すって言って聞かないんだよ」
「返すってダミアンに支払った分を?」
「そう。多分近いうちにリーデンに来ると思う」
サミュエルに借りがあるままなのは、父も辛いのだろう。モニカはすぐに府に落ちてうなずいた。
「分かったわ。サミュエルに伝えておく」
レナードは金褐色の髪を指でくしゃくしゃにして、これ見よがしにため息をついた。
「でも、お父様がリーデンに来るなんて、体が心配だわ。そんなに元気になったの?」
モニカは顔をしかめて、ソーサーとカップをテーブルに置いた。
レナードは顎をひき、脚の間で手を組んでうなずいた。
「貧血だってさ。あの先生が言ってた。指示通りレバーを食べ始めたら、急に元気になった」
モニカは口を手でおさえて、そのまま凍りついた。
「父上は魚が嫌いだろ?」
「それだけで、あんなになるの?」
サラが引きつった声を出した。
次第に目の奥が熱くなった。
「私の、私のせいだわ……」
モニカは膝を抱え、心の中で父に謝った。
毎日、レナードの釣った魚と野菜スープ、パンばかりの食事だった。
お父様は魚が大嫌いで、ほとんど手を付けないのに。
「モニカのせいじゃない。肉も卵も買う余裕が無かったんだもの。好き嫌いするお父様だって、私だって……」
サラがうつむいたモニカの背中を撫でた。
室内に、長い沈黙が流れた。
時計塔の鐘が大きく鳴り響いた。
「もう終わったことだよ」
レナードがふいに立ち上がって、格子窓まで進んだ。
窓からは、時計塔や大聖堂、背の高い集合住宅が立ち並ぶ街並みが見えた。
レナードは景色を見ながら、顎を高く上げた。また少し、背が伸びただろうか。少し頼もしく見えた。
「実はさ……」
レナードは振り返ると、背筋を伸ばして胸を張った。
「九月からクライン・カレッジに通うことにしたんだ」
「こ、断ったんじゃなかったの?」
モニカは肘掛けに手をついて無意識に立ち上がった。
レナードが鼻を掻いた。
「あれは……、まあ、嘘」
「嘘?」
モニカは少しふらついた。
「でも、お金は? 入学金は?間に合ったの? だって、あれから二カ月以上……」
「校長に手紙を書いて、支払いを待ってもらってたんだ」
「校長を、説得できたの? あなたが?」
「まあね」
「……レナード……どうしちゃったの?」
サラが、まるで初めて見たかのようにレナードを見上げて、つぶやいた。
「まあ、ウェルズ家の将来は僕に任せといてよ」
レナードは頭の後ろで手を組んで、冗談なのか本気なのか分からない軽い調子で言った。
急に視界が明るく開けた気がした。
ボートン・ホールを出てからくさっていたレナードが、王子様と同じ制服を着るなんて。
モニカは胸に両手をあてて、弟を見つめた。からだの中から力がどんどん湧きあがってくる。
「レナード!あなたなら、絶対にウェルズ家を再興できるわ。将来は、お医者様、法律家、いいえ、大使、総督──」
「違う違うモニカ。レナードはきっと、学校で王子様と親しくなって、懐に入ってそれで──」
「期待しすぎだろ!」
レナードが腕をこわばらせて甲高い声を出した。
モニカは目を輝かせて、呆れ顔で首を横に振るレナードを抱き締めた。サラもすぐにそこに加わった。
少しはにかんだレナードが、暑苦しそうに二人を振り払った。




