第23話 跡継ぎ
襟のつまったナイトドレスを着て、モニカは鏡台の椅子に座った。エイミーがブラシを持ってうしろに待ち構えている。
彼女の髪をとくエイミーの手つきは今や慣れたものだ。モニカは地肌を繰り返し撫でるブラシの気持ちよさに、ついうとうとと、まどろんだ。
サミュエルがノックもなしに部屋に入ってきた。鏡越しにサミュエルに笑いかけると、モニカはエイミーを振り返った。
「エイミー、ありがとう。あとは自分でするわ」
エイミーは控えめに相づちを打って寝室を出て行った。
サミュエルは自然と彼女の寝室で一緒に寝るようになった。
彼が夜に訪れると、部屋が一気に明るくなる気がする。
サミュエルはいつものようにベッドに座ってくつろぎ、彼女が来るのを待っている。とても朗らかな顔だった。
「もう、あのナイトドレスは着てくれないのかい?」
厚手のコットンのナイトドレスを着た彼女を見ながら、サミュエルはうしろに両手をついた。
モニカは手に持ったブラシの毛先をいじった。ナイトドレスは箱に入れて大切にしまってある。
明日は着てみようかしら……。
正直、あのナイトドレスを着るのは、裸でいるよりもはるかに恥ずかしい。
「だけど、君があんなに刺激的なナイトドレスを着るとは思わなかった。驚いたよ」
サミュエルが肩を揺らして含み笑いをした。
自分が贈っておいて、何を言っているのだろう。まるでひとごとのようだ。
モニカは信じられない思いで彼の笑顔を見つめた。
「あなたが望んでいると思って、わたしは仕方なく着たのよ?」
サミュエルは柔らかい表情のまま首をかしげた。
「あなたが用意したんでしょう?笑うなんてひどいわ」
モニカはブラシの柄を握りしめて、刺々しく言った。
「僕が?」
サミュエルは顎にしばらく手をあてたあと、腑に落ちたようにひとり何度もうなずいた。
「あれか……急いでボートンに向かったから、中身を確認出来ていなかったんだ」
サミュエルがえくぼを見せて、少年のように無邪気に笑った。
「あれは君がリーデンに帰ってきたお祝いだと、ウォルターから貰ったんだよ」
モニカは言葉をつまらせ、鏡台の縁を両手で強くつかんだ。彼らしくない、おかしいとは思っていた。
ガウンがはだけたときのサミュエルの唖然とした顔を思い出すと、頭から湯気がでそうだ。
モニカは顔をひきつらせながら、ひたすら髪をとかした。
「髪が切れてしまうよ。もう十分だろう」
サミュエルが近づいてブラシを取り上げた。
「まだ編んでないわ」
「どうせ、ほどくんだから」
モニカは、身をかがめてキスをしようとした彼を避けた。
サミュエルが大きな瞬きをした。
「あのナイトドレスは二度と着ない」
顔を伏せた。
大げさなため息が聞こえた。
「……すごく可愛かったのに」
モニカは唇を噛み締めながら、少しずつ視線を上げた。優しい眼差しのサミュエルが鏡に映っている。
「……からかっているんでしょう」
指先をもてあそびながら、ちらちらと彼を見つめた。
サミュエルが微笑みながら首を横に振った。
「妖精かと思ったよ」
サミュエルは彼女を立ち上がらせると、しなやかな体を後ろから抱き締めて、満足げな吐息をもらした。
振り返ると、暖かい唇が重なった。
モニカは何に苛立っていたのかを忘れて、サミュエルの肩にしがみついた。
ベッドで肌を合わせるときのサミュエルは、どこまでも甘く、人が変わったかのように熱かった。
上に重く覆い被さっていたサミュエルが、彼女を抱えてどさりと仰向けになった。
胸を上下させながら、荒い息をしている。
モニカは動くことも、話すこともできなかった。
彼の引き締まった体の上にうつぶせになり、一緒に溶け合った余韻にうっとりと浸った。
背中を撫でられるうちに、モニカはそのまま眠りに落ちていった。
彼のものになれた。とても満ち足りた気分だった。
へその辺りが羽根に撫でられているようにくすぐったい。モニカは半分目を覚まして薄暗い天井を見つめた。
からだに目を向けると、サミュエルが彼女のお腹に口づけをしていた。
「……サミュエル……何してるの?」
ぴたりと唇が動きを止めた。サミュエルは頭をぎこちなく起こした。
「サミュエル?」
少し不審なサミュエル。モニカは寝ぼけながら笑った。
彼に両手を広げると、サミュエルは咳払いをして彼女の腕の中に横たわった。モニカは彼を抱き締めてゆるく目を閉じ、再び眠りに落ちかけた。
「赤ん坊を授かるように祈っていたんだ」
静かな声が聞こえた。
赤ん坊……?
モニカはぱちりと目を開けた。眠気がすっかり吹き飛んでしまった。
「……愛し合うと、ここに命が宿るんだよモニカ……神秘的だと、思わないか」
サミュエルは彼女の平らなお腹を撫でながら、切なそうにささやいた。
「……子供が欲しいの?」
モニカの声がかすれた。
彼は深くうなずいた。
「だから……毎晩頑張ってるの?」
今度は笑いながら首を横に振った。
サミュエルに似た緑色の目をした男の子が頭をよぎって、モニカの口から言葉にならない声が漏れた。
「……今、男の子が頭に浮かんだわ」
「そうだな……最初は男の子がいいかな。跡継ぎに悩まなくてすむ」
サミュエルは彼女を強く抱きしめた。
サミュエルが初めて後継者について口にした。
モニカは彼がレイクフォード公爵であることを、久しぶりに思い出した。
月の物は乱れがちで数ヶ月こないこともざらにあった。
たいして気にしてなかったことが、今になって大問題のように感じる。
急に自分が女になりきれていないような気がしてきて、ひどく落ち着かなかった。
モニカは髪をぐるぐるとねじった。
男の子が浮かんだなんて、言うんじゃなかった。
彼の願いを私は叶えられるのだろうか。
翌日、わずかな期待を消し去るように月の物が始まってしまった。
モニカはほとんどの時間をベッドで過ごした。
手足の力が抜けて動く気力が全くわかない。何となく、彼とも会いたくない。
月の物はその翌日には止まった。別に珍しいことでもなかった。
これは女になることを拒絶し続けた、つけなのだろうか。
モニカは少しだけ、意地の悪い神をうらんだ。




