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白い結婚の溶ける日──公爵の隠された狂愛──  作者: あおき華


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第22話 白い結婚の溶ける日

 午後八時過ぎに、ダイニングルームで晩餐が始まった。

 モニカは上の空でメリッサと会話をしながら、正面にイブニングコートを着て座る夫を盗み見た。

 見慣れているはずなのに、優雅なたたずまいが今日はよりいっそう眩しい。


 皿の上に盛り付けられた、じっくりと煮込まれた鴨肉。小さく切って口もとまで運んだものの、まるで食べる気になれない。

 モニカはそのままフォークを置いた。

 深く息を吸い込みながら顔を上げると、サミュエルがほとんどまばたきもせずに、こちらを見ていた。


 瞳が鮮やかに輝いている。モニカが息を止めて見つめ返すと、サミュエルは唇を濡らして目を一瞬そらした。


 暖炉の上の時計は午後 九時半過ぎを指している。彼も時計を振りむくと、目を閉じてかすかなため息をもらしていた。




 ダイニングルームから寝室に戻ると、部屋の中が花だらけになっていた。


 すべての机の上、床やベッドの上にまで、バスケットに入った豪華なブーケが置かれている。くらくらするほど濃厚で甘美な花の香りが部屋に満ちていた。


「……サミュエルから?」

 モニカはささやくような小さな声でエイミーに尋ねた。


 花に囲まれたエイミーは、浮き立った笑顔で大きくうなずいた。

「こんなにたくさんのお花見たことありません」


 モニカはベッドに座って、そばにあるバスケットを抱えた。赤いバラと白いバラ、すずらん、勿忘草、あとは何の花だろう。何だか夢の中にいるような気がして、からだに力が入らない。


 エイミーが何度も花を置き直しながら、ちらりと彼女を見ていた。

 きっと、何事かと思っているだろう。何も聞かないでいてくれるのが、ありがたい。


 モニカはバラの花芯に鼻を近づけて香りを吸い込んだ。

 今晩、具体的に何をするのかは大体分かっている。バスケットの表面をいじりながらドアを見つめた。

 ベッドをともにすることへの抵抗感は、もう湧いてこなかった。



 入浴と着替えが終わると、エイミーは自室に下がった。


 モニカはひとつに編んで垂らした髪をまた同じように編み直して、綺麗なベッドを意味なく更に整えた。


 何をしても落ち着かない。


 ベッドに座りうつむいて考えこんだあと、モニカはサミュエルに贈られたナイトドレスを箱から取り出した。


 襟ぐりは深くV字にカットされていて、細身の長袖は手首のところで朝顔のように広がっている。胸の下でリボンを結ぶ、ハイウエストのデザインだった。

 とても綺麗だった。


 モニカは腕を上げて襟のつまった厚手のナイトドレスを頭から脱いだ。

 寝るとき下着はいつも着けていない。


 彼に贈られたナイトドレスを着ると、丈はぴったりだった。きっとウォルターのメゾンで作らせたのだろう。

 動くたびに裾の端が足の甲をさらりとくすぐった。


 モニカは顔を両手で覆い、振り返って指の隙間から姿見を確認した。繊細な総レースの生地。遠目で見ても肌の色が透けて見えた。


 モニカは胸の前で腕を抱えて、鏡をしばらく見つめた。


 サミュエル、これで正解なの……?それとも下着は着たほうがいいの?


 再び顔を両手で覆ってうめいた。まさか彼がこんなに過激なナイトドレスを贈ってくるなんて。


……一度下着を着てみよう。何だか不恰好になりそうな気もするけど。


 シュミーズとドロワーズを取りにキャビネットに向かう途中、ドアがノックされた。

 モニカはあわてて椅子に掛けてあったドレッシングガウンを羽織ってベルトを結んだ。


「ど、どうぞ」

 背筋を伸ばすのよ、モニカ・マレット!

 モニカは自分を鼓舞した。

 ドアがためらいなく開いた。


 入ってきたサラが、大きく口を開けて部屋を見回した。

「うわぁ何これすごい。花だらけじゃない」


 モニカはがっくりと、首を垂れた。

「サラ……なんなの……こんな遅くに」 

 こんなにも妹を疎ましく思ったことはない。


「この花どうしたの?」

「サミュエルにもらったのよ」

 モニカはなげやりに言った。


「今日は何かの記念日なの?」

 サラは部屋のブーケを見てまわると、ベッドにとび乗った。


「サラ、もう寝るところだから、話すのは明日にしない?」

「わたし何だかあの部屋じゃ、眠れそうにないのよね」

 そう言うとサラはそのまま毛布の下に潜り込んだ。


「ダメよサラ。もうすぐ17歳でしょう?結婚相手を探すのに、そんなのでどうするの。一人で寝なさい」

 モニカは腰に手をあてて、ベッドとドアに交互に目を向けた。

 今にもサミュエルが来てしまいそうな気がする。


「だってうまくいくと思っていなかったんだもの。ここの屋敷はみんな暖かみがなくて怖いわ」

「じゃあ帰る?」


 サラはガバッと起き上がるとブンブンとかぶりを振った。


 モニカは本棚に向かった。

「何か本を貸すから、部屋に持って帰ってゆっくり読んでみたら?恋愛小説がいい?推理小説もあるわよ。好きなのをどれでも持って行って」

「やけに出ていかせようとするわね」


 サラは寝転がりながらサイドテーブルに置かれたオルゴールのネジを巻いた。上に乗った磁器の人形が、ワルツの音色に合わせてゆっくりと回りはじめた。


「これ、どうしたの?」

「お父様がくれたのよ」

 結婚式の日に。


 手を取りあい寄り添う男女の人形を、サラは目を細めてしばらく睨みつけていた。


「ねえモニカ、リーデンは綺麗な人ばかりなんでしょう?」

 サラが体を起こして膝を抱えた。


「まあ、そうね」

 どうしたら、出ていくかしら……


「わたし、大丈夫かな?……舞踏会で誰にも相手にされなかったらどうしよう」


「サラ……」

 モニカは表情を和らげて、サラの隣に座った。


 伏し目がちにオルゴールを見つめる妹の横顔は、()()()()()()羨ましくなるほど清らかで可憐だ。


 モニカは近くにあったブーケの中から白いバラの花を取り、サラの髪に挿した。無垢な白いバラがサラによく似合っている。


「サラみたいに綺麗な子めったにいないわ」


 サラはモニカを横目で見ると、髪の上のバラを撫でた。


 オルゴールのネジをもう一度巻いて、サラは立ち上がった。


「モニカ、ワルツの練習相手をしてよ」

「ええ?いやよ、男性役は」


 サラはかまわずにモニカの手を引くと、強引に腕を組ませて向かい合った。


「私が舞踏会で恥をかいてもいいの?」

 サラが転ぶふりをした。

 モニカは眉を寄せて、渋々と、やる気なくワルツを躍り始めた。


「もっとちゃんと踊ってよモニカ」


 大きくスウィングをしてくるりと回ると、サラの顔に笑顔が広がった。


「モニカ、すごく上手」

「サミュエルの真似をしてるだけよ」

 モニカはサミュエルがよくするように肩をすくめてみせた。


 舞踏会には社交のために、たまに夫婦で参加していた。会話はなかったが、彼に堂々と触れられる唯一の機会だった。


「やっぱり公爵は好きになれないわ。駅でわたしを見たときのあの顔!」

「もともとそういう顔なのよ」

「モニカを見るときは顔が緩みっぱなしじゃない」

 モニカは口を固く引き結んで視線をサラからそらした。


「公爵に愛されているのね」

 何気なくサラが言った。モニカの体がたちまちこわばった。


 サラにはそう見えるのかしら。

 今までサミュエルに愛してると言ったこともないし、言われたこともない。

 足の力が抜けてステップが少しふらついた。


「モニカは公爵のどこに惹かれて好きになったの?」

 モニカは大きく目をしばたいた。そんなの考えたこともなかった。サラの言葉にはどぎまぎさせられてばかりだ。


 サミュエルは誠実で、責任感もある。身分が高くて容姿もいい。たくさん長所がある。そういう所は素敵だけど、もし欠点だらけだったとしてもきっと彼を愛してた。


「分からないわ……。だけど最初に会ったときに、すごく懐かしく感じたの。妙なんだけど……やっと会えたって気がして……。あんな衝撃は初めてだった」


 こんな話、馬鹿にされると思って誰にも言ったことはなかった。サラは意外にも真面目な顔で話を聞いている。


 オルゴールはいつの間にか止まっていた。


 小さな物音がした。


 ダンスをやめて目を向けると、コバルトブルーのガウンを着たサミュエルがドアにもたれかかっていた。


「いつからいたの?」

 モニカは顔を紅潮させてつぶやいた。


「ノックはしたよ」

 サミュエルは首の後ろを擦りながら物静かに言った。


 顔が異常に熱い。モニカは頬に冷たい手をあてた。


「サラ、オルゴールを回して」

 サミュエルがそう言うと、硬直していたサラが小走りでサイドテーブルに向かった。


 花の香りが濃く立ち込める部屋に、透明感のある音色が再び響き始めた。


 サミュエルがモニカの前に足を揃えて立ち、軽くお辞儀をした。

 彼はワルツを踊るつもりらしい。

 モニカは胸を高鳴らせながらうなずいて、差し出された手を取った。


 彼と踊るのは良いときも悪いときも、いつでも特別だ。


 サミュエルに包み込むようにリードされながら、モニカは軽やかに踊った。彼と呼吸を合わせて動くのはとても楽しい。


 サミュエルがはじけるような笑顔を見せながら、モニカのウエストをつかみ高く持ち上げた。


「モニカ!?」突然サラが叫んだ。


 サミュエルの指が肌に食い込んだ。彼は呆然とした顔で、一点を見ている。

 モニカは嫌な予感を覚えながら彼の視線をたどった。

 ガウンが大きくはだけて、レースのナイトドレスを着た胸があらわになっていた。


「お、おろして……」

 モニカはゆっくりと床におろされた瞬間にガウンの襟をかき寄せた。


 サラが唇を引っ張りながらモニカ、サミュエル、部屋中の花を見まわして、はっと息をのんだ。


「わ、わたし何だか眠たくなってきたわ。そろそろ部屋に帰るわね。モニカ、公爵、おやすみなさい!」

 サラが気ぜわしく部屋から出ていった。



 少しして、オルゴールが鳴りやんだ。


 サミュエルがドアに向かい、鍵を閉めた。とたんに、モニカは自分の喉がカラカラに乾いていることに気づいた。


 彼をまともに見ることができない。

 そわそわと指をいじりながらその場でぐるぐると歩いていると、サミュエルがうしろから強く抱きしめた。

 彼の熱い体から爽やかで深みのある香りがたちのぼり、花の匂いをかき消している。


「見せて……」

 サミュエルの筋の浮いた大きな手が、蝶結びにしたモニカのベルトをほどきはじめた。


 モニカは男らしい手が動くさまを、長い睫毛の隙間からぼうっと眺めた。


 ガウンがはらりと床に落ちた。何も言わないサミュエルの視線を背中に感じる。

 彼はモニカを振り向かせて一歩下がると、今度は正面からじっと見つめた。


「……寒い?」

 サミュエルがレースのドレープに触れながら、ひどくざらついた声で尋ねた。


 モニカは首を小さく横に振った。体は震えているのに、火照っている。


「綺麗だ……モニカ、……すごく綺麗だ」


 サミュエルは彼女の目を見つめながら指先のひとつひとつに熱のこもった口づけをすると、腕に軽々と抱き上げてベッドに向かった。



 



 モニカは真っ白な世界に舞い上がって、なかなか戻って来られなかった。しばらくして徐々に我に返った時も、まだ体は解放感の余韻で満たされていた。


 サミュエルがベッドをおりた。モニカは指輪を回しながら、彼の背中を見つめた。サミュエルは壁際のろうそくの灯りを消している。

 くしゃくしゃになったシーツが月明かりに青白く照らされた。


 サミュエルは再びベッドに戻ると、彼女に毛布をかけてその横に入りこんだ。


 モニカはサミュエルの体を無言で抱きしめた。

 彼が自分の部屋に帰ってしまうのではないか。そんな考えが少し頭をよぎった。


 頬にあたる彼の胸は汗で湿っている。

 ほどけた髪とつむじに口づけを落とされて、モニカは思わず歓びのため息をもらした。


 彼を迎え入れたとき、心もひとつになれた気がした。もとはひとつの魂だったような、そんな不思議な感覚さえした。

 あのときの感動と安らぎが、今もまだ続いている。


 彼も同じ気持ちであってほしいと、思わずにはいられなかった。


 じっと動かなくなったサミュエルを見上げると、彼の閉じた瞼から涙が流れていた。


「サミュエル」

 モニカは身じろぎをして頭をもちあげた。

 サミュエルは片手で涙をぬぐうと、モニカをさらにつよく抱きしめて、脚を絡ませた。


「……眠ろう」

 サミュエルが静かに言った。


 モニカはゆっくりと頭をシーツにおろした。

 毛布と彼の体に包まれて、体は芯から暖かい。


 月が優しく光っている。きれいな満月が涙ににじんだ。祝福されている気がした。

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