第16話 番小屋の公爵
居間を兼ねた食堂にサミュエルを残し、炊事場に向かった。
料理人なんてもちろんいない。夕食を作るのはモニカとサラの担当だ。
モニカは陽気に鼻歌を歌いながら、レナードの釣った魚をソテーした。
「ねえモニカ……今日の返済はどうなったの?」
鬱々とした声。
モニカはようやく、隣のサラが鍋のスープを重苦しく混ぜていることに気がついた。
「ああ、サラ。大丈夫!大丈夫よ!あなたは何も心配しなくていいの」
鉄製の返しヘラを目の前でぶんぶんと振りながら、モニカはこらえきれずにやけた。
サラは鉄のヘラを押しのけて詰め寄った。
「何で?ダミアンが返済を待ってくれたの?それとも──」
「後で説明するわ」
サミュエルから双子達に伝えてもらわなくては。サラが大喜びする瞬間を、彼と一緒に見たい。
サラが彼女をじろじろと見つめた。
「公爵はモニカを迎えにきたの?」
「あ、え、まあ……」
「……またリーデンで暮らすのね」
モニカは鉄ベラをいじりながら、目を伏せた。
「ねえ、公爵が来たことが、そんなに嬉しいの?」
モニカは肩でサラを小突いた。
サラは、鼻にしわをよせて首をかしげた。
ろうそくに柔らかく照らされた食堂。モニカは小さなダイニングテーブルを、サミュエルと双子達とで囲んだ。
「ウェルズ卿は?」
クリストファーの部屋の向きに視線を上げて、サミュエルが尋ねた。
「お父様はいつも部屋で食べてるの。気にしないで」
モニカは軽く言いながら膝を落ちつきなくさすった。
クリストファーが階段を上り下りするのもつらくなっているとは、口にしたくはなかった。
神に祈りを捧げ、静かな食事が始まった。
前回彼が来た時は、挙式前。
みなで正装をして、ボートン・ホールのダイニングルームで給仕されながら食事をしたのに。
サラとレナードは居心地悪そうに、猫背になってサミュエルをちらちらと見ている。
サミュエルは、暖炉の煙で煤けた部屋や素人の料理、落ちぶれきったウェルズ家の面々に、今はまるで動じていない。
双子達を気遣ってのことだろう。
無駄話は嫌いなのに、当たり障りの無い話題を自分から双子にふって、焦げた魚のソテーさえ褒めた。
モニカは、サミュエルの真摯な横顔を、魅入られたように見つめた。
サミュエルは、思いやりがあって、おごらず、寛大な素晴らしい人だ。
早くあの話を──彼の素晴らしさを二人にも知ってほしい……
モニカは隣のサミュエルの肩をトントンと叩いて、小首をかしげた。
サミュエルはじっと目を見つめながらその手を取り、しっとりと口づけをした。
「なんだい?」
甘いはちみつのような声。
双子達の前で、危うくサミュエルにしなだれかかりそうになった。
父の部屋を出てきてから、サミュエルは、彼女に対してなぜか格段に情熱的だった。
モニカは微笑みながら首を横に振った。
「二人にもあの話をしないと」
「ああ……」
サミュエルはグラスを口に運び喉を潤すと、中の薄いエールに顔をしかめてテーブルに置いた。
そしてしばらく宙を眺め、何事も無かったようにまた食事を始めた。
「サミュエル」
「別に今じゃなくてもいいだろう。後日君から手紙でも書いて、伝えればいい」
モニカはサミュエルをまじまじと見た後、ゆっくりと正面を向いて口を閉ざした。
手紙でも書いて、伝えればいいですって?
延々と繰り返される天気と釣りの話。うんざりとしてきたモニカは、突然口を開いた。
「レナード、サラ、聞いて。サミュエルが借金を払ってくれることになったの」
レナードとサラが固まった。サミュエルまでもが。
あまりにも沈黙が続くので、モニカは何かまずいことでも言ったような気分になった。
サラがテーブルにのせた手をかたく握りしめた。
「公爵……モニカの話は本当ですか?」
サミュエルは首の後ろをこすりながら、もの言いたげにモニカを見たあと、視線を双子に戻した。
「……ああ。もう君達は、借金のことで悩まなくてもいい。あとは僕が処理するよ」
サミュエルは二人の様子を見つつ、ゆっくりと慎重に話した。
サラが突然椅子を倒して立ち上がり、黄色い喜声をあげた。
「嘘みたい! ほんと? ほんとに? そうしてもらえたらって、ずっとずっと思ってたの!」
サラが激しくまくし立てた。
「サ、サラ。そんなこと、一度も言わなかったじゃない」
サラの言葉に、モニカはたじろいだ。
サミュエルに頼れない私を、やっぱりもどかしく思っていたのだろうか。
サラははっと口をおさえて、モニカに抱きついた。
「うそよモニカ、うそうそ! ああ、感謝します公爵! あなたは血も涙もない人じゃなかったんですね!」
「サ、サラ!」
サミュエルは軽く肩をすくめただけだった。
「信じられない!嘘みたい!」
サラが小躍りしている。
サラの紅潮した顔。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
こんなに明るい妹は、いつ以来だろう。
マナーも忘れて落ち着きなく動きまわるサラの姿が、胸にじんと響いた。
モニカはサミュエルに、心から湧き上がる言葉をささやいた。
「ありがとうサミュエル」
サミュエルは目を見開き、高い頬骨のあたりをうっすらと染めた。
ろうそくの灯りが映り込み、彼女に注がれるサミュエルの視線が、繊細な宝石のようにきらきらと輝いた。
なんて綺麗なのかしら。
テーブルの下、モニカはいつの間にか彼と手をつないでいた。
やっとサラが席に戻った。
レナードは一人、気の抜けたように椅子に沈み込んでいる。
「レナード、もう炭鉱の話は無しよ」
モニカは茶化しながら弟に声をかけた。
レナードは頬を膨らませて、髪を手でかき乱した。
「でも生活費を稼がないと」
「レナード!」
モニカは勢いよく立ち上がった。
サミュエルが少し身を乗り出した。
「炭鉱って?」
「バドリー鉱山で働くって言うのよ」
モニカは両目を手で覆ってため息をついた。
「バドリー鉱山だって?」
サミュエルは、まだまだ線の細いレナードに険しい視線を向けた。
「レナード。この前の事故では三百人以上が犠牲になったんだよ」
「知ってますよ」
ふてぶてしくレナードは答えた。
「モニカを不安にさせることはやめるんだ」
サミュエルが威圧的に言った。
「この人、この前モニカと別れようとしてなかった?」
レナードが大きなひそひそ話でサラに問いかけた。サミュエルは急に喉で変な音をたててむせ込んだ。
「とにかく、いくらか置いていくから、やめるんだ」
「お願いレナード、やめてちょうだい!」
「レナード!」
皆の視線を浴びて、レナードは邪魔臭そうに手を振った。
「分かったよ……」
「分かったよじゃないわよ!あんたもお礼を言いなさいよ」
サラがレナードの椅子を蹴った。
レナードはぶつくさと言いながら立ち上がり、サミュエルにぺこりと頭を下げてへらへらと笑った。
モニカは唖然としたサミュエルの顔から目をそらし、顔を両手で隠した。
お父様も私も、双子を甘やかしすぎたわ……




