第15話 男同士の話
二階建てで個室のある番小屋は、労働者達の住む狭く過密な共同住宅に比べたら、かなり恵まれたほうだった。
それでも、公爵家生まれのサミュエルには、そうは思えなかったらしい。
サミュエルは頭を両手で抱えて、凍りついたように番小屋を見上げていた。
「モニカ──」
「そ、そこまで、酷い暮らしじゃないのよ」
モニカは、やたらと明るく言いながら話を遮り、ドアを開けた。
中に入ると、サミュエルはひび割れた漆喰壁の小さなホールにすっと立ち、辺りに容赦無い視線を走らせて、苦々しく口を引き結んだ。
「君が、こんな所で暮らしていたなんて、僕は──」
「もうやめて……」
モニカは耐えかねて、弱々しくつぶやいた。
サミュエルは喉仏をしきりに上下させて、口に片手を押し当てた。
咳払いをすると、彼は話題を変えた。
「ウェルズ卿はどこに?」
「二階にいるわ」
モニカは眉を下げてため息をついた。
きっと、サミュエルは、父の変わりようにも驚いてしまうわ。
ノックをしても、いつものようにクリストファーからの返事は無かった。
ドアを開けた。クリストファーはロッキングチェアに座り、窓の外のボートン・ホールをぼんやりと眺めていた。
「お父様」
ぬけがらのような顔を静かに向けたクリストファーは、ドアのそばで立ちすくむサミュエルに目を見開き、よろよろと立ち上がった。
「レイクフォード公……いったい……」
ふらついた体。走りよって、支えようとしたモニカの腕を、クリストファーは見向きもせずに振り払った。
サミュエルは父にゆっくりと近づいた。
かすかな頷きを繰り返しながら、彼はかすれた声で言った。
「ウェルズ卿、お久しぶりです」
クリストファーはうめきながら窓辺に進み顔を両手で覆った。
モニカは、自分の無神経さを悔いた。
粗いリネンのスモック、継ぎ接ぎだらけのコーデュロイのトラウザーズ。
身なりも心もまるで準備ができていない父を、サミュエルに会わせてはいけなかったのだ。
「サミュエル、悪いけれど……」
「モニカ、お義父さんと二人きりにしてもらってもいいかい?」
サミュエルが、彼女が言おうとしていたことを言った。
モニカは眉をひそめた。
お父様のことは、私が一番わかっているのよ?
喉元までその言葉が出かけた時、クリストファーが消え入りそうな声で言った。
「そうしてくれ……」
モニカは、口を開けたまま、二人を交互に見つめた。どちらも、目を合わせない。
そう、男同士の話に、女は邪魔というわけね。
何度も後ろを振り返りながら、モニカはしぶしぶと部屋を後にした。
菜園に立ち、収穫したばかりのキャベツを抱えながら、モニカはクリストファーの部屋を見上げた。
まだかしら……
そういえば、私はサミュエルに、感謝の言葉も言えていない。
「モニカ」
ビクッと腕が跳ねて、キャベツが地面に落ちた。
恐る恐る視線を動かすと、アビゲイルが裏口の脇に膝を抱えて座り込んでいた。
「ア、アビゲイル……」
アビゲイルは、じっとモニカを見つめると、顔をそむけながら言った。
「キャベツ……」
「え?あっ、ああ」
モニカは言われるままに、あたふたとキャベツを拾った。
「ど、どうしたの?ドレスが汚れてしまうわよ」
アビゲイルは、うつむいて黙り込んだ。
モニカは抱えたキャベツに視線を落として、土を払った。
バカね。何をうろたえているの。きっと指輪のことを謝りに来たのよ。ダミアンとの事情を知るはずがないわ。
モニカはしゃがんで、菜園の草引きに熱中するふりをしながら、沈黙し続けるアビゲイルをどぎまぎと盗み見た。
「あの、アビゲイル。家庭教師は、もうできなくなってしまったの」
アビゲイルは枝で土をひっかきながら、目も合わせずにうなずいた。
「お、驚かないのね」
モニカはアビゲイルを見ながら、体を小さく縮めた。
足音に、アビゲイルが青ざめた顔をはっと上げた。
バケツと釣りざおを持ったレナードが、仏頂面で帰ってきた。
アビゲイルはぽかんと口を開けると、壁にもたれかかり、長く息を吐き出した。
「どうしたの?」
モニカは首の後ろがざわざわと騒いで、なんとなく屋敷の方に目を向けた。
「帰る」
アビゲイルはのそっと立ち上がった。
すれ違いざまに、彼女は首を垂れてつぶやいた。
「パパと結婚してあげて……」
「え?」
アビゲイルは顔を素早くそむけて、あっという間に屋敷に走り去っていった。
何だったんだろう。よく聞こえなかった。
モニカは空を見上げた。
カラスの大群が酷く騒いでいる。
遠くから、発砲音が数発聞こえた。
視線を遮るように現れたレナード。大きなトラウトの入ったバケツを彼女の前にどんと置いて、顎を上げた。
「お、大きいのを釣ったわね」
レナードは、何か言いたげに口を開き、結局そのまま閉じた。今日のレナードは朝から殻にこもって話をしようとしなかった。
モニカはパッと顔を輝かせて立ち上がった。
レナードはもう炭鉱で働かなくてもいいのよ!
モニカがぎらついた視線を向けると、レナードは唇を横に引きつらせてのけぞった。
「レナード!炭鉱の──」
「しつこい!」
レナードは腕をまっすぐに下ろしてずかずかと進み、裏口から番小屋に入っていった。
モニカは微笑みながら、ゆったりとした深呼吸をした。
何度でも言うわ。もう借金は無くなるんだから。
バケツとキャベツを持ち上げて、裏口に向かうと、目の前のドアが音をたてて乱暴に開け放たれた。
「あっ、危ないじゃない!何なの!」
レナードが何度も後ろを振り返りながら声をひそめた。
「何で、何であの人がここにいるの!?」
モニカはキャベツを強く抱きしめた。
サミュエルがようやく父の部屋から出てきたようだ。




