第五十二話
次に目が覚めた時、変に頭が重かった。体も凝り過ぎてて痛い。
(寝過ぎだな、これは)
何もしていないが体は正直で疲れてるから、寝ると深く眠り込んでしまう。頭の鈍痛を和らげようとこめかみを揉みに持ち上げた手の軽さに、はっと遅れて気が付いた。
(手稼がない)
続いて首と足を確認すると、そっちも外されていた。
(ど――、どういう事だ?)
これを一体どう判断するべきか、非常に迷う。
迷った――が、折角与えられた機会だ。無駄には出来ない。
(とか言って、扉に厳重な結界が引かれてて、やっぱり出られないとか……)
ぬか喜びさせるのは可哀想なので、ライラを起こさないようそっとベッドから抜け出して、扉に触れてみる。
強力な力は感じるが、その作用は外側へと向けられただけのものだった。多分、濃い魔気をこちら側へ来させないための。
(十分、ここでも濃いけどな……)
それでもマシなのだ。外がどれだけの魔境なのか、想像するに余りある。
「ライラ」
声量を抑えて、寝ているライラに呼び掛ける。反応はない。俺と同じで疲れ過ぎてて、眠りが深いんだ。
「ライラ、起きろ」
今度は少し強く肩を揺する。
「ん……っ。へい、か……?」
「あぁ」
「お目覚めに、なったん、ですね……」
たった今寝ていたライラに言われるにはおかしな言葉だが、この言われ方からするに、俺もかなり長く眠っていたらしい。
「あぁ、理由が判らないが鎖が外れてた。逃げよう」
「鎖、は……、ジ・ヴラデスが……。陛下、起きないから……焦って、ました……」
「――……っ」
ライラの言葉に、思わず手首に手をやった。あれもジ・ヴラデスが具現化したものだから、当然魔気の塊だ。
とはいえ、拘束を外すとは……。寝てるからって油断し過ぎだろ。
……まあ、されて仕方ない実力差があるんだけどな……。
「……まあ、いい。逃げるぞ」
「はい……!」
この部屋から出た瞬間に、脱走したのがバレるだろう。それぐらいこの場において俺達の存在というものは異質だ。
ライラを武器化し手に収めると、扉の鍵の部分を小さく壊す。
余程焦ったのか、本当に俺達を拘束する類の結界はなかった。守るための結界を、意を決して踏み越える――と。
(うっ……)
【ひっ……!】
ばっ、と一気に全身に鳥肌が立った。空気が生温かく、息苦しい。呼吸を一回する毎に、毒を吸い込んでいるかのように、体が痺れて力が抜ける。
(ヤバい。長くいたら、マジで死ぬ)
「――行くぞ」
【はい!】
所々に点くジ・ヴラデスの炎だけが光源の、闇が支配する無人の城の廊下を、勘のままに走って抜ける。
ふと窓の外に目をやれば、戸でも閉ざしているのかと思った暗さは、そうではなくて夜だった。ただ空は厚い雲で覆われて月も星もないから、やっぱり暗い。
夜だったのか。時間の感覚なんて、もう全くなくなってたからな。
【ここは、プルオーネだったんですね……】
「プルオーネ?」
【刻皇様の、領域です……】
「そうか。俺より早くに倒れて、まだ再生してないって言うからな。そりゃ魔にとっちゃ住みやすいよ
な」
【プルオーネは、常闇の国……。陽の差す時間が、短いです……】
「へえ……」
まあ、地球にもそんなような国があるってのを聞いた事ある。正確には覚えてないが、冬なんか日照時間四時間だか五時間だか、そんなものだった気がする。こっちに似たような国があっても不思議はない。関係してるのが緯度なのか何なのかは判らないが。
プルオーネ観光は、こっちが取り戻してから改めて行うとして、今はさっさと逃げようと再び走り出した――所に。
「皓皇!」
「っ!」
見付かった。
見付かった――が、その表情は脱走した事に対する怒りというよりも、焦りの方が強い気がする。
何故、彼女が焦るような事があるのか。
「テメェはァ……っ。タイミング悪ィ時に起きんじゃねェよ! さっさと戻れ! 気付かれたら、お前――」
「うん、気付いちゃったなあ」
「っ!!」
ジ・ヴラデスの声に被せて喋った第三者の声に、俺達よりもむしろジ・ヴラデスの方が表情を強張らせた。
ゆら、と闇と同化するような漆黒のローブで全身を覆い、顔までもすっぽり隠したその相手は、声すらも妙な術を賭けて誤魔化していて、男か女らすら判らない。
――だが、確実な事が一つ。こいつも魔王だ。下手したら、ジ・ヴラデスより強い、か……っ!?
「困るよ、ジ・ヴラデス。皓皇だけは僕に報告してくれないと」
「断る、と、私は始めっから言ってんだろぉ……?」
口調をいつものものに戻し、ジ・ヴラデスは全身に力を入れた。いつでも動けるように。
「名を与えられた魔の使徒が、僕に逆らうのか」
「何かに阿るならぁ……。もう魔人の意味なんざ、私にゃ、ないねェ……。私は、魔人だ。命令なんざァ、クソくらえだ!」
「うん。僕は君の、そういう強い所は大好きだよ」
いっそ穏やかとも言える口調でローブの魔王はそう言ってから。
「でも僕は、皓皇に用があるんだよ」
「皓皇、跳べ!」
ジ・ヴラデスの警告に俺は従い、その場で迷わずジャンプした。その足元を漆黒の大鎌が薙ぎ払う。
いつ具現化した!?
「私の目の前でぇ……。手ェ出してんじゃねえぞ、クソガキィ!」
ギャリッ!
互いに魔力を鋭利な刃物に具現化させた武器の、刃同士で鍔競り合う。
「逃げろ!」
「……っ!?」
振り向きはしないまま、その余裕を持てないまま、ジ・ブラデスはそう叫ぶ。一体魔の中で何が起こっているのか。
そんな事当然判る訳もないし、今は手を出せる戦いじゃない上、出す必要もない戦いだ。どっちがどうなっても、俺の敵に違いはない。
「逃がさない!」
体格は相手より小柄だが、魔人にとってそれは然程の意味を持たない。力任せにジ・ヴラデスを押し切って、ローブの魔王は逃げる俺へ向かって駆けて来る。その周囲に薄青い炎を纏った魔力が出現した。
「カース・フレアバレット」
「っく……ッ!」
これは、背中を向けては逃げられない。一発掠りでもしようものならそれで死ぬ!
足を止め、弾道を見て何とか魔術は避けきるが、その時にはもう目の前にローブの魔王。
「さぁ、お前のクリスタルを寄越せ、皓皇――!!」
「させるかあァァッ!!」
俺へと手を伸ばすローブの魔王の背後から、魔炎の爪を纏ったジ・ヴラデスが迫って来る。
「邪魔だ!」
ローブの魔王の声に、苛立ちと怒りがこもる。当り前に殺気も。
「――っ」
直前に考えていた事も、一気に吹っ飛んだ。仕方ない、理屈じゃないだろ、こういう時は!
ジ・ヴラデスへ向かって振るわれようとしていた鎌の、柄と刃の丁度境目に、ライラの刀身を潜り込ませてその動きを阻害する。
「っ!?」
予想外だったか、ローブの魔王は驚いたようだが、腕はそのまま振り抜かれた。しかし確実に、勢いは削いだ。
「っらァッ!!」
鎌を避けたジ・ヴラデスの爪が、ローブに覆われた顔の側面に突き刺さり、そのまま肉を削いで体の中程までを切り裂き、焼き焦がす。
振り抜かれるままふっ飛ばされた俺とライラは、姿勢を低くして刃をやり過ごし、ジ・ヴラデスと合流した。……合流して良かったのかどうか判らないが。
「ライラ、大丈夫か」
【大丈夫、です!】
「……テメェ、どんだけ馬鹿よ?」
立ち上がった俺を庇う位置に立って、ジ・ヴラデスが呆れた半眼で横目で見て来た。
「殺されるよりは、お前のがマシだ。逃げるチャンスが来るからな」
「はん……。ま、違いねェ……」
ニィと笑って、ジ・ヴラデスはとんとん、と床を爪先で叩く。そこから現れたのは、やはり漆黒のドラゴンだった。
「乗れ!」
迷わなかった。黒竜の背に飛び乗ると、竜は窓を突き破って外の大空へと羽ばたいた。
「逃げるな、皓皇――!!」
裂けたローブを押さえ、まだ顔を隠しながら、魔王は叫ぶ。よく飼い慣らされてるのか、黒竜は自分より上位の魔人の叫びに、一切怯まず止まらなかった。
「ちょっ、待て……!」
てっきりジ・ヴラデスも乗って来るものだと思ったのに、俺だけ乗せると黒竜は迷わず飛び立ってしまった。
「ジ・ヴラデス……!」




