第五十一話
「――……」
目を開けると、ゆらり、と目の前で炎が揺れ、続いて部屋中の明かりがすぐに灯った。激しい明度の違いに目が慣れず、少しばかり目がチカチカしたが、すぐに慣れた。
魔力で制御された炎は閉め切られた漆黒の部屋を真昼の如くに照らし出す。
流石炎を得意とする魔王だ、と言うべきか。巨大な物から細かな物まで、魔力のコントロールが完璧だ。
「――……陛、下……?」
「悪い、起こした。寝てていいぞ」
どうやらこの部屋、俺が眠っているか起きているかだけに合わせて炎が付いたり消えたりするだけなので、融通が利かない。
折角寝ていたライラを、こうして俺が起きると起こしてしまう。
「大丈夫、です……。どうせ、いつも寝てるだけ、ですから……」
ジ・ヴラデスに連れて来られたのは、無人の城……らしき、どこかだった。もしかしたら大きいだけで屋敷レベルかもしれない。この部屋から動けないので何も判らないのだ。
逃げる役に立つだろうと聞いた、ここがどこかという質問には流石に答えはしなかった。
時間を知る術が何もないので感覚も狂いまくってると思うが、ここに来てから結構経ってしまったと思う。
男の俺が言うのもどうかと思うが、とりあえず今の所、貞操も無事である。こうしてライラとも一緒にいられるし、思った程扱いは酷くない。
……ただまあ、やたら華美なこのベッドに首輪と手枷、足枷で鎖で繋がれてるから、自由はない。幸いなのは、ライラには掛けられなかったって所ぐらいだ。
傷付けないためだろう、内側はクッションが利いてて痛くはないんだが、これは結構、精神的に効く。
ジ・ヴラデスの興味は本当に俺にしかないようで、ライラを売ったり何だりだとか、拘束したり傷付けたりだとか、そういう事をされなくて、本当に良かった。
だからこそ、相手の気が変わってどうにかされる前に、自由なうちに逃げて欲しいと思うんだが……情けないかな、こうしてライラが側にいる事にほっとしてる俺もいて、だからライラは逃げられないんだろう。
(……しかし、本気でこのまま俺を観賞用に飼うつもりか……)
いや、アレコレされるよりは断然マシだけどな。
……。や、全然されてない訳でもないんだが、まあ、最後まではない、うん。
「っあ……」
「? ――あ……」
急にびく、とライラが身を竦ませて、何事かと思ったがすぐに俺も次いで気が付いた。
悠然としたヒールの足音が近付いて来る。ジ・ヴラデスだ。
「よォ、皓皇。起きたぁ……? 最近は寝てる方が多くなってきたよねぇ……。しんどい?」
「別に。暇で寝てる以外やりようがないだけだ」
時間が経つにつれ、体の調子が悪くなって来てるのは事実だが、ここは認める所じゃない。例えバレバレであってもだ。
「そう……?」
くすくす、と笑ってジ・ヴラデスはベッドに腰掛け、足を組む。そのまま体を捻って俺の頬を撫で顔を寄せる。
「――抵抗すんなよ……?」
わざわざ警告してから、唇を重ねてきた。
初日にやられた時、思い切り噛み付いたのが気に食わなかったらしい。
他人の熱が侵入して来るってのは、始めは不快で堪らなかったのに、慣れのせいなのか、口腔を探るジ・ヴラデスの舌につい応えようとする俺もいる。
服から露出した部分の素の肌を撫でる手は、あれだけ無慈悲な真似をして、圧倒的な暴力を振るうものでありながら、やっぱり柔らかい、女性の手だった。
「く、く……っ。ちったァ感じるようになって来たか……?」
「別に」
「嘘付け」
「っ、止せ……ッ」
ぴたりと放漫な体を密着して押し当てて来ながら、ジ・ヴラデスは膝を足の間に入れて来た。
「んん……。まァ、まだかぁ……」
「当り前っ、だろうが……っ!」
当然だが、実感するのはこれが初めてだが、精霊の体は確かにこの手の事に鈍かった。感じない訳じゃないが、とにかく鈍い。その気にならないのだ。
直接的な刺激だとまた少し違う気がするが、ジ・ヴラデスは今の所しようとはしてきてない。
「でも、ちったァ感じてんだろォ……?」
「無い」
「隠すなって……」
「っ」
つ、と耳朶の裏を舐めた舌に、思わず反応して身を震わせると、すぐ側で笑われた。
「精霊は、愛に忠実だ……って言う奴もいる……」
「……?」
何だか物凄く不似合な単語を聞いた気がして、ジ・ヴラデスをつい見詰めると、いつもの半眼のまま、しかし逸らさずに見つめ返して来た。
「愛した相手には、体も応える。少し感じる様になったって事ァ、お前も少しは情が湧いたかァ……?」
「ふざっ、っ!」
否定して振り払おうとして、しかし叶わず逆に押し倒され組み敷かれた。
「骨の髄まで、躾けてやるよ……皓皇……。テメェが私に、感じるようになるまでな……」
「――っ」
それは多分、正確には『躾ける』とは言わない。
(ジ・ヴラデス……)
口調は変わらなかったが、含まれた物が真剣だったのは、何となく判った。
単純に欲を満たすだけなら、薬を使えば済むんだろう。ジ・ヴラデスがその存在を知らないとは思わないし、手に入れられないはずはもっとない。
けれどきっと彼女にとってそれは意味がない事なんだろう。
自覚してるかどうかは判らないが、彼女が手に入れたがっているのは皓皇の『全て』だ。――気持ちを、含めた。
「……それは俺に愛して欲しいって言ってんじゃねえのか。だったら言うが、やり方が始めから間違ってるぞ。前にも言ったが」
「そうだねェ……。でもソレは、ついて来るもんだろぉ……?」
「付いてくる?」
「所詮お前も、雄だって言ってんだろ……? 私に触られんの、今は結構、気持ち善いだろ……? 始めはあんな顔しかめてたのにィ……?」
「……っ」
「テメェ等の『愛』も『欲』だ。何も変わりゃしねえんだよ……。欲から上手く躾けてやってもなァ……」
……それは、逆だ。けど同時期に生まれるものでもあるから、そう見られても仕方ない、んだろう。
「……信じるのは怖いのか」
「っ」
かっ、とジ・ヴラデスの瞳に怒りが浮かび、拳が握られた。
ライラが息を飲み、しかし振り上げられたその拳が降り下ろされる事はなかった。
「……この状況で挑発だァ……。本っ当、良い度胸……。お前のそーゆー所は、好きぃ……」
「少し殴られるぐらいならどうせ大した事ない。俺を壊したい訳じゃないから、大した力は入れないだろ」
「さぁ……? つい入っちまう力に、加減何か出来るかねェ……」
「しただろ」
力の差が明らかだからだろうが、殴って来る事すら、思い留まった。
「お前は戻って来る気ないのか、人間に」
「くっ、は! 何言うかと思えばぁ……。笑わせんなよ」
ニィ、と余裕を取り戻した笑い方で、ジ・ヴラデスは俺の言葉を一蹴した。
「人に戻ってどうする? 私は今の自分が好きだ。思い通り、何でも出来る。――こうしてお前を囲う事もだ……」
「本当にいいのか? それで」
「皓皇ぉ……。何度も言わせんなよ……」
する、と俺の頬を撫でながら、ジ・ヴラデスは満足気な笑みを浮かべる。
「私が今ぁ、お前に触れんのは、私が、魔王だからだ……。そうだろォ……?」
「何も生み出さないけどな」
「んな事はァ、ねェさぁ……。時間はある。たっぷりなァ……。何か残したいってなら、お前と子供作んのも、楽しそうだよなァ……。魔王と精霊王の子……。興味ねェ……?」
「ない」
不幸になる事が判りきってる子供を、作る気はない。
「残念ん……」
くすくす、と笑うと、ようやく身を離して立ち上がる。
「そろそろ、行くわ……。そっちのガキがぶっ倒れそうだしィ……」
「っ。ライラ……っ」
ジ・ヴラデスに言われてはっとしてライラを見ると、濃い魔気に当てられて、動けないだけでなく、もうぐったりと倒れ込んで浅い呼吸を繰り返している。
(――ごめん……っ)
「さっさとそいつ、外に出しなぁ……。私は別にいいけど……? どうせ後一年もしねェで消失するだろーしィ……」
「そこまでここにいる気はない」
「残ぁん、念。逃がさねえよ。お前はずっと……私といんの……」
「っ……」
最後にもう一度口付けを交わして、ジ・ヴラデスは部屋から出て行った。彼女が出て行くと、多少なりとマシにはなる。多少、だけど。
(……くそ)
何も出来ないまま、日に日に力が削られていっている。
何とかしないととは思うが、どうすれば何とかなるのか判らない。
「……ライラ……」
「……大、丈夫、です……」
僅かに顔を上げて、ライラは懸命に俺に微笑んで見せた。
「……ごめん、なさい。私が、もっと……強ければ……」
「ライラに力がないのは、俺のせいだ」
神命すら知らず、精霊王の証であるクリスタルも喚べなくて。
誓剣を作れさえすれば、もしかしたら。
(……何で覚えてないんだ)
必要な事なのに、俺が皓皇であるならば、どうして思い出す事も出来ないんだ。
思い出せないのは、やっぱり、俺が違うから、なのか――……




