第三十七話
「ルトラ程じゃねえよ。お前より二十年近く前にくたばったってのに、まだ再生しやがらねェ。……よっぽど酷くやられたのかね。結局、あいつも器見付けてやれなかったし」
「――っ!」
痛ましげに言ったネクスの言葉に、どく、と心臓が大きく脈打った。
「ハルト? どうした?」
「いや……。何でも、ねェ」
「つってもお前、顔色悪ィぞ」
……そうかもしれない。何か、体中が締め付けられて上手く血が巡っていない気がする。
(ルトラ……)
判る。それは闇の精霊皇の名前だ。俺の、対。
その名前にどうして、こんなに動揺しなくちゃならないんだ?
「ちょっと、大丈夫!?」
「テメェ等には関係ねェ! さっさと失せろ!」
カルタとアルタが心配して立ち上がったのを、近付かせないように威嚇しつつ、軽々とネクスは俺を肩に担ぎあげた。
「なッ!?」
「おい、ケルガム。宮まで案内しろ。そっちで休ませた方がいいだろ」
「は、はい!」
「ちょっ、待て降ろせ! 大丈夫だから!」
曰く米俵の担ぎ方だが、これは実際にやられると恥ずかしいものがある!
「煩ェ。アリスト、魔人二匹追い返したらお前も来い」
「承りました、奏皇陛下。んじゃお嬢さん、こっから一番近い町まで案内してくんね? お茶でも一杯どう? 奢るよ? あ、大丈夫。奏皇様と違って俺世馴れしてっから。ちゃんとレトラスの通貨持ってるよ」
「アリスト! テメェ、魔人相手に何しようってんだ! 殺すぞ!」
「だからお茶一杯。彼女達も森から出て行って俺もハッピー。奏皇様のお望みのままに」
「望んでねェよふざけんな!! テメェ、魔人なんか相手にして帰って来てみやがれ、叩っ切るぞ!」
「またまたー。俺がいなくなったら困るくせに」
自信があるのか、へらりと笑ったままのアリストの余裕の言葉に、ネクスはくく、と喉で凶悪な笑い方をした。
ちょ、妙に似合って怖いんだが。
「あァ、今ウチで誓剣になれんなァテメーだけだからな。ただ魔人に汚れた股のモンを切り落とすだけだ」
「えぇッ!? んな殺生な!! いっそ殺して下さいよ!」
「やらなきゃいいだけっつってんだろうが! いいな!」
「はいはい。あー、つまんねー」
「アリスト!」
「判ってますって!」
どうやら諦めたらしいアリストから、投げやりな返事が返って来る。
つ、疲れそうだな……。
俺は魔人に抵抗ないから気にしないけど、気にするネクスには疲れるんだろう。
リシュアさん達との付き合い方も、初めの事は気疲れしたもんだ――というのをちょっと思い出す。
流石に一ヶ月間ずっと一緒にいれば、そろそろ互いの間合いというのも判って来るから、今はそうでもない。
「つー訳で悪いけど、俺の象徴のために帰ってくんね?」
「貴方の象徴はどうでもいいけど、帰るわ。でも……」
微妙に酷い事を言われつつ、しかし帰ると言った以上、カルタ達は帰ってくれるだろう。まだ少し何か話しているが、駄々を捏ねるとかそういう感じじゃないのにほっとする。
三人の話声が遠くなっていくのを背景に、リシュアさんの先導のもと、俺達は宮へと帰って行った。
ネクスに担がれて帰って来て、『取り敢えず寝とけ』と話す間もなくベッドに放り出され放置されて、疲れているのは確かだったので大人しく俺も寝させてもらった。
ここは俺のホームだし、ネクスが増えた所で警戒する要因になどならないので、ぐっすり眠った。お陰で目覚めた時、久し振りに調子がいい、と思った。
(ん? ……笛……?)
起きて、最初に耳に届いたのは心地いい笛の二重奏だった。何という上品すぎる目ざめだ。
ごそごそとベッドの中から半身を起こすと、笛の音が片方やんだ。音源の方は見ると、ネクスと、まだ吹いているアリストの二人がそこにいた。
「よォ、お早うさん」
「……お早う……」
たった今まで吹いていたらしい横笛を手の中で弄いつつ、座っていたソファから立ち上がってネクスはベッドの方に腰掛け俺を見て。
「ま、昨日よりゃマシだな」
「別に体調悪かった訳じゃないからな?」
エレメントが枯渇していたから良くも判ったが、原因は判っていたし。
――そうじゃない方の気分の悪さは、何でか判らないが……。
「でも良くもねえだろ。こっち来てから俺も調子悪ィからな」
「……自覚はない」
ネクスは光のエレメントは壊滅的だ、と言った。
皓の森に近いせいか、俺は今までこれといった不調を感じた事はないが、もしかしたら本調子でもないのかもしれない。
――ただ、昨日のは本当に体調のせいではない、と、思う。
(ルトラ……)
そっと心の中で名を呼んでみるが、今度は大丈夫だった。
一体、俺は何にあんなに動揺したのか。
考えようとして、また何だか体の内側から悪寒が這いあがって来たような気がして、考えるのを止めた。
どうせ考えた所で判りそうもなかったし、何となく、怖かった。
(それに今は、他にも色々……やらなきゃいけない事もあるし)
「そうだ、アリスト。二人は?」
俺に問われて、アリストは笛から唇を離した。ないのが当たり前だったのに、目覚めの瞬間から聞いていたせいか音がなくなると少し寂しい。
「マトルトークに返しましたよ。ご心配なく、手も出してません」
「当り前だ」
「奏皇様の目が本気だったんで」
冗談だったら本気で出を出していたんだろうか……。
「……というか、本気でか? そんな気になるのか? 精霊でもないのに」
「え。俺女の子好きですよ、皆。可愛くて美人ならなお良し! 出会いは大切にしないとですよ、皓皇様。でないとうちの大将みたいに、えーと俺が生まれて八百年ぐらい? で、二人としか恋愛してないとか、そーゆー枯れた人生送っちゃいますよ。しかも今は本当誰もいないから、俺そろそろ腐ってんじゃねーのとかって本気でしんぱぶッ!」
途中で言葉がおかしくなったのは、ネクスがサイドテーブルの上の花瓶を、アリストの顔面に向かって投げつけたからだ。中身入り。クリティカルヒット。
「ペラペラ下らねー事にしか回らねー舌、本っ当何とかしろ、テメェは」
「口で言って下さいよー」
もっともなアリストの抗議に、ネクスは鼻を鳴らしただけで答えた。
しかし、すまん。判る。口で言うのが面倒だったんだ、多分。
……しかし容赦ないな、ネクス。これも気の置けない仲……って、事なのか? あまりそうは見えないが。
「さて。邪魔も入らなくなった所で、話の続きといくか」
「続きっつーと……」
何の話をしてたんだったか?
「これからどうするか、って話だ。俺がここに来たのは、お前を俺の所で保護するためだ。こんな貧弱な結界じゃ魔神相手にゃ通じねェ。テメー自身も微妙だしな」
「そう……だろうな」
魔人相手だって、少し魔の侵され度合いが進めばきつくなる。多分魔神の相手とかなんて、出来ないだろう。
会った事はないが、知っているネクスが言うんだ。聞いて、受け入れておいた方が無難だ。
「回復さえすりゃお前は戦力だ。まして死ぬならとにかく、囚われでもした日にゃあ本当、手ェ出せねェ。お手上げだ」
それは碧皇や閃王、境皇を助けようとして思い知った事なんだろう。
「だから、お前とルトラはもう絶対失えねェ。その為にお前はフツカセに置いて、アイルシェルの魔人達を一掃する――つもりだったんだが、頷かねェんだろうな」
「あぁ」
即答して頷いた俺に、ネクスは息を付いて後ろ頭を掻く。綺麗に縛られてたのに、結った髪がちょっと乱れた。
「お前はどうするつもりだったんだ。結構派手に動いてたみてェだが」
「知ってるのか」
少し驚いた。フツカセはミットフェェリンを挟んで、かなり遠い土地だったからだ。魔人の支配地域を経由して、情報を仕入れるのは難しかったのではと思ったのだが。
「マトルトーク行きがてら、魔人のお嬢さん二人にちょっと聞いてきたんですよ。知り合いだったみたいなんで」
疑問にはアリストが答えてくれた。
おっとりした印象の割に、結構抜け目ないな。
「光のエレメントが増えてきたんで迎えに来たんだが、ちっと遅かったみてェだな」
「それはむしろ良かった」
おかげで俺は、頷けないままネクスに従う事をしなくて済んだ。
何も知らない、何も見ていない段階でネクスに会っていたら……もしかしたら、黙って従ったかもしれない。
「俺にとっちゃ失敗だが、まァ、いい。で、ここからどうする」
「とりあえず、レトラス奪還に向かうつもりだ」
「はァ!?」
今までの会話の流れからすると、そうおかしいものでもなかったはずの俺の言葉に、ネクスは大袈裟に驚いて見せた。
いやしかし、間違ってはないはずだ。フィレナに――マトルトークにとって、母体はレトラスだ。ここが人の町として機能するかどうかは大きい。




