第三十二話
「余裕ね」
「油断するなよ。次は魔神だぞ」
「判ってるわよ」
釘を刺されて少しむっとした表情をして、しかしもっともだとは思ったのか、反論はせずにフィレナは頷く。
フィレナとカルタも二階に上がって来て、皆で迷わず一つの部屋の扉を開けた。
迷わなかった理由は、そこだけ扉が閉まっているからだ。
さっきの乱戦の中で、ほとんど全ての部屋が開け放たれ中から兵士が出てきたが、そこだけ騒ぎとは無縁だとでも言うように、扉が閉まったままだった。
中はやはり――主人の私室なのだろう、広く取られた間取りに、テーブルとソファが置かれ、一組の男女がティータイムに興じていた。二人とも三十少し手前ぐらいだろうか。
奥に続く扉も見えるから、その先はきっと寝室だろう。
本人達がここにいる以上、俺達にその先に用はないが。
「あらあら、嫌あね。侵入者の方が来ちゃったじゃない」
羽根飾りの付いた扇子で口元を隠しつつ、女の方が眉をひそめて俺達を一瞥して――『あら』と小さく機嫌を回復させた声を上げる。
「でも随分な美形ね。うふ。ねェ、旦那様。私、あれ欲しいわぁ」
「私の前で他の男を欲しがるなんて、大胆な女だね、君は」
しなだれかかった女の髪を梳き、芝居がかった仕草で手に絡めた女の髪に口付け、男も言葉とは裏腹に楽しそうな様子で答える。
もう片方の手は背から回して、開いたドレスの胸元に差し入れられ悪戯にうごめいている。
「あん、やだ、男じゃなくて、雄よ。奴隷だもの。愛してる男は貴方だ、け」
「やれやれ、仕方のない子だ」
言ってするりと胸元から手を抜き、優美な動作で立ち上がると男は軽く両手を広げた。
「と、いう事らしいが、どうだね。今すぐ剣を捨てて跪くなら、彼女がお前を飼ってくれるそうだ。ついでだから、そっちの女二人は私が面倒を見てやろう。気掛りになってもいけないからね、安心だろう」
心配しかないだろう。
「あん、貴方こそ、私の目の前で、他の女を誘うのね……」
「君が遊んでいる間、私が退屈してしまうじゃないか。どっちも好みではないからね、愛しているのは君だけだよ、リーチェ」
嘘寒いやり取りを交わし、俺達の目の前で二人は濃厚なキスを交わす。
「生憎、あんた等に飼われたくて来た訳じゃない。――それより、状況を見ろ。投降するのは、むしろそっちだろう」
「投降!? 投降だと!? 私が!? はっはっはっはっはっ!」
「あは、あっはははははっ。素敵よっ。ジョークまで言えるなんて、中々気が利いてるわ!」
俺が促した投稿は、笑って一蹴された。
俺も別に、本気で言った訳じゃないけどな。そうじゃなければこんな所で、彼等は優雅にティータイム何かしてるはずがない。
「判らないのかね? 判らないのだろうなあ、私のこの魔力が。外の状況? それが何だというのかね。この私が出て言って、腕を一振りでもすれば、それで下らん馬鹿騒ぎは終わる。有象無象など、物の数ではないのだよ、魔神たる私にとってはな!」
「あぁっ! 素敵! 素敵よ、ハーパー!」
手を組み、身をくねらせて言った女に次に浴びせられたのは、リシュアさんの冷笑だった。
【ふん。笑わせるな】
「……何?」
声だけではっきりと判る、嘲りの言葉にぴくりとハーパーは動きを止めた。
【貴様が、魔神か。まあ、良くいるのだ。己の周りだけで勘違いをする雑魚というものは】
「……何だと……?」
【魔神は……貴方程魔力、乏しくない……】
ライラの決定的な一言で、ハーパーの怒りは簡単に沸点に達した。
という事は、自覚、あったな。こいつ。
「ふざけるな! 誰の魔力が乏しいだと!?」
「魔神じゃないのか?」
【はい】
ハーパーではなく、リシュアさん達に問い掛けると、迷いのない肯定が返って来た。
【そもそも魔神とは、ただの称号です。魔力の強くなった魔神が、そう呼ばれるに過ぎません】
【自称も……多い、です】
自……。自称か。そうか。
確かに、周りの魔人と比べてハーパーとの差は大したものじゃない。確かな差はあるが、俺が数で覆せる、と思った程度だ。
それぐらいの差があれば魔神なのかな、と思っていたが、どうやら違うらしい。
でも、自称か。いるのか、自称魔神。しかも多いのか……。
「ちょっと、どういう事!?」
「煩い、ただの戯言だ! この私を侮辱しおって……。許さん!」
余裕ぶっていた顔を怒りか羞恥かで赤くして、ハーパーはテーブルを蹴ってどかし、障害物を取り除いた。
得物はソファに立てかけてあった刀剣。刃の薄くて軽めの、サーベル系だ。
そして当然のようにその剣は魔力を纏っていた。ハーパーが着ているのも、見た感じ防御力などなさそうな貴族の上等な礼服だが、各所に飾られている装飾品っぽい宝石のほとんどに、やはり魔力を感じる。
「ちょっと! 殺さないでよ!」
「黙れ、殺すぞ!」
リーチェと呼んだ、愛人だか正妻だか判らない女にも罵声を浴びせて、ハーパーは俺に向かって駆けて来る。
「ふっ!」
気合を込め、己の魔力を剣に通し呼応させ、強化する。
(魔力を使うのにも、慣れてるな)
どうやらレトラスでは、武術は貴族の嗜みだと見た。元々魔力の使い方も知っていたのかもしれない。 実際に戦い慣れてるのは――また別の話だと思うが。
「手ェ出さなくていい! もう片方頼む!」
後ろでキリ、と弓を引く音が僅かにして、後ろは振り返らずに俺はカルタとフィレナにそう言った。
まだ参戦する様子なく座っているが、女の方も魔人だ。
「死ね、精霊」
真っ直ぐ心臓を狙って突き出されたサーベルを横に避け、しかしすぐ様追って横に凪がれた刃はライラで受ける。が、力の受け流し方が上手い。弾けない。
腕力で対抗出来ない以上、まともに競り合うのは俺の方が危険なので、力の角度を変えて逃げる。そのままハーパーの側面へと回り込み。
「輝炎!」
「アイシス・フィフト!」
ばぎんっ。
「――ッ!!」
炎を宿し、すぐさま振るったリシュアさんの刃は引き戻された剣で受け止められた。その刃は両断したものの、逆に相手の魔力を込めた拳をまともに肩に叩き込まれた。
「くッ、ぅ」
「ハルト!」
「大丈夫だッ!」
援護に入ろうとしたフィレナとカルタを制して声を上げる。奥で女の方もゆらりと立ち上がったのが見えた。
「見た目よりは、頑丈な防具だな」
そう――、直撃を食らいはしたが、生身の方に致命的な損傷はない。皮膚の表面は凍ったし衝撃で肩の骨ごといってるけどな。
無事な左手で右肩を押さえ、治癒を施す。
「あぁ……っ。苦痛の表情も素敵よ……ッ! もっと……っ、もっと苛めたい……ッ!!」
「いくらでも見せてあるよ。君の望みのままにね」
「うふっ……。やっぱり、貴方が一番素敵よ、ハーパー」
「有難う、リーチェ」
女が立ち上がって、手に二振り携えて持ってきた一本をハーパーに渡し、二本目の剣を鞘から引き抜くのと、俺が治癒を終えたのは同時。
「じゃあ私も……頑張っちゃおうかしら」
「無理はしなくていいんだよ」
「無理なんかしないわ。でも、その精霊見てたらぁ……。何か、私、キちゃった……。すっごい、斬り刻みたいの……ッ!」
はあ、と息を荒くして、リーチェは自分用だったらしい、ハーパーに渡した物よりもはるかに巨大な剣を収めた鞘を、愛おしげに撫で擦る。
「仕方ないな。どちらかぐらいは、原形を残しておいてくれよ」
「うふっ……。無理かも……」
毒々しい笑みを浮かべ、戦うに適しているとはとても思えないドレスの裾を器用に翻し、リーチェは苦労して鞘から剣を引き抜いた。
肉厚の刃は斬るというより、もう殴って潰す用途に近いだろう。技術よりも力技で、一撃を重視した結果だと思われる。
「コレで潰すとね、ぐちゃっ、って良い音がするの……。二人共、若くて可愛くて、嬉しいわぁ……。綺麗な物を壊す時って、最っ高ーよ……」
(なんつー悪趣味な……)
断言できる。こいつ等に捕えられるぐらいなら、死んだ方がマシだ。どっちにしろ、最後に待つのは苦痛を散々に味わった後での死だろう。
「……フィレナ」
あれで斬られたら、人間の体は耐えられない。再生させられるかどうか自信もない。
相手にさせたくはないが、ハーパーを片手間に相手取るのは……多分、無理だ。
「勝たなくていい。……頼めるか」




