第二十話
本来港町であり、他大陸――特に首都レトラスに最も近い港として、カプレスの門は大きく開かれている。
この世界における魔物とは、魔に堕ちたヒト科以外の生物を指す。それ以外の種としての害獣は、俺達精霊にとっては魔物ではないが、人にとっては魔物と同列視されたりもする。
つまり、害敵となる獣が元々この世界には存在する。
故に城門や城壁、もう少し規模が小さくても柵ぐらいはあるのが普通だ。小さい町が柵で済ませてしまうのは、まあ被害がその程度で済む事が多かったって事だ。
人にとって害獣とはいえ、分類的には普通に動物。縄張りさえ守っていれば、早々接触は起こらない。
しかし魔が濃くなり、比例して魔物が増え始めている現在では、そうもいかない。魔物は好戦的に人を襲ってくる。
そんな訳でどこも防衛には力を入れていて、そこそこの規模の町でも外壁を作る町が多いらしい。小さい所はやっぱり手が回らなくて柵だったり、町そのものを棄ててしまった所もあるそうだが。
そんな時世にも拘らず、門が開け放たれているこのカプレスの様子は、中々に珍しいものだった。
多分その理由は町の人のほとんどが魔人だがら、魔物が襲って来ても問題ないから、って事なんだろうけどな。
「人出も多いな……」
薄いベールの紗越しに町を眺めて、思わず呟く。
他人の愛玩精霊であっても、俺の顔を見られたら欲しがる者も出るだろうという事で、余計な面倒を少しでも減らすため、前回同様俺は顔を隠している。
ただ顔と体全体を覆う厚いフードとコートは、愛玩精霊として相応しくないだろうという事で、頭から被った黒のベールに変更だ。
幸いその人出と広さから、特に見咎められる事もなく、町の中へと入る事が出来た。
「くらくら、します……」
マトルトークよりは確実に魔人も多いし、気配も濃い。俺も少し頭痛がする。
「どう? 見れば判るんでしょ? あんた達は」
町の地理が判らないので、取り敢えず門から真っ直ぐに延びる大通りを歩きつつ、フィレナはそう聞いて来る。
「どうってか、擦れ違う人は皆魔人だな」
「えっ」
「逆に、そうでなければ危なくて出歩けないのでしょうね……。あぁ、ほら」
「――っ!」
すいとリシュアさんが何気ない様子で示した先に目をやって、そこに転がっていたものを確認すると、フィレナは息を飲んで後ずさり、俺の服の裾を握り締めた。
若い男女の遺体が、平然と打ち捨てられている。
共に全裸で、隠す物なく生前か――もしくは死後か、暴行の後を晒している。奪られる物はすべて奪われた、無残な死に様。
そしてその傍らでは、少女が二人、平然と笑って話している。
異常で、恐ろしい光景だ。
だがこれが、魔人が支配する世界の姿だという事だ。
「……こんなの……おかしいわ……」
「おかしいさ。魔ってのはそういうものだからな」
「何とか、なるの? これが……?」
「だから、殲滅した方が早いと言っているのです」
魔に侵された人は諦めて、切り捨て、正常な人だけを掬い取ればいいのだと、そう冷ややかにリシュアさんは言い切った。
「……その方が……幸せかも、しれないわ。こんな……」
震えながらフィレナが呟いた言葉の意味は、判る。
正気に返った時、自分が罪を犯していれば嘆くだろう。嘆くだけでは足りない人もいるだろう。正常な思考では耐えられない様な事を、魔は簡単に犯させる。
蒼白になったフィレナの呟きには――俺も迷う。
もしかすれば、本来そうするべきではないかという思いがあるから、余計だ。
「けどな、フィレナ。多くの人はまだそこまで深く犯されちゃない。実際にああして手を下してるのは――そうだな、十数人ってとこか」
町の中心部、おそらく富裕層の暮らす辺りが一番魔の気配が濃い。
これは富裕層の人間が魔に堕ちやすいという訳ではなく、強力な魔人になった者に住む場所を奪われた、って感じだろう。
「そう、なの? でもあのままなんて……」
「放置しろと言われてる可能性が高いな。魔人なら、抵抗はあっても逆らおうとまでする人は少ないだろう」
「……どうしてそう言えるの?」
「彼等はちゃんと目を閉じていただろ」
「え。……あ、う、うん。多分……?」
自信なさ気にフィレナは頷く。思い返そうとして、しかし拒絶感が強くて適わなかった様子が見て取れる。
「それが出来る最大の事だったんだ、多分な」
「――……」
「それに横にいた子達二人、周りを気にしてた。後ろ、向いてみろ」
「え。――あっ」
言われて素直に振り向いたフィレナは、はっとした声を上げる。
「遺体……無いわ」
「弔ってくれるよ」
「……うん」
しかしそれは、隠れながらでなければ弔う事すら許されないと、証明されてしまった事でもある。
(かなり性格悪いぞ。今のカプレスの支配者は……)
目を付けられないようにしよう。どの道、あの辺りの魔人がカプレスを離れる事はないだろうから、調査の上でも必要ない。
後気になる所といえば――
(あの辺かな)
この大通りから少し外れた、港の近くに建っている壊れた大きな建物。遠目からだし半壊してるから判りずらいが、神殿っぱい雰囲気だ。
そこを中心に、どうも魔の気配が薄いようなのだ。
「なぁ、あの壊れた建物、何だ?」
「え、さあ。何だろ。私が子供の頃に来た時にはもう壊れてたわよ。壊れ具合、進んだ感じはするけど、でも元々あんな感じ」
「そんなに長く半壊状態で放置してんのか!」
ちょっとびっくりした。
大きさもあるし目立つから町の景観的にも良くないのに、放置って。実は財政難だったのか、単にケチったのか、もしくは何か理由があるのか。
「あそこら辺ってスラム街なのよ。だから手を出せなかったんじゃない?」
「……うー……ん」
(スラム街か……)
つまりあれだろ、貧困層が暮らす地域って事だよな?
となると、むしろこの町の中で一番荒んでていいだろうし、荒んだ心には魔は取り付きやすい。と、思うんだが…今一番魔が薄いって、どういう事だ?
「行ってみるか」
「行くの!? 危ないわよ!?」
「多分、この町の中では一番危なくないぞ」
「……何かそれ、変」
俺もそう思う。だから行ってみるんだけどな。
そのまま大通りの様子を眺めつつ、俺達はスラムへと続く路地へ向かう。
大通りの様子は、まあ、ぱっと見は普通に賑わっているバザーのようだった。
魔人になった所で基本的には元の種族と変わらないので、腹も減れば睡眠も必要だ。どちらも魔に近付く程必要なくなっていくという特徴があるが。
しかしこの町の大多数を占める魔人ぐらいの侵されようなら、まだまだ人と変わらない分だけ必要だろう。
だから、こうして町として成り立っていた所では、必要物資の流通は変わらず行われる事が多いのだ。
ただし、ルールはあって無いものになる。
強い者が全てを決め、弱い者は従わざるを得ない、そんな社会。
どこの社会もそうだろうと言われりゃそうだが、トップに立つ奴が必ず暴君となれば、また話が違うだろう。
成り立たせてはならない世界だ、それは。
広い大通りからスラムへと入ると、道を一本隔てただけで一気に様子が変わる。
一度は舗装されたものの、とっくに朽ちてそのまま放置されっ放しの道。人の脂や埃の臭いが鼻を突き、お世辞にも快適とは言えない。
それでもやっぱり気分は楽だ。どういう事だ?
「……ねえ。本当に行くの……?」
魔やエレメントとは関係ないフィレナには、スラムはスラムの様相でしかない。王宮育ちの彼女には、そりゃあここは辛いだろう。
基本清潔な場所でしか生活して来なかった俺だって、十分辛い。嗅覚そろそろマヒしてくれないかなと、切に願う。
「気持ちは判るが、あの建物調べてみないと」
「うぅ……っ。判ったわよ……っ」
うっすら涙目になりつつ、フィレナは頷く。
「お風呂入りたい……っ」
「帰ったらな」
「軟弱な。それで良く、守るだ何だと威勢の良い事を……」
自分の役割を気にしているのか、文句を付けるものの、リシュアさんの声は小さい。聞かせるべきフィレナに届かないぐらい。
更に声が小さいだけでなく、フィレナに聞き取る余裕がないのも要因だろうが。
そんな感じで、周りへの注意が疎かになっているフィレナの下に、少女が一人、物陰から駆け寄って来た。
「あ、危な――」
いかどうかは、相手に敵意や殺意がないのでまだ判らないが、位置的に少女の突進を止めるのは無理だったので、警告の声を上げたが、遅かった。
「お姉ちゃん」
「ひぁああぁぁぁっ!」
完全に注意が余所に向いていたフィレナは、いきなり少女にコートを引っ張られ悲鳴を上げた。
奇妙な悲鳴に少女は一瞬びくっとしたが、手は離さない。
「なっ、なっ、な、何っ!? 何よ!!」
「お花買って」
逃がさないようにコートを掴んだまま、少女が左腕に掛けていたバスケットを差し出しそう言った。
少女の身形同様、使い古されたバスケットは既にあちこち籐が飛び出し、形も大分歪んでしまっている。辛うじて用は果たせているが。
「お花? 花って……それ?」
フィレナがそう確認したのも無理はない。バスケットの中身は花というより、くたびれた雑草だ。
職人が丹精込めて手入れして、美しく咲かせた花しか見た事のないだろうフィレナには、それはきっと花には見えなかったんだろう。
「そう。買って」
「要らないわよ」
言ってさっさと通り過ぎようとする。
対応としては正しいんだが、彼女が何故雑草のような花を売っているのかとか、知ったら多分、素通りできないんじゃないかな、と思う。
判ってて言わない自分に若干の罪悪感を感じつつ、しかし彼女に対して責任など持てない俺達が、そのまま通り過ぎようとすると。
「動くなあッ!」
「あっ」
一番御しやすいと見てだろう、やり取りをぼんやり見ていたライラを、今度は逆側の物陰からいきなり飛び出してきた男が捕えて、首に刃物を突き付けながらそう叫ぶ。




