第十九話
「――悪い。皓の森に帰るの、伸びそうだ」
言い難くて気は進まないんだが、言わなくてはならない。そして言うべき事は、早くに済ませてしまった方が良い。お互い覚悟しておくために。
「何かあったのですか?」
「あったと言うか、やる事になったと言うか」
「良、く判り、ません……?」
すまん、ライラ。あれで判る訳ない。俺が言い淀んでるだけなんだ。
「明後日、カプレスに行く事になった」
「カプレスに……ですか? それは、あの……。差し出がましいようですが、それならば尚、一度皓の森へお戻りになった方が宜しいかと」
そうだな、俺もそう思うよ。余裕があればな。
「……まあ、様子を見に行くだけだから、心配ない。町の中にも入るつもりだから、二人は皓の森に戻っててくれ」
「何を仰います。皓皇様が行かれるなら、私達も参ります」
「一緒……です」
そう言うと思ってたけど。いや、むしろ今までを考えて思わない理由がどこにもない。
ただ今回はフィレナも行く……って言うか、フィレナが行くのに付いて行く形だ。果たして皆で行って、大丈夫か……?
だ、大丈夫だとは思うぞ? リシュアさんは大人だし(大人でいいんだよな?)、ライラとケンカする程、フィレナも大人気なくないだろう。多分……多分!
ただ間違いなく、空気は悪い。
……良くないよなぁ……それは……。
「皓皇様?」
「――実は、フィレナと行く事になってて、だな」
「あの人間と、ですか?」
予想通り、く、とリシュアさんの眉が吊り上った。判ってたけど、後で言うよりもまだいいだろう。どうせ必ずバレる事だ。
「無理を押して行かれるのも、あの娘のせいですね。――やはりあの者は皓皇様にとって害悪です。関わらない方が宜しいかと存じます」
「無理って程じゃない。本当に無理なら行かないさ」
「でも……。少し、無理、です」
万全でないのは、事実だ。
「我等は精霊です。無理に人に合わせる事などありません」
「精霊か人かっていう前に、俺自身がそうしたいっていうだけだ。大局で見れば馬鹿な事なんだろうが」
俺だけじゃなくて、フィレナが行くって事もな。今は名前だけでも、あいつは確かに王女なんだから。
けどあいつが一刻も早くと思う気持ちは判る。早く取り戻して帰りたいんだろう。
特に、魔人である家族が人として許されざる行為をする前に。
もし取り戻した後、家族がどうなるか、どうするかは……多分まだ考えたく、ないだろうけど。
「それに、碧皇や閃皇の事もあるし、魔の勢力を早くに削ぐのは、俺達にとっても悪くない」
「それはそうですが……」
俺が一人で行くと決めたのなら、ここまで渋りはしないんだろうなと思う。彼女達の忠誠心は、忠誠ってか、もう狂信だから。
俺がフィレナに付いて行くってのが、精霊を人間の下に置くようで嫌なのかもしれない。
「大丈夫だ。別に身売りしようってんじゃないし、強要された訳でもない。どっちかと言えば、フィレナもバウゴ候も俺が行くのには反対してるんだしな」
「それでも……行かれるのですね」
「あぁ」
「……判りました」
少しだけ躊躇った後、やはりリシュアさんの決断は早かった。
「誰か他者の思惑が絡んでいるのであれば、排除するのみですが――。それが皓皇様の意志であるのなら、私達は従います」
「あぁ、間違いなく俺だけの遺志だ」
――……だから。
「ごめん、リシュアさん、ライラ」
「謝られる事など、何もありません」
「陛下は、私達の、王……ですから……」
(本当に、俺は彼女達の王足り得る事が出来るんだろうか)
彼女達の望む事など、何も出来てはいないのに――
馬の蹄が規則的に街道を蹴る。慣らして踏み固められただけの土の街道は、馬の蹄にも優しい事だろう。
ただしその足取りが重く感じるのは、果たして俺の気のせいなのか。
いや、動物は敏感だ。きっと気のせいではあるまい。馬上の人間達の、私語厳禁の張り紙でもなされているかのようなこの緊張状態は、きっと伝わっている。空気が重い。
(判ってたけど……っ。超重てェ……っ)
まだマトルトークを出て三十分経っていないが、早くも胃が痛い……気がするのは気のせいか。いや、気のせいにしておこう。思ってしまったら本当に痛みが加速する気がする。
何しろ、朝合流して四人になってからこちら、発生した会話は。
『……やっぱり来るんだ』
『当然だ』
『別にいいけど……』
の、三言だけだった。
ちなみに役所としては、フィレナがレトラスの豪商の娘で、俺がその愛玩精霊。リシュアさんとライラは俺とフィレナの世話役だ。
これに対しても、リシュアさんとライラは大層不満を表した。俺の世話役、を役割に追加しているのが妥協案だ。
お気に入りの愛玩精霊に世話役を付け、可愛がるのはそうおかしい事でもないそうなので問題ないのだが、愛玩精霊に世話役を付けながら主人にいないのは、やっぱりおかしい。
故に、フィレナの世話も役所として入れなくてはならない。
(役だから。役だから、頑張れ。リシュアさん)
苦手そうだけどな、物凄く。前回の事もあるし。
ただ幸いにして、今回は人間社会に囚われている設定なので、身分差が存在している。順番は勿論、フィレナ、俺、そしてリシュアさんとライラが同列。
なので『様』は付けても大丈夫だ。フィレナにも付けなきゃならないが。
「ねえ、ハルト」
「……ハルト?」
沈黙に耐えかねたか、俺に声を掛けて来たフィレナの呼び掛けに、俺より早く反応したのはリシュアさんだった。
「何よ。まさか、カプレスでも皓皇と呼べとか言うつもり?」
「……いいや」
フィレナに言われた言葉に、リシュアさんの表情が苦くなる。これは多分、フィレナに対してというより、マトルトークでの自分の思い出にだろう。
「ただ……。御名を一部とはいえ、人が口にするとは……」
「悪い。全然関係ない名前に反応できるか判らなかったんで」
更に、俺にはそれ程名前に対して拘りがないってのは……黙っておこう。俺以上に拘っているリシュアさんに言うのは、忍びない。
「で、何だ?」
「あ、うん。でもその前に――あんたさあ、私の何がそんな気に食わない訳?」
真ん中の俺を飛び越え、フィレナの視線は敵意を向けているリシュアさんへと向けられる。
味方同士のはずなのに直接対決か、とか思ってしまった。それぐらい殺伐としている。
……何かあっても、取り成せるよう努力はしよう。
「別に貴様だけではない。人間全てを嫌悪している」
「……いいわ」
さらりと言い放たれたリシュアさんの言葉に、ちょっと怯んだものの、すぐに表情を引き締めフィレナは頷いた。
「じゃあ、人間の何が嫌い?」
「……。何故そのような事を」
「無駄にピリピリしたって仕方ないでしょ。仕方ない所かやりずらくてかなわないでしょ。気に食わないって所が頷けるなら、とりあえず私がそれを直すわ」
「……」
言われてリシュアさんの秀麗な顔の中で、やはり形の良い眉が寄る。
種族間でずっと嫌い合ってた訳だから、いきなり何が気に食わないかと言われても困るだろう。
まして『フィレナの』何が気に食わないかと言われれば、人間である、という事以外に嫌な所が目に付く程接触がない。そりゃ改めて聞かれたら困るだろう。
けれどこれは、きっといい事だ。
(まさかフィレナがやってくれるとか思ってなかったが……)
「貴様は何より、皓皇様を危険に晒す」
ややあってリシュアさんから向けられた言葉に、フィレナは少しだけ困った沈黙を返して。
「……それは私が頼んでるんじゃないけど……まあ、いいわ。ハルトが私のためにカプレスに行くのは事実だものね。でも、流石にそれは直すとか直さないとかの話じゃないわね……」
そうだな、俺が勝手に来てるだけだから、そこはフィレナに責任はない。
……フィレナの存在そのもの、とか、怖い事は言わないで欲しい。言いそうだけど、言わないで欲しいです。
「じゃあ、約束はするわ。私がちゃんとハルトを守って見せるって」
「おい、俺が守られるのか?」
俺なら確実にフィレナに守られる方だろうが、皓皇である俺なら守る方に回れると思う、多分。
「当然でしょ」
当然なのか。
「……どうだか」
「人は……裏切り、ます。人にとって、そんなに、精霊……大切になんか、出来ないクセに……」
吐き捨てたリシュアさんと、疑いを前面に押し出したライラに、フィレナは逆らわずに頷いた。
「そうね。今までの関係を思えば、当然口約束で信じてはもらえないわよね」
「……」
「すぐに証明しろって言われても、無理ね。大体、危なくならない方が良いんだし。でしょ?」
「当然だ」
俺も是非、そこは切に願いたい。何もなく調査を遂行して帰れるのが一番だ。
「でもそれじゃ困るのよ。困るでしょ? お互い」
「……そうだな」
「だから、その点は置いといて、私を嫌う理由が出来てから嫌いなさいよ。いいわね?」
……良かったな、フィレナ。ファーストコンタクトの時にリシュアさん達がいなくて。普通に奴隷呼びしてくれたからな。あの時二人がいたら、もうアウトだったぞ。
と言っても、あれは本気でそう思ってたってより、両親を奪われた気がして憎くって、貶めたかったんだろうけど。
でなきゃ奴隷に、手の甲とはいえ口付け求めたりして来ないだろ。
けど人様に向けるには許されざる言葉だし、態度だし、扱いだ。やってしまったらアウトな事も、世の中結構あるからな。
それに全体的に人を下に見てる態度はやっぱりあんま、変わってないし。まあ、王女だから。王女だからな。
本人にそんなつもりはないんだ。それも判ってるけどな。
「……いいだろう」
「……お姉ちゃん……」
「耐えなさい、ライラ。皓皇様の為です。――それに」
全く変わらない冷ややかな瞳で、リシュアさんは真っ直ぐにフィレナを射た。フィレナもそれを受け止める。
「裏切るようなら、すぐに殺せばよいのです。陛下はまだ混乱しておられる。人の汚さを思い出して頂くには、間近で観察するのもいいかもしれません」
「……っ……」
監察、とか、そんな風に言われた事なんかこれまで一度だってなかっただろう。フィレナは微かに鼻白む。だが、何も言わなかった。その代わりにちらとだけ、俺を見た。
気付いたんだろう。
リシュアさんが自分に向ける眼と態度で、自分が俺に向けた言葉の酷さを。
(ま、そーゆー事だ)
嬉しくないだろ、それ。
微笑して応じた俺に、少し泣きそうに瞳を潤ませてから、瞬きを数階して水分を飛ばし、リシュアさんへと目を戻す。
「存分に見るが良いわ。私は絶対に裏切らない。このレトラスの血脈と、フィレナ・レク・レトラスの誇りにかけて」
「その言葉に恥じぬよう、せいぜい務めるが良い」
言ってふい、とリシュアさんは正面を向いてしまった。関係改善とまではいかないが、多分これで話ぐらいはするようになってくれただろう。
頑張ったな、フィレナ……!
「それで――ね、ハルト」
「あ、あぁ」
そうだ、元々話掛けられてたの俺だったっけ。
「いくら役回り上だって言っても、信じて貰えなきゃいけないんだから。――いつもは要らないけど! ひ、必要があれば、しなさいよね」
「何を」
「な、何をって……。い、色々よっ。色――っ、々はっ、しなくていいけど! 色々ッ!」
真っ赤になってフィレナは喚く。ろくに言葉になってないが、何を言いたいのかは判った。
「いいのか、お前」
「何がよ」
「いや、まあ……。俺にその手の事されるの嫌じゃないか?」
言うだけでそこまで赤くなるような事をする事に、耐えられるのか?
「……嫌……じゃ……」
口の中で答えたが、微妙に聞き取れない。どっちだ。やるんだったら、そこははっきりしとかないといけない所だろう。手を握ったら殴られるとか、愛玩精霊として成立しないだろ、流石に。
観賞用なら触れなくてもアリだと思うし(奴隷に触られるのを嫌がる貴人はいるだろう)、俺は多分そっちで行くんだろうな、と思ったんだが。
「……むしろ、リシュアさんと役交代した方が無難かもしれないな。あ、ライラとかどーだ!」
これは名案ではないだろうか。
リシュアさんとフィレナだと、絵ヅラ的に本格的なソレになりそうで怖いが、ライラだったら若干緩和されるんじゃなかろうか。
幼く可愛い精霊を、人形の様に飾り立て溺愛する富豪の令嬢――……。
や、行けるんじゃないか、これ。設定的にも無理ないし、演技する方だって楽だろう!
「無理です!」
「嫌……っ、です……っ!」
「何よ、あんたそういう趣味なのっ!?」
キャスト三人から猛反対をくらった。駄目か。
「別に……っ。そんなっ、色々しろとか言ってないのよ! 雰囲気! 雰囲気を醸し出せって言ってるの! いいわね!」
果たして愛玩奴隷とご主人様な雰囲気とは、どのようなものか。倒錯的なのかSM的なのしか思いつかない俺は、極端なのか。
だって身近に存在する訳ない世界だからな、それ。知らない物を的確に思い浮かべるのは、そりゃ無理だろう。
元々言い出したの俺だけど、そんな真剣にフィレナが取り組もうとするとか思ってなかった。
「……ど、努力はする」
ので、その辺で勘弁してくれ。
「それでいいのよ」
一体何を想定しているのか、満足気にフィレナは頷く。そこまで自信たっぷりならフィレナに合わせれば大丈夫だろう、多分。
「盛るな。殺すぞ」
「さっ、盛ってないわよ! 失礼ね!」
……多分。




