第二十一話
やはり殺気はないし、大分刃毀れしている大振りのナイフを持った、ライラの首元に宛がっている手も震えている。
しかし人の形を取っているライラの首ぐらいなら、掻き切るぐらいは出来るだろう。震えているのが余計に危ない。
「……ごめん、なさい」
いざとなれば武器化すれば済むと思っているのだろう、捕えられたライラの方が緊張感がない。困ってはいるが。
「何すんのよ! その子を離しなさい!」
「煩え! こんな所に、そんな身形で入って来てんだ。ちっとぐれえ金落としていく覚悟ぐれえしてきてんだろうが!」
「する訳ないでしょ! さっさとその子放しなさいよ!」
「金を出せ! 有り金全部だ! ツレの命と引き換えなら安いもんだろ! どうせテメー等にゃ幾らでも湧きだして来るようなもんなんだろうが!」
男の台詞を一通り聞き終えて、リシュアさんはちら、と俺と――フィレナをついでの様に見て。
「宜しいですね?」
「いいんじゃないか。ただ」
「承知しております」
殺さないように、という忠告は、もうする必要はなかった。魔人ですらないしな、この男。
つかつか、と躊躇いなく男へ向けて前進するリシュアさんに、人質を取っている男の方が後ずさる。
土台、傷付けるなんて無理なんだろーな。始めからできそうになかったし。
盾にする事すら思い付かないらしい。傷付けないようにと、さり気にナイフも引いてしまったし。
「な、何だテメェ! お、大人しく――」
「馬鹿か。手間取らせるな」
そう広くもない道幅で、男が壁際まで追い詰められると、リシュアさんは無表情のまま男の顔を裏拳で殴った。ただし、ちゃんと素手の拳で。
「ぎゃっ」
「お姉ちゃん……」
「お兄ちゃん!」
男が悲鳴を上げ、仰け反った頭を強かに壁にぶつけると、手が緩んで解放されたライラはリシュアさんの元へ、逆に花を売っていた少女が男の元へと駆け寄った。
ってか、兄弟だったのか。
もしかして、花を買ってれば見逃されたのだろうか。今更遅いけど。
「……あのな、お兄さん。余計な事かもしれないが、ここでそういうのは止めた方がいいぞ。向かないし。こんな所に入り込むんだから、相手もそれなりの用意してるからな?」
まして今は魔人が多い。怪我じゃ済まない事もあるだろう。彼の弱気もすぐバレるだろうし。
「うぅ……っ。くそっ! 少しぐれえいいだろうが! こっちは今日食う物にだって困ってんだ! こんな所に観光来る余裕があんなら、ちっとぐれえ寄越しやがれ!」
「はぁ!? こんな所に観光に来る訳ないでしょ! 用があんのよ!」
「こんな所に、何の用があるってんだ!」
「あのほぼ壊れてる建物によ!」
言ってびしっ、とフィレナが建物を指差すと、さっと男の顔色が変わった。先程までよりも余程強い警戒を伺わせる。
「何……っ、だと! あそこをどうする気だ、テメェ!」
「きゃっ!」
若干軽くなったノリで話していた分、いきなり掴み掛って来た男に油断していたフィレナの反応は遅れた。身を竦めたフィレナの一歩前に出て、今度は俺が男の腕を捕えて止める。
「テメェ! 離せ!」
「暴れるの止めてくれたらな」
「煩え! 何なんだ、テメェ等は! 何しに来やがった!」
喚く男が収まる気配は全くない。ついでに、兄の窮地に立ち向かって突進しようとして来た少女が、リシュアさんに後ろ襟首を掴まれ確保され、更に火に油を注いだ。
この場合、不可抗力だと思うが。
「てめえッ! エイミィを離せ!」
「だから、落ち着いてくれたらな。別に何もしないって。本当に見に来ただけだ。何もする気はない。ただ、これだけ魔人の多い町で、ここだけ魔の気配が薄いのが気になったんだ」
「何でそんな事が気になるんだ。テメェ等、あれか? 中央の魔神共に、何か言われて来やがったのか!」
「違うわよ!」
(――魔神が気にしてる?)
男が放った台詞は、結構意外で、より興味が湧いた。
干渉する程に気にしているのに、自らではなく、人を使ってちょっかいを出して来ているという事は、つまり。
(自分じゃあ近付けないって事か?)
せいぜい魔人化していない人、もしくは軽度の人が逃げ込んでいるだけかと思ったが、どうやらもう少
し何かありそうだ。そして気掛かりも一つ増えた。
「魔神がいるのか、カプレスには」
今までと比べてはるかに来い魔の気配だから、いても不思議はない。だが、厄介だ。
(今の俺達で相手が出来るか……?)
「何、白々しい事言ってやがる! 綺麗な格好してる奴ァ、皆魔人に飼われてる奴だろうが!」
「私達が魔人なら、今頃あんた達生きてないわよ!」
今回は絶対に役割は守った方がいい。必然的に他書と話す事を許されるのは、フィレナが基本になる。
彼は俺達が精霊だと気が付いていないみたいだから大丈夫かもしれないが、念のためな。
ただフィレナは……悲しい程に、向かない。説得という交渉に。ライラやリシュアさん程とは言わないが。
平均のはずの俺が一番対人スキル高そうだってのは、調査隊としてどうなんだろう。今更だけど。
「ハルト様、無駄に時間を掛けるのも、騒がれるのも望ましくありません。黙らせましょう」
「いやいやいや、待て、リシュア」
確かにここで彼を伸して先へ進むのは簡単である。早くもある。
しかしどう見ても、彼はあの建物の現行関係者だ。関係険悪にして行くと、調べずらいぞ。
……中も制圧すればいい、とか、言いそうだが。
「ああっ! だから……っ、もう!」
「フィレナ」
「ひぁぁっ!」
一向に進まない話に癇癪を起こし、イライラし過ぎて顔の造形まで歪み始めたフィレナの肩に手を置き、耳元に顔を近付け囁くと、また奇妙な悲鳴を上げ、耳を押さえて飛びのいた。
……その、明らかに慣れてないです的な反応は、主人と愛玩奴隷として正しいのか? それとも俺が間違ってんのか?
いや、今はいいけどな、繕わなきゃいけない相手はどうもいないっぽいので。
「あっ、あ、あんたっ! 急に触るの止めてよ! 私の心臓止める気!?」
そこまでか。そりゃ悪かった。
「で、何よ」
あ、その言い方は主人っぽい。素だけど。
「彼に納得してもらうには、ある程度正直に話した方がいいかもしれない」
どうも彼は魔人とは関係ない――所か、一線隔しているみたいだし、大丈夫ではないかと思うんだが。
「ある程度って……」
「俺達がマトルトークから来ていて、この町の状況を調査しに来たという事をだ」
「……何……?」
フィレナに言った台詞ではあるけれど、そのまま男に対しての説明でもある。
やはり予想外の事だったのか、男はようやく、怒鳴る勢いを引っ込めてくれた。
「マトルトークの人間が、調べてどうしようってんだ。まさか戦争でもするつもりか?」
「可能なら、そうなるでしょうね」
「無理に決まってんだろ。魔人ってのは、ただ人が酷くなる訳じゃねェ。酷ェ事をしたって止められねェ力を持っちまう。だから魔人なんだ。人間がどうこう出来る訳ねえだろうが」
「ちょっと体が強くなって、魔力許容量が上がるだけよ」
「だから、それが……っ」
「それでも魔人はただの人よ。刃が届かないような相手じゃない」
戦力差など承知の上。それでも決して、倒せないのではないと、フィレナに言われて男は黙る。
フィレナの言葉は事実だが、男の言葉もまた事実だ。
人間がどうにかしようと思えば、自分達の多大な被害を覚悟しなくてはならなくなる。それが果たして出来る事かと言えば――無理だと言う人も、多いだろう。
どちらがマシか、を選んだ結果が、今のこの魔人支配の現状だ。
「でも無謀に挑もうって訳じゃないわ。戦り方を選ぶために、調べに来たのよ」
「戦り方ぐらいで、何とかなるのかよ」
「しないと世界が魔の物になるだけだ」
「……そんなの、もうとっくだろうが」
「違うわよ」
きっぱりと即座にフィレナは否定をした。
大勢が魔に染まってるなんて、誰だって判ってる。けど全てじゃない。それを拒む者がいる間は、全てじゃないんだ。
「ここだってそうじゃない。カプレスは誰が見たって魔の町よ。じゃあんたは、あんたの妹は、魔の物なの?」
「違う!」
認められない、と男は叫んだ。
「俺は、人間だ!」
「そうよ。全てが魔の物だなんて、認められないわ。そうでしょう」
「――……」
男の目が、リシュアさんが押さえたままの自分の妹を見る。俺も彼の腕を離し、リシュアさんの方へ首を向けて、彼女の解放を促す。
リシュアさんの手が離れると同時に、少女は兄の元へと駆け寄って、ぎゅうとその足にしがみつく。
「あそこには何があるんだ?」
「知らねえよ。あそこは俺達の家なんだ。見てくれはあんなだが、そこらの穴だらけの家よりゃよっぽど上等だぜ。今は、町の方から逃げて来た奴も、結構いる」
「それで近付けたくなかったのか」
いつ取り壊されてもおかしくない建物だからな。フィレナの要求が正に取り壊しだと思ったのかもしれない。
「力の強ェ奴が弱い奴を黙らせて扱使うのがまかり通っちまうご時世だ。魔人じゃねえ人間なんて、一番使いやすい労働力なのさ。――何でか知らねえが、ここには魔人は近付いて来ねえ。始めは臭いからとか汚ねえからかとか思ったが、どうもそうでもなさそうだ」
「最近、特に魔人が凄く来るの……。あそこを壊せば、お金くれるって。凄く沢山」
「ハッ。魔人がそこまでして壊してェ物を、金に代えて壊そうって奴ァいねえよ。大金もらったって、どうせ殴られて取られて終わりなんだ」
鼻で笑った男の言葉に、俺はすぐには頷けなかった。
彼の判断は正しいと思うが、全員がそう考えられると、絶対には言えない。
それに何より、ここは確かに魔の気配が薄いが、ある。これは浸食されてるって事じゃないんだろうか。
妹さんの話では、魔人が直接出向いてきたのは最近のようだし。
「そういう訳で、少し見せて欲しいんだが」
「何でそういう訳なんだよ。だから、何もねえって」
「人間じゃ判んない何かがあるかもしれないのよ。それが魔を寄せ付けないっていうなら、興味あるじゃない」
「人間じゃないって……精霊か?」
やはり魔術に対して何の心得もなく、見た目だけでの判断では確信を持ってばれる事はないらしい。
リシュアさんとライラで止まった男の目線に、わざわざ名乗る事もないだろうと、俺の事は黙っておく。
「何かが判っても盗ったり何だりをする気はない。ただ見たいだけなんだ」
「……。ここで俺が何言ってもやっても、あんた等は行っちまうんだろうな」
「そうね。必要だもの」
答えたフィレナ、俺とリシュアさんへと男は順繰りに見た。どうやら俺達が護衛役と思われたか。荒事に対して反応したの俺達だけだからな。
「どうせ止める事も出来ないんだ。だったら一緒に言ってやる。――だが、いいか、素人だからって舐めてんじゃねーぞ。家にゃそれなりの人数がいるんだ。中にゃ傭兵とかをやってた奴だっている!」
「ああ」
数の暴力は純粋に脅威だ。勿論彼等と争うような事をする気はないので、今夏は構える必要もなく頷けるが。
「じゃ、行きましょうか。案内しなさい」
……。そこで命令形が出てくるあたり、どうあっても王女様なんだな、フィレナ。




