第十六話
「あんた私の事、嫌いでしょう。邪魔だって思ってるんでしょ」
「思ってる」
何だ、それぐらいの自覚はあったのか。
「何で追って来るのよ」
「そこは嫌いだから、とかは関係ない所だぞ」
嫌いではあるが、死んでいいとか殺してやりたいとか思う程、憎い訳じゃない。
「折角ここまで逃げて来たんだろ。お前に生きてて欲しいと思う人がいたから、逃げて来たんだろ?」
(例えその人が、もういなくてもな)
「……いないわ」
「亡くなっててもだよ」
そんな事を言わせるなと、鈍さに少し呆れを含んだ気持ちでそう言うと。
「いないわ。勝手に抜け出して、勝手に逃げて来たの。――陥落したっていうのは、嘘よ。それならずっと前から落ちてたの。だって父様も母様も兄様も姉様も、ずっと前から魔人なんだもの」
「……っ」
国の形を維持したまま、落ちたのか。
しかしそれは――国の形としても、長くは持たないだろうな。
「この前ね、誕生日だったの。十五歳になったわ。プレゼントは父様と兄様」
「……?」
「判んない? 『女』の私に、『男』のプレゼント」
「――っ!」
流石に、判った。泣きそうな顔で微笑うフィレナに、何を言っていいか、判らない。
「未遂だったけどね。父様の愛奴だった精霊が、助けてくれたの。彼女は殺されたけど。お城にいるのが怖くなって、逃げたわ。マトルトークに逃げて来たのは、ただの偶然。どこでも同じだと思ってたから、たまたま密航出来た船がカプレス行きだっただけ」
「……」
「でも来てみたら……マトルトークは……普通だったの。レトラスよりずっと。私が子供の頃、頭を撫でてくれた父様と同じ親子がいたわ。私に優しく勉強を教えてくれた兄様と同じ兄妹がいた。二人で洋服を見立ててる姉妹がいた。家族揃って出掛けてる親子がいた」
「……フィレナ」
感情に体が耐える限界が来たんだろう、俺を見るフィレナの両の瞳から、ぱたぱたと涙が溢れて零れ落ちる。
それでも表情は微笑みを浮かべたまま。他の表情を作れないんだ。――何を想っていいのか、判らなくて。
「でも、もういいの。あんたの言う通り、私は何も出来ないもの。どうすればいいかも判らないもの……っ!」
「――……すまない」
「謝らないでよ。私、あんたが嫌いよ。嫌いな奴に腹立つ事言われたから、だから――ちょっと冷静になれたのよ」
一度だけ、ほんの少し抱いてしまった希望の儚さを諦める、冷静さ。
それをしたのが、俺か。
「謝んないでよ」
剣を持っていない左手で、フィレナは彼女の手首を掴んでいた俺の手の上に、更にそっと手を重ねた。
それでようやく、俺は彼女を掴んだままでいる手が震えていた事に気が付いた。
「だからね、帰るの。それだけ」
もうそこには、フィレナが求めるものは何もないけれど。それでも生きている事だけは本当で、彼女が求める唯一のものでもあるから。――……だから……?
「帰るな」
「良いのよ」
「良くないだろう! お前は国を、肉親を、そうして見捨てるのか!!」
「捨てられたのは、私よ!」
「違う!」
断言して否定した俺に、フィレナはようやく、怒りの表情を作った。泣きながら。
「違わないのよ! 私がっ、私が何されたかなんて――!」
「それでも違う! 魔道に捕えられた人は、もうその人本来の人格じゃない。魔に侵されていくのを望む人間は、決して多くない!」
「でもっ……!」
「お前が諦める事は、お前が、見捨てる事になるんだぞ!」
結果より先に、やる事を諦める事で本当の意味で見捨てる事になる。
「お前は王女だろう!」
「意味……っ、ないのよっ、王女なんて! 本当は、判ってるのよ!」
「名前に意味を持たせるのは、常に結果からだ」
今フィレナは、正しく名前と血筋だけの王女だろう。国そのものだって、きっと瓦解しているようなものだ。それでも。
「お前が、王女たりえるお前である事は出来る」
「――……」
「逃げるな、フィレナ・レク・レトラス。望みがあって、戦うつもりがあったんだろう!」
「――……何をすれば、いいの」
零れ落ちてた涙も止めて、怒りの表情も解けて、縋る瞳が俺を見詰める。
「何をすればいいのか、判らないの……」
「それを決めるために、知恵合わせてやってくんだろ。どんなに楽観的に見たって凄い劣勢なんだから」
「な、何よ、それ。偉そうに言って、それだけ!? あんた精霊王でしょ!?」
「所詮命ある一種族だからな」
もう大丈夫だろうと、フィレナから手を離して肩を竦める。
解放された手を軽く振って慣らすと、フィレナは細剣を鞘に納めた。
「戻るぞ、マトルトークに」
「……いいわ」
こくん、と頷いたたフィレナに俺も頷き、ずっと待たせていた馬の背に跨って手を伸ばす。
「ほら」
「要らない」
差し出した手はあっさり拒否して、ひらりと身軽に俺の後ろに飛び乗った。
くっ、可愛くない。
「ねえ。私が乗って来た子は?」
「怪我治して帰した」
「そっか」
背中でほっとした息をつく。捨てて行った事気にしてたんだな。
多分、さっきまではそんな余裕もなかったんだろうけど。
「掴まれよ、一応」
「うん」
掴まらなくても振り落とされないんじゃないかとは思ったが、一応そう促すと少し体を寄せて、素直に俺の腰に手を回した。
「私、あんたの顔嫌いよ」
「そうかよ」
珍しいんじゃないかとは思うが、好みは人それぞれだ。そういう人もいなくないだろう。
「――綺麗過ぎてあんたの事見られないから、嫌い」
「……は?」
「さ、戻るわよ! 私の帰る所はレトラスなの! のんびりなんてしてらんないわ!」
「もう無茶は止めろよ」
「しないけど、でも、判らなくなったら、止めてよ」
「いいけど」
出来る限りはな。
「うん。……お願い」
囁くようにそう言って――フィレナは少しだけ、俺の背に体重を預けて来た。
「皓皇様!」
町の外門を潜ると同時に、ほっとした様子で顔を上げ、リシュアさんとライラが駆け寄って来た。
「悪い、心配掛けたか。戻った」
急いでたから本当に何も言わずに行ったからな。バウゴ候とロアさんは知ってるから、二人も事情を知らないって事はないだろうけど。
「いいえ……っ。ご無事で戻られて、本当に良かった」
「お疲れ、でしょう……? 早く、戻りま、しょう」
「お、おい?」
急かすように俺の袖を引くライラに、少し戸惑う。一刻も早く、みたいなこの空気は何なんだ。こんな強引な事する子だったか?
「待て。フィレナも――」
「不要です」
きっぱりと強い調子で言い切って、リシュアさんは俺とフィレナを遮るように間に立つ。
ああ……。判ってしまった。ライラが引き離そうとしてるのも、俺とフィレナか。
「……何よ」
「皓皇様を危険にさらすな、人間」
「陛下は……っ、私達が、守る……! 付け込ませない、から……っ!」
「……っ」
二人から向けられた強い敵意に怯んで、フィレナは一歩後ずさる。
「落ち着け、勝手に行ったのは俺だ。フィレナに裏とか、そーいうのはないから」
「だとしても、皓皇様の御手を煩わせたのですから、害悪です」
「陛下、どうか……。気を、つけて……っ」
「悪かった」
流石にリシュアさんには出来ないが、ライラの頭を撫でつつ、謝る。
皓皇は光のエレメントの司だ。復活したばかりでまた消えたらとか、そりゃ眷族は不安だよな。
大袈裟だ、というのは甘く見過ぎだ。判ってる。
「では、参りましょう」
「待て。どうせ帰る所一緒なんだから、フィレナ、来い」
「――いいわよ、私――」
歓迎されない居心地の悪さは判るが、一人は駄目だ。決して胸張って言える程治安良くないからな、マトルトーク。
「来い、危ないから」
「……判ったわよ」
男に襲われるのは、フィレナにとってはトラウマだろう。俺に触れた事からして、そこまで重症ではないみたいだが。
だが暗い中を一人で歩くのが不安でないはずはなく、もう一度強く言うと大人しく付いてきた。
つーか、アレだ。リシュアさん達もだ。
「リシュアさん」
「はい」
「心配してくれたのは嬉しいが、ライラと二人で、しかも夜にとか出歩くのは止めてくれ。危ないぞ」
美人なんだから。その上、精霊なんだから。
「御心配には及びません。この町にいる程度の魔人に後れを取る事はありませんから」
「判ってるけど、危ないから」
切り抜けられるにしたって、そもそも襲われない方が良いだろ、お互いの為に。
「私共などより、皓皇様の方が余程危ないですので」
ぐっ。逆に責められたか。
「お気遣い頂き、有難うございます。――けれど、どうぞ何より御身の事をお考え下さいませ」
「お願い……します」
「気は付ける」
心配掛けるのも悪からな。
「両手に花で、良い御身分な訳ね、皓皇様は。どうっりで、女の裸にも動揺しない訳ね。宮に帰ればまた選り取り見取りなんでしょ。ふーん」
別にフィレナにどう思われていようと実質的な問題はないんだが、人格を冷やかに眺めるようなその眼は遠慮したい。
故に、誤解だ――と、俺が弁解するよりも早く。
「下衆な人間らしい発想だ。口を慎め。我等精霊には、愛はあれど、貴様等人間のように性欲で盛る事など無い」
「次、侮辱したら、許さない……ッ!」
「……っ」
ふいっ、とそっぽを向き、フィレナは無言で腕を組む。
あぁ……やっぱりな。良かったとも、本当に。
リシュアさん達には悪かったが、二人を連れていってたら話なんか絶対纏まってなかったさ。
相手は王女だから、これ以上関わり合う事はないだろう。バウゴ候とロアさんが面倒みてくれるだろうし。お互いの為にも近づかない方がいいと思う。
敵意全開のリシュアさん達に隠すものはもう何もないが、フィレナはどんどんボロ出しそうだから。
本人にその気なくても、相手の癇に障る事ぽろっ、と言っちゃいそうだから。
やはり人数の勝利か、特に問題なく城にまで帰る事が出来て一安心だ。こちらも城門のすぐ側で待っていたロアさんに出迎えられた。
……城門の内側なだけマシか、こっちは。うん。兵士の人もいるし。
「お帰りなさいませ、皓皇様。フィレナ王女、皆様」
「……ありがと」
少し申し訳なさそうに、小さく礼を言ったフィレナに嬉しそうにロアさんは微笑んだ。
「無事に戻ってこられて本当に良かった。馬だけが戻って来た時は、本当に……」
「あ、無事に戻ったのか。良かった」
癒して帰れと命じはしたものの、本当に帰れたかどうかは心配だったんだ。
「じゃあ、悪いがフィレナの事、頼む」
「はい、お休みなさいませ。お疲れ様でした」
ロアさんとフィレナに見送られ、リシュアさん達と共に部屋に戻る。
(まだ余裕はあるが……)
「大分消耗されていらっしゃいますね……」
「あぁ、仕方ない」
この場にはいないフィレナへ向け、再びリシュアさんの瞳に冷気が帯びたので、慌ててそう言って先は遮る。
「結界強化し終わったら、皓の森に一度戻ろう」
「はい。それが宜しいと思います」
俺の言葉にリシュアさんとライラはほっとした表情をした。
――……不安、なんだろうな。人に、魔人に囲まれているのは。
人に対しては拒否感も何もない俺ですら、魔人と、魔人に繋がる魔道の圧迫には気疲れするんだ。彼女達は余計だろう。
「苦労させて済まない」
「いいえ。皓皇様のお役に立つ事が、私達の全てですから」
……それが余計、申し訳ないんだけどな。




