第百六話
迷宮化したエインヘリアル城への避難はは、およそ二時間で済んだ。
エインヘリアルの総人口は三万人。内、魔人化を逃れたのは約半数の一万二千。……や、六千人差は『半数』に括るのはちょっと多かったか?
「ウィシュヌ、捜索中に魔王はいたか?」
「判らないわ。変な魔気が充満してて、気持ち悪い。それにウィシュヌはその魔王の顔を知らないわ」
俺達も知らない。
しかし『変な魔気』か。確かにそうかもな。
エインヘリアルは元々魔気が濃いから勿論俺達にとっては好ましい場所じゃないんだが、実はそれほど不快でもなかったんだ。プルオーネやミットフェリンに行った時のような、力が削られていく感じがなかった。
でも、今はある。これがウィシュヌの言う所の『変な魔気』状態なんだろう。
(もしかしたら、俺達は魔気に対する認識も改めなきゃならないのかもな)
「リシュア達は?」
「いいえ、見掛けませんでした」
「私も……です」
「そうか。ならやるだけやって一旦離脱したのかもな」
あいつは自分自身が戦うのはあんまり好きじゃないから、次来るのはこっちが疲弊して止めを差す時だろう。多分、どっかで見てはいるんだろうけど。
「……お兄様。これからどうしましょう」
一息ついてから、ウィシュヌは不安そうにそう聞いてきた。
地上部分を堅牢な作りにしてくれたおかげで当面の心配はない。しかし、いつまでも引きこもってもいられない。精霊と違って魔族には水や食料といった生きるための物資が必要だ。
「数字がまた性格悪いよな……」
一万八千対、一万二千。プラス、さっき俺が張った天上の光幕で正気を取り戻した人が端数。
戦い合ったら共倒れになって魔人側が少し残る感じだ。でも全滅よりは確実に何人かは逃げられるだろう。破れかぶれになったら思わず戦線を開く事を選択してしまいそうな数字だ。
「でもル・テウルソローゼの使う強制魔人化には一つ単純な欠点があるからな。体が先に魔人化するから、抵抗感を持ったまま飲み込まれない人が通常の魔人化より多くなる。そういう人は自分でいずれ魔気を祓えるから」
これは多分、ル・テウストローゼが人の善意を信じていないが故の欠点だ。……そして多分、あいつはそれを認めないだろう。
更に魔族は人間と比べて、より魔気を扱うのが上手い種族だ。少なくない人数戻って来ると俺は思ってる。
「でもそんなに長くは持たないわ。全員に食料を行き渡らせたら、持って二十日ね」
「……意外に少ないな」
「本当に使う時が来るなんて思ってなかったもの」
はあ、とウィシュヌは少し悔やむ様な溜め息をついた。
「皓皇様、戻ってこられればいいですが、確定ではありません。このままの戦力差で戦う事も有り得るかもしれませんが……」
「このままでは戦わない」
このままやったら被害がどっちも酷い。そういう人数で分けてるんだよ、あいつは。だから、少なくとも俺達はそれに乗っちゃならない。
「――ユーリィに助けを請おう。皓の森の戦力があれば覆せるはずだ」
「……」
「……」
俺の言葉に、しかしリシュアとライラは不安に表情を曇らせた。それはそうだろう。俺だって考えてない訳じゃない。
ル・テウストローゼの目的は、そっちじゃないのか、と。
何しろあいつは俺を憎悪してるからな。……当然だけど。
元々は自分の宮と眷族だから、滅多な事をしないはず――ってのは、あんまり期待しちゃいけない気がする。俺が見る限り確かにあいつは俺とユーリィ以外の精霊には手ェ出してないけど、大丈夫な空気も出してなかったし。ユーリィが無事に扱われてたかどうかだって判んねーし。
「――まあ、人に相談するだけなら悪くないよね。良い案が出るかもしれないし」
「ルトラ……」
「上手くネクス達と連絡取れれば、それこそ妙案が出て来るかも知れないしね?」
「そう、だな」
元々ユーリィには連絡取るつもりだったし、やっぱりそうするか。ネクスに連絡入れるのは微妙に嫌だが。
だって心配しそうだろう。自分も今面倒まっ最中なのに。
でもあそこのコンビが一番頭良いからな。相談するのに外せない。
「じゃあ、ユーリィに擬似精霊飛ばしとく。変化があったら知らせるから」
「判った。じゃあウィシュヌは皆の様子を見て来るから」
真っ先に動いたのはウィシュヌ。この『皆』の中にはきっと町の魔人達も入ってるだろう。
「僕は、悪いけど本当にちょっと休むよ。何かあったら起こしてくれ」
あまり表面上そうとは見せなかったが、言ってルトラも早々に立ち去る。今日一日、ルトラにとっては結構な無理をしたんだと思う。俺も起きたての頃は結構レッドゾーンから回復しないまま動いてたもんな。
闇のエレメント、今だってあの当時の光のエレメントより更に少ないし、ここアイルシェルだし。
「私達はどう致しましょう?」
「ウィシュヌの手助けをしたい所だが、ウィシュヌにはウィシュヌで手足になってくれる人がいるだろうから、余計だろうな」
なんと言ってもウィシュヌはちゃんと国として成り立ってる国の女王だから。
後、エインヘリアル城内にいた人はほとんど魔人化してないってのも良かった。城勤めの文官、武官が両方とも無事だ。
彼等は俺達同様城の地下迷宮に落とされていて、外で避難誘導している間にほぼ皆無事に上がって来たらしい。ただ、負傷者は若干名いる。ガーゴイルとかにやられた人が。
これもやっぱり、ル・テウストローゼが町の方に居たって事なんだろうな。
「そうですね」
「こうなってみると、城が無事で良かったよな。町より断然守りやすい」
「ええ……」
「……リシュア?」
また何か引っかかるのか、リシュアはどうにも歯切れが悪い。さっきの反省もある。ここはスルーしてはならない所だ。
「何か気になる事があるのか?」
「……あの。あの時、刻皇様はどこにいらっしゃったのか、と……」
「……ああ」
確かに、ウィシュヌと一緒に迷宮に落とされた時、ルトラは別行動だったな。何をしてたかなんて判らないが――
(ルトラはル・テウストローゼじゃない)
何故なら俺はルトラからは何も『簒奪』していないからだ。あいつは俺を簒奪者と呼んだから。
そして俺が皓皇を殺す前にすでに死んでいたルトラが、俺が『皓皇』を簒奪したと知っているはずがない。気付けるはずもない。誰も気付いていないんだから。
だから、皓皇の怒りを肩代わりしてとか、そういう線も無しだ。
そもそも――
「ルトラは精霊だろ」
ルトラから感じるのはエレメントだ。ル・テウストローゼみたいな魔力の塊、何も言われなくたって見れば判る。
「ええ。そう……ですね。申し訳ありません。愚かな事を申し上げました」
「そうでなくても、何かしたとも考えずらいぞ。もしルトラが外にいたんなら、城の中に戻って来れないだろ」
ウィシュヌが解除するまで出入りできない様にされてたんだから。
「まあ、便乗してエインヘリアル滅ぼそうとはしてるみたいだけどな」
「……はい」
でもそれも、ネクスだったら似たような事口にしそうな気はするし、特別怪しむ要因にまではならない。精霊が他種族嫌いなのはデフォルトで、ルトラは更に、顕著だから。
どうかとは思うけど。何とかなればいいとも思ってるけど。
(けどそれも、俺にそんな事考える資格があるのかどうか……)
「……それ、では、どうします、か……?」
「ユーリィに擬似精霊が届くまで、俺達も休憩かな」
「承知しました。では、そのように。共に居させて頂いてよろしいですか?」
「え、いや。隣ぐらいで良いんじゃないか?」
城の中は一応安全圏だし、隣にいれば十分だろう。可能なら女性と同質ってのは、やっぱりなあ。倫理的に。
「確かに城内の魔族達は魔人化を免れております。しかし、エインヘリアルが魔気に侵されているのは事実。いつ誰が魔人化したとしてもおかしくはないと思われます」
「ああ……。まあ、そうか」
きっかけはル・テウストローゼでも、もう放置されても魔人化しかねない魔気の濃さってのは、そうか。
「ですので、どうか私を側に置いて下さい」
行って俺を見るリシュアの目はとても真剣で、不安そうだった。
……心配性だな。あ、それは始めからか。
「判った。じゃあ、一緒にいよう」
「はい! ありがとうございます!」
リシュアやライラは絶対に俺の味方だから、一緒にいた方が心強いのは確かだ。
(けどこれからも、そう言っていいんだろうか)
俺が皓皇を奪った皓皇だと知ったら、どう思うだろう。
皓皇なのに違いはないからと、あっさり受け入れるだろうか。それとも内心嫌悪しながら仕えるんだろうか。
……それとも、皓皇を奪い返そうとして来るだろうか。
(……リシュアとライラになら、いいかもな)
彼女達に知られて、そして彼女達が俺を受け入れなかったら、もう俺が行くべき所はこの世界のどこにもないんだろう。
(だから、リシュア達の手でなら――)
諦められる気がするんだ。




