第百一話
「っ!?」
城全体を揺るがす振動と大気の震えた音に、全員息を飲んで辺りを見回す。
(何だ!?)
見るまに部屋の壁が、調度品までもが漆黒に塗り潰されていき、目に映る全てが黒一色になって行く。凹凸すらもう感じられない、完全な平坦世界だ。
「これは『迷宮』!? そんな、どうして――!?」
一体何が起こっているのか把握しているらしいウィシュヌへと問い正そうとするが、それよりも早くごんっ、と再び大きな音がして、いきなり目の前に壁が床からせり上がって視界を塞ぐ。
「な――っ!?」
壁はそこだけじゃない。前後左右、全てにいきなり出現した。音がまだ続いているという事は、俺だけが隔離された訳じゃなくて、皆バラバラにされてるっぽい!?
「皓皇様っ!」
だんっ、と向こう側でリシュアが壁を叩く音がする。その音も微かにしか聞こえない。かなりの厚みだ!
「リシュ――……っ」
取り敢えず大丈夫だ、と続けて言おうとして、しかし叶わなかった。いきなり襲ってきた浮遊感に息を飲んでしまったから。
真っ暗で右も左も上も下も判らないが、足元に何もないのだけは、嫌でも判ってしまった。
(これ、本当に落ちてるよな!?)
一体何がどうなっているか判らないが、かなりの距離を既に落ちてるのは間違いない。このまま落ちていって地面に激突したら、まずい事になるのだけは確実だ。
「輝闇反重翔!」
己にかかる重力を反発させ少しだけ打ち消して、落下速度を落として――ややあって底に着き、着地する。
「……何なんだ、一体」
ウィシュヌは何かは判ってたっぽいが、どうやら予定外ではあったみたいだ。
(とにかく、皆と合流しないと)
「リシュア! ライラ!」
一応、まず叫んで名前を呼んでみるが、答えはない。俺の声だけが暗闇の空間にこだまする。
(……まあ、そうだよな)
あのせり上がってきた壁は、どう考えても分断させるためっぽかったし。こうなると、リシュアがライラを武器化して持ってたのは幸いだったと言える。ライラ一人じゃ危ないからな。
「しかし、明かりがないのは困るな……」
落ち続けていた所からして、ここは地下だろう。もしかしたら城に入るために上った石段分落ちてきたのかもしれない。
こんな状況でエレメントを使い続けるのは嫌だが、ここはぎりぎりアイルシェル領でもあるし、見えないのは危なすぎるので明かりを作るか――と実行しようとした所で。
ご……っ。ごぅん、ごん……っ。
再び、大きく壁の動く音。周囲に何か変化が起こって、いきなり天井が落ちても再び床が抜けてもおかしくないので、警戒していると。
ぱっ、といきなり明かりが点いた。
「うっ……」
既に暗闇に慣れていた目には、ちょっといきなりで辛かったぞ。
手を翳して瞳に入る光量を抑えつつ、辺りを確認すると。
「……城だ」
見覚えは無いが、雰囲気がエインヘリアル城と全く同じだ。同じ城の別の場所、と言われればしっくりくるような作りだった。
「何だ、これ……」
まだ状況は掴めないが、取り合えず動けそうではあるので辺りを探ってみる事にする。
(落ちてきたんだから、上ってみるべきだよな)
皆大丈夫だろうか。
リシュアは多分、輝闇反重翔使えると思うけど、ウィシュヌはどんな力持ってるか判らないから。
それに――……
(ルトラはどこ行ったんだろう)
城の中にいるのか、町に出て行ったのかすらわからないんだよな。こんな事になるとか思ってなかったから。
赤い絨毯の敷かれたホールを抜け、扉を開くと次は廊下と、左右に扉。人の気配は全くないが、間違いなくエインヘリアル城だ。
「――リシュア、ライラ!」
声を大にしてもう一度叫んでみるが、返事はない。
(……仕方ない。とにかく片っ端から扉開けて行くか)
間隔を開けて声を上げつつ、少し面倒臭いが全ての扉を開いて中を確認。万一声を上げられない状態になってたら、スルーは目も当てられないからな。
扉の中は小部屋だったり続きの大部屋だったり、更に廊下が伸びてたりと様々だ。使うのに考慮されているとは思えないランダムっぷり。
(そう言えば、ウィシュヌが迷宮とか言ってたよな)
歩いてみてしっくりきた。確かにこれは使うための城じゃない。人を迷わせるための迷宮だろう。
(とにかく、誰でもいいから誰か見つけたい)
違う場所なのは判るんだが、無人の上雰囲気が全部同じだから、同じ所に閉じ込められている気分になる。
まるでループの中に迷い込んで、抜けられなくなってるような不吉な感じが――
(待て待て)
弱気になるな、と自分を叱咤し、足を止めて一回深呼吸。
……そうだ。いっそ破壊して上に登って脱出を試みるとか。いや、駄目だよな。人様の城だし、まだそこまで追い詰められてる状況じゃないし。……多分。
「あぁっ! ったく!」
不安を吐き出す代わりに、悪態を付いて再び進む。
無音の中、俺が歩く足音だけがこだまする。
「……」
既視感が、した。
苛立ちと不安と、そして胸を指す痛みを伴って――俺は『前』もこうして城の中を一人で歩いていた事がある。
そこはここと違って、暗闇の城だった。主が光を好まなかったから。
「――……あ、れ?」
急に視界がぼやけて、瞬きをすると頬に水滴が落ちた。
「……え?」
(俺か?)
いや、俺以外な訳はないんだけど。頬を手の甲で拭うと確かに濡れていた。
……泣いてたのか、俺。何で?
「……俺、は」
何で泣かなきゃならないんだ。
泣いたつもりもなかったのに勝手に出てきたのは、前が――そんなに悲しかった、のか?
「うっ」
ずく、と頭が痛んで手で押さえ、目を閉じたその瞬間に、一瞬だけ脳裏に映像が掠める。
きっと泣いた時の記憶なんだろう。床に仰向けになって倒れた遺体に、縋って、泣いて、た……
(!!)
視点は『俺』のもの。だからこそだろうか、よりはっきり相手の顔が視えてしまった。
視えた、と言うのか、これは思い出した、と言うのか。
(ル、ト、ラ……)
ルトラ、だった。間違いない。
俺が泣いて縋ってた遺体は、ルトラだった。リシュア達じゃない、普通の剣が血に濡れて床に転がっていた。
「――ッ!?」
(何だ、それ!?)
頭が痛い。吐き気がする。
だが、そんなことどうでもいい。
何で『俺』はルトラの血に濡れた剣を傍らに置いて、そこにいるんだ!?
まさか。
(前にルトラを殺したのは、俺なのか!?)
不可能じゃない。ルトラは皓皇の前に死んでいるんだ。
(待て。もしそうなら――)
精霊王を殺すような立場に『俺』がいたのなら。
俺は、ル・テウストローゼから何かを『簒奪』した。もしそれが『皓皇』なら、だから俺にクリスタルを使う資格がないのなら。
ジ・ヴラデスは相討ちでなく殺されたのだと言った。皓皇を殺した奴は、ずっと生きていると。
もし――俺が『皓皇』を簒奪した後に、皓皇本人に殺されているのだとしたら?
「……俺、は……」
ルトラと皓皇――レーヴェルハルトを殺した、魔人、か……!?
(そうだ……)
もし俺が皓皇でないのなら、ルトラや皓皇を殺すのにリシュア達を使わないのは当然だ。使えるはずがない。
六百年前皓皇が討った魔人は、俺じゃないのか? だとすれば死体なんか残るはずがない。
皓皇が、ル・テウストローゼなら、生きている。
「――……っ」
辻褄の合ってしまう想像に、愕然として思わず口を手で押さえる。でないと意味のない奇声を発して、崩れてしまいそうな気がして。
(待て……っ。おかしいだろ。いくら何でもそんなはずはない。それなら、女神が俺を皓皇として許して再生させる訳ないだろ!?)
本物を殺したにせ物に、なり代わりを許すはずがない。
けど――、けど、許してなくても、やらざるを得なかったのだとしたら、どうだ?
だから俺に記憶なんてものがないんじゃないのか。別人なら、ある訳がない。
そもそも――
「俺は、何なんだ……!?」
本当に『上貴瀬晴人』なんて人間が生きていた世界は存在するのか? 俺が上貴瀬晴人の人生を歩んできた証拠なんて何もない。記憶だけを証にするなら、その記憶にある体すら違うんだ。
憶えている事が正しいだなんて――何で俺は信じてた!?




