第百話
「じゃあ、部屋に行きましょう。ずっと待たせているから、きっとやきもきしてるわ」
「ああ」
若干ルトラから目を離すのは心配なんだが……。
まあ多分、大丈夫だろう。ここはルトラにとってアウェーっぽいし。何か不審な事をしたらすぐウィシュヌに通報されそうだ。そのウィシュヌも行動見張る、みたいな事言ってたし。
ウィシュヌに付いて部屋へと案内されながら、初めての道を必死に覚えていく。ここは皓の森や光の宮とは違う。後々覚えてきゃいいやとか言ってられない場所だからな。
「さあ、どうぞ」
ドアノブに手を掛けくるん、と俺を笑顔で振り向きつつ、ウィシュヌは扉を開けた。
そこは執務室や応接間といった城の施設ではなく、純粋にウィシュヌの私室っぽかった。淡いピンクとレースが基本の、可愛らしい部屋だ。
「じゃあ、邪魔するよ」
「リシュア、戻ったわよ! すぐにお茶を頂戴!」
「はい、ウィシュヌ様」
抑揚のない平坦な声で答え、リシュアは部屋の奥からワゴンを押して現れた。多分そっちにキッチンがあるんだな。
『メイド』とかいう単語があったから、ちょっと有り得るのかなとか思っていたんだが、出て来たリシュアはごくいつも通りの恰好だった。そこまでは要求されないらしい。
……いや、別にコスプレにそんな強い執着とかないけど、何だろう。……残念だったんだろうか、やっぱり。
しかし、見てない所でこうして食べる物を用意させてるんだから、そこの所は信用してる……んじゃないか? やっぱり。実際俺達にウィシュヌを害するつもりないけどな。
俺、ウィシュヌの順にカップを置き、一礼して去っていく。俺が先で大丈夫か、とかちょっと思ったが、気にした風もなくウィシュヌはもうカップに手をつけていた。
事実は客人で、設定上兄だからって事か。
「あぁ、おいしい……。何とかまともに淹れられるようになったわね。始めはどうなる事かと思ったけど」
眼を閉じ、一口味わって言ったウィシュヌは安堵の息を付く。
何しろ精霊には物を食べるという習慣がない。言われなくても想像付く。初めて入れたお茶の味など、押して知るべしだろう。
「さて――と」
カタン、とカップを皿に戻し、ウィシュヌは改めと俺と向き合う。
「それじゃあ、お兄様のお話を聞こうかしら」
「そうだな。俺は、ウィシュヌの考えを聞いておきたい」
俺が起きてからどう行動して来たか、おそらくウィシュヌは知っているんだろう。それを責めるつもりがあるかどうかも含めて、ウィシュヌの――魔族の立ち位置を聞いておきたい。
「ウィシュヌは今ぐらいがちょうどいいわ」
「成程」
エレメントよりも魔気が強く、自分達が優位に立てる世界情勢。
しかし自分達よりも強い魔人は困るから、これ以上はいらない、という意見か。
「でも本当は、どっちでもいいの。ウィシュヌは戦うのはあんまり好きじゃないわ。魔術は学問であればいいの。その方が面白いもの」
――ああ、そうか。
魔族は魔力を扱うのに長けた種族であると同時に、彼等は魔術そのものが好きだからこそ、長けて行ったのか。
「それにウィシュヌは、閃皇が心配。エレメントは感じるから死んではいないみたいだけど、死んでいないのが無事って事じゃないもの」
「……ああ。そうだな」
心配を本気でしてくれるなら、ウィシュヌは大丈夫か――とほっとしかけた所に。
「ウィシュヌを差し置いて閃皇を捕えるなんて有り得ないわ。閃王を苛めて、泣かせて、這いつくばらせて靴の裏を舐めさせていいのはウィシュヌだけなんだから」
「それは誰でも駄目だぞ!!」
全然安心出来なかった。特殊嗜好の子は特殊性癖の持ち主だった。まだ見ぬ閃皇にえも言われぬ親近感が湧く。
「大丈夫よ。お兄様にはしないから。お兄様はウィシュヌの宝石だもの。穢すような事出来ないわ」
恥じらう感じで頬を手の平で包みつつ、照れた笑顔を浮かべるウィシュヌは大変可愛らしいが、言ってる事が全く可愛くない。むしろ怖い。
「じゃあ、クートを助けるのには手を貸してくれるのか?」
「勿論よ。お兄様と一緒なら、ウィシュヌはいつでも手を貸すわ」
思いの外あっさりとウィシュヌは肯定的な返事を返して来た。しかし。
「でもウィシュヌは今、少し怒ってるの。判る?」
「……来るのが遅くなったからだな?」
エインヘリアルからも使者もなにも来なかったんだからお互い様だ――という理屈は、通じない。少なくともウィシュヌには通じない。そういう常識の通じる相手じゃないってのは、この短時間でも良く判った。
「そうよ」
答えたウィシュヌの魔眼がぬらり、と再びの魔力のぬめりを帯びる。
あれだけ忠告されたんだ。このまま物分かり良く終わるとか思ってなかったさ。
「『お兄様』はいつでも一番ウィシュヌを愛してくれてるの。今のお兄様はお兄様失格。お兄様失格のお兄様の話なんて、聞いてあげないわ」
「そう言われてもな。時間は巻き戻せないから」
「ウィシュヌだってそれぐらい判ってるわ。――だから、ねえ、お兄様……」
「っ!」
額の眼が準備期間を終えて何かをしようとしているのが判って、慌ててその眼を手の平で覆って隠そうとする――が、動かないっ。
(くっ……!?)
「謝って頂戴、お兄様。そしてこれから先の時間をウィシュヌのためだけに使うの。さあ、ウィシュヌに誓って。世界で一番ウィシュヌを大事にするって。そうしたら、ウィシュヌもウィシュヌと閃皇の次に、お兄様を大事にしてあげる」
「謝る……ぐらいなら、するけど、世界で一番は約束できないし、時間全部を使ってやるのは、もっと無理だ……っ」
指一本動かせないどころか、喋る事すら喉や舌、唇が痺れて辛い。でもまだ本気じゃない。これは、本気でやられたら眼だけで殺されるぞ……っ。
「どうしてそんな事言うの? お兄様は他に何が大事だというの?」
(大事、な……)
うっかり考えてしまったそれが、ウィシュヌの誘導だった時が付いたのは、考えてしまった直後。
「うっ!」
曖昧に思い浮かんで掠めた思考を、いきなり鷲掴みにされ引きずり出されるような不快感。動かせない視界の中で、ウィシュヌの魔眼が強く輝く。
「……ふふ。お兄様ったら、浮気者」
「!」
眼を細めてくすくすと笑ったウィシュヌに、俺は羞恥に顔が熱くなるのを感じた。
(視てる、のか……っ!)
判る。観られてるのが。無遠慮に心の中を暴かれてるのが。
――けど、どうすれば止めさせられるのかが判らない。逃げようにも、体が動かない。
「そんなにいっぱい大切な人がいたら、大変。ウィシュヌは一体何番目なの? そんなの駄目よ、お兄様」
かたん、と椅子を引いて立ち上がると、ウィシュヌは少しだけ身を屈めて俺の頬を両手で挟み、持ち上げ、しっかりと目を合わせる。
「な……に……っ」
(何を、する気だ……っ)
「お兄様のココロの中を、全部ウィシュヌにしてあげる」
「――ッ!!」
「うふふ。だぁい好きよ。お兄様……」
(ぁ……ッ)
目の前の風景すらぼやけ、思考が散り散りになりそうになるのを、焦って掻き集めて集中する。このままウィシュヌの眼に飲み込まれたら、二度と全てが帰って来ない気がする――!!
「天上の光幕!」
「っ!」
俺を囲むようにして張られた光属性の結界に、はっと意識がクリアになって戻ってくる。
「リシュア!」
「大事ありませんか、皓皇様」
すでに武器化したライラを持って、俺の側らに立ちリシュアはウィシュヌへと切っ先を突き付けていた。
「……何の真似? メイド風情が、主の邪魔をするなんて」
「私の主は皓皇様ただお一人。その主を害されて尚、貴様の児戯に付き合う理由は無い」
「――済まない、リシュア」
わざわざ我慢して付き合ってくれたのに、結局俺のせいで無駄にさせてしまった。
「いいえ。皓皇様に謝って頂く事など何もありません。私にとって、貴方の御意志を通す事こそが至上の喜び。どのような役目であろうと変わりません」
「っ」
振り返って微笑んだリシュアの瞳は、言葉程には硬さがなくて、柔らかかった。何だか見てはならない物を見た気がして、ぎくりとする。
「……お前の主はウィシュヌよ、リシュア。お兄様に親しげに声を掛けるのも、掛けられるのも許さないわ!」
「黙れ。私の主は皓皇様だ。私はその御心に従ったに過ぎない」
「そう、判ったわ。ウィシュヌに逆らうの。いいわ! ウィシュヌは元々、貴女が嫌い! 貴方は本物の死体にしてあげる!」
「ウィシュヌ、待て!」
「この女が済んだら、お兄様にもたっぷりお仕置きしてあげる! 今の精霊族なんて怖くないんだから! ウィシュヌの厚意を踏みにじった事、後悔しなさい!!」
ウィシュヌが叫び、リシュアが改めてライラを構え、俺が再び制止の声を上げようと口を開くと――
ごんっ!




