第6話 血の通った戦場、剥き出しの現実
「 八門金鎖の陣 」を敷いた曹仁の軍勢を前に、新野の軍は沸き立っていた。
軍師・単福(徐庶)の指示のもと、関羽・張飛の両翼が動き出す。
劉封もまた、予備兵力としてその後方に控えていた。
高衛は、劉封のすぐ後ろで馬に跨っていたが、その手は自分でも驚くほど震えていた。
( ……なんだ、これは )
頭では分かっている。
徐庶の策通りにいけば、この戦いは勝てる。歴史はそうなっている。
だが、目の前に展開される数万の兵がぶつかり合う地響き、空を埋め尽くす矢の音、そして風に乗って流れてくる強烈な生臭さ。
ディスプレイ越しに見ていた「 三国志 」とは、解像度が違いすぎる。
「 叔誠、顔色が悪いぞ。……まさか、怖気づいたか? 」
隣で劉封が声をかけてきた。
彼も緊張はしているようだが、元からこの時代の武士として育った男だ。
戦場を前にして、逆に血の気が引くどころか、瞳には闘志が宿っている。
「 ……申し訳ありません、若殿。少し、風に当てられたようです 」
「 ははっ、しっかりしろ! お前がいてくれないと、俺は誰に手柄を自慢すればいいんだ 」
劉封は快活に笑い、俺の肩を強く叩いた。
その手の温かさと重みで、ようやく俺の意識が地面に繋ぎ止められた。
やがて、陣太鼓の音が変わる。徐庶の合図だ。
「 敵陣、乱れたり! 劉封隊、突撃せよ! 」
「 おう! 遅れるなよ、叔誠! 」
劉封が馬を飛ばす。
俺も必死についていくが、もはや軍師がどうだとか、関羽との関係がどうだとか、そんな余裕は一ミリもなかった。
目の前に現れた曹操軍の兵士が、槍を突き出してくる。
( あ、死ぬ―― )
体が動かない。
SE時代の反射神経なんて、ここではゴミ同然だ。
だが、その槍を弾き飛ばしたのは、先頭を走る劉封の剣だった。
「 後ろが疎かだぞ、叔誠! 死にたくなければ俺の背中だけを見ていろ! 」
「 ……っ、は、はい! 」
俺は必死に剣を振り回し、迫りくる敵を追い払うのが精一杯だった。
手柄を立てさせるサポート? 根回し? そんなものは理想論だ。
今の俺は、ただ主君の背中を見失わないようにしがみついているだけの、無力な従者でしかなかった。
混乱の中で、ふと視界の端に、敵の伏兵が劉封の側面を突こうとしているのが見えた。
「 あ…… 」
声が出ない。
咄嗟に馬を寄せ、体当たり気味にその伏兵の進路を塞ぐ。
槍が俺の二の腕をかすめ、熱い衝撃が走った。
「 ぐっ……! 」
「 叔誠!? 」
劉封が振り返り、その伏兵を一刀のもとに斬り捨てる。
戦いは徐庶の策が完璧にはまり、曹仁軍は敗走を始めた。
初陣は、劉備軍の圧勝に終わった。
その日の夕刻。
二の腕に包帯を巻かれた俺は、宿営地の隅で座り込んでいた。
服は泥と血で汚れ、髪は乱れ、とても「 未来を知る賢者 」には見えない無様な姿だ。
「 ……すまなかった、叔誠。俺が調子に乗って突出しすぎたせいで、お前に怪我をさせた 」
劉封が申し訳なさそうに、水瓶を持ってやってきた。
俺は力なく首を振る。
「 ……いえ。若殿をお守りするのが、私の役目ですから 」
( ……情けないな。知識があっても、実行できるだけの『 強さ 』が伴っていない )
自分がいかに慢心していたかを痛感した。
この世界は、データで動いているんじゃない。
血の通った人間が、命を削り合って動いているんだ。
俺は、震えが止まらない自分の掌を見つめた。
優秀な軍師の真似事なんて、今の俺には到底無理だ。
まずは、この時代の空気を吸い、この時代の痛みを知ることから始めなければならない。
「 若殿……次からは、もう少しマシに動いてみせます 」
「 ああ、頼むぞ。お前がいないと、俺は戦場でも独りぼっちだ 」
少しだけ距離の縮まった主従の間に、新野の冷たい夜風が吹き抜けた。




