第5話 単福という男
新野の政庁へと続く道。
高衛(叔誠)は、主君・劉封の数歩後ろを歩いていた。
劉封は、劉備から授かった小規模な部隊の指揮を任されるようになり、その顔つきには若武者らしい精悍さが加わっている。
「 叔誠、聞いたか。父上が『 単福 』という流れの士を軍師として迎えられたそうだ 」
「 ……単福、ですか 」
高衛は短く応じながら、自前の三国志知識の中を検索する。
( 単福。偽名だ。本名は徐庶、字は元直。諸葛亮が登場する前に、劉備軍に初めて『 戦術 』という概念を持ち込む男…… )
これまでの劉備軍は、関羽や張飛といった「 個人の武勇 」に頼り切っていた。
しかし、この男の登場により、曹操軍の精鋭を軍略で翻弄する段階へと移行する。
「 関羽殿も張飛殿も、最初は疑っておられたようだが……父上はいたく心酔されている。一体どんな男なのか、興味があるな 」
劉封が期待を込めて語る。
一方、高衛は冷静だった。
徐庶は有能だが、母親を人質に取られ、曹操のもとへ去ってしまう悲劇の軍師だ。
政庁の広間に入ると、そこには劉備と、質素な服を纏った一人の男が地図を囲んでいた。
男は鋭い眼光を放ちながらも、どことなく憂いを帯びた風貌をしている。
「 父上、お呼びでしょうか 」
劉封の声に、男が顔を上げた。
「 おお、封よ。紹介しよう、我が軍の軍師、単福先生だ。先生、これが我が子の劉封です 」
徐庶の視線が、劉封を射抜く。
そして、その背後に控える高衛にも一瞬、留まった。
「 ……なるほど。気力溢れる若武者。劉使君が養子に迎えられたのも頷けますな 」
徐庶の声は静かだが、人の本質を見透かすような響きがあった。
劉封は一歩前に出て、深々と頭を下げる。
「 劉封にございます。先生の知謀、ぜひ我ら若輩者にもご教授願いたい 」
「 謙虚な心がけです。……しかし若殿、軍を動かすのは武勇だけではありません。風を読み、地を計り、何より『 人の理 』を知らねばなりませぬ 」
その時、高衛はわずかに目を伏せた。
徐庶の言う「 人の理 」とは、今の劉封にとって最も危うい部分だ。
義理の息子という立場がいかに不安定か。
( 徐庶なら、関羽殿ほど感情的にならずに劉封を見てくれるはずだ )
高衛は、あえてこの場で一言だけ、控えめに口を開いた。
「 単福先生。若殿は毎夜、兵法書を手に取られ、民の安寧を第一に考えておられます。至らぬ点は私ら従者が補いますゆえ、どうか厳しいご指導を 」
徐庶は、高衛をじっと見つめた。
「 ……従者にしては、随分と主の立場を理解しているようだ。高衛と言ったか。お前のような者が側にいるのは、劉封殿にとって幸運かもしれんな 」
徐庶の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
第一印象のデバッグは成功だ。
劉封は「 聞き分けの良い若武者 」として、徐庶の目に映った。
だが、安堵したのも束の間。
「 報告! 曹操軍の曹仁、数万の軍勢を率いて樊城へ進軍中! 」
伝令の叫びが広間に響き渡る。
ついに、劉備軍が初めて組織的な陣法で戦う「 八門金鎖の陣 」の戦いが幕を開けようとしていた。
( 来るか……。劉封にとっては、初めての本格的な大戦。俺にできるのは、彼が突出して関羽の不興を買わないよう、手綱を握ることだけだ )
高衛は木剣ではなく、今度は本物の剣の柄を握りしめた。




