第3話 新野入城、英雄たちの眼光
新野の街は、噂通りの喧騒に包まれていた。
劉表からこの地を預かった劉備軍が入城したことで、街のいたるところに「劉」の旗が翻っている。
「 叔誠、見ろ。あそこにあるのが、あの『関羽様』の部隊か。旗を見ただけで震えがくるな 」
馬上の寇封が、興奮を抑えきれない様子で周囲を見渡している。
その後ろで馬を引く俺――高衛は、極力気配を消し、周囲の兵たちの練度や配置を観察していた。
(……想像以上だな。兵の数は少ないが、一人一人の顔つきが違う。これが数多の修羅場を潜り抜けてきた、劉備軍の精鋭か)
前世の知識では、この時期の劉備軍はまだ軍師がおらず、戦術的には不安定なはずだ。
だが、立ち並ぶ兵たちの放つ威圧感は、平和な羅侯国で育った寇封や俺たちとは、根本的に「人としての格」が違っていた。
「 若殿。あまりキョロキョロとなさいますな。我々は挨拶に伺う側。田舎者だと思われては、主家(寇氏)の恥となります 」
「 分かっている、分かっているが……。なあ叔誠、あの方々に会えると思うと、どうしてもな 」
俺はあえて、淡々と釘を刺す。
「 劉備様は、人を見る目が恐ろしく鋭いお方です。背伸びをすれば、かえって器の小ささを見抜かれます。ただ真っ直ぐに、誠実な若武者として振る舞えばよろしいのです 」
(目立つのは劉封だけでいい。俺はただの、どこにでもいる従者Aとして扱われるのが一番動きやすい……)
屋敷に到着し、取次ぎを待つ間、俺は劉封の身なりを細かく整えた。
襟の乱れ、刀の角度、泥の跳ね返り。
やがて、重厚な扉が開く。
「 お入りください。豫州牧(劉備)がお待ちです 」
案内された広間には、独特の静謐な空気が流れていた。
正面に座るのは、耳が大きく、穏やかな笑みを浮かべた男。劉備玄徳。
その両脇には、一目でそれと分かる巨漢たちが立っていた。
一人は重厚な髭を蓄え、目を細めてこちらを射抜くような関羽。
もう一人は、野獣のような眼光を放つ張飛。
「 羅侯の末裔、寇封。叔父の寇覧に代わり、御挨拶に参じました 」
寇封が、俺が教えた通りに淀みなく、かつ謙虚に礼を尽くす。
劉備の瞳が、じっと寇封を見つめた。
その視線は、少年の素質だけでなく、その後ろに控える俺たち従者にまで及んでいる。
(……心臓に悪い。見透かされている気がするな)
俺は一歩下がった位置で、深く頭を垂れたまま動かない。
呼吸さえも、周囲の雑音に紛れ込ませる。
「 ……良い若武者だ。寇氏には、これほど気概のある若者がいたのだな 」
劉備の声は、柔らかく、それでいて心の奥底に響く不思議な重みがあった。
ふと、劉備の視線が、俺のところで一瞬止まった。
「 後ろの従者も、なかなかに落ち着いている。……お主、名は? 」
(……しまった。気配を消しすぎたのが、逆に関羽や劉備のようなプロには不自然に見えたか)
俺はあわてず、あくまで「主君に忠実な、少し賢しい程度の従者」を演じて顔を上げた。
「 高衛と申します。若殿の馬を引く、末端の者でございます 」
「 高衛と申すか。良い面構えだ 」
劉備はそれ以上は追及せず、再び寇封に視線を戻した。
関羽は相変わらず不機嫌そうに髭を撫で、張飛は「ちっ、まどろっこしい挨拶だ」とでも言いたげな顔をしている。
歴史の歯車が、ゆっくりと噛み合った。
ここからだ。
寇封が劉備に気に入られ、やがて養子の話が出る。
その過程で、俺は「目立たず、しかし劉封が失点をしないよう」に、裏で糸を引いていかなければならない。
「 寇封よ。しばらくこの新野に留まり、我が軍の調練を見学していくが良い。お前のような若者が必要なのだ 」
「 はっ! ありがたき幸せにございます! 」
感極まった顔の寇封。
俺は一礼して下がりながら、心の中でシステムエンジニアとしての最適解を走らせていた。
(まずは関羽との摩擦を避ける。そして、もうすぐ現れるはずの『伏龍』諸葛亮に、劉封を害のない存在だと認識させる……。先は長いな)
新野の風は、爽やかではあるが、どこか血の匂いが混じっている気がした。




