65 ラスト・オーダー/生きるための終着点
島に大きな地響きを起こしながら、クレーター状に深く陥没した地中。南西にできた穴の中に月明かりが差し込み、空間のような暗闇を照らしている。
「やっぱり、諦めていなかったんだな」
俺は暗闇の空間に着地し、眼前の存在を睨みつけた。
マナミと俺が戦いを起こせば、こいつが尻尾を見せるのは確実だったのだ。
「ユリシア……いや、魔女の争いを起こした世界の最悪――大魔女、ナトゥーラ」
握りしめた右手の甲に、不思議な紋様が強く浮かびあがり、光の帯を放っている。
「祖はユリシア。と言っても、其方には通じぬと見えた。いや、黒次」
目の前の存在は、暗闇に同化するように、影のようにぼんやりとしている。
輪郭の無い存在でありながら、確かに目の前にいると理解できる不可解な存在。
あの時、この影に出会った時点で気づいておくべきだったんだ。
俺は唯一、大魔女ユリシアを知っている。
ナトゥーラ。この名前を聞いて勘づかなかった時点で、俺の記憶には誤差が生じていたのだから。
気づけなかった愚かな自分を無下にしたい気分だ。そんな中、こいつを睨みつけても、笑みも、表情も、何もかも分かるわけがない。
「いつから、勘づいて?」
「それを言ったらお前、変えるだろ、また?」
この会話を理解できるのは、俺とナトゥーラ、筋肉くらいだろう。
「ペラペラ教えるほど、俺と筋肉は愚かじゃないんでな。一つ言えるとすれば、この輪廻こそ最後の終着点だ。お前に邪魔をさせない……もう、マナミを、離したくないからな」
俺はこの手で、マナミを何度も、幾度も、幾千も、守ることができなかった。
殺された、時間を奪われた、過去を消された、転生を拒まれた……そんな今までの不幸も、幸せも、一つに辿り着いている。
戦う。それ自体、戦うことは武を意味することなのか。
戦うことをやめる、ずっとその言葉の意味も考えてきた。
戦うことをやめたら、生き残るのはマナミ頼りだ。それじゃあ、今までの俺は何のために戦ってきたのか。
――答えは簡単だった。
「俺は、お前を、ナトゥーラを仕留める。この転生、俺にとっての輪廻の終着点が、お前の最後だ」
「祖を殺す? 倒す? 命を取る? 大魔女の前で戯言を。黒次はそもそも、間違いを犯した」
「間違い?」
「この島はマナミが創り、築き上げた場所。黒次はそれを、自らの手で破壊し、こうして祖の元に来てしまった。意味が分かるか?」
上を見上げれば、クレーターの中心に何百、何千とも取れるほどに深々と開いた大穴。
拳が大魔女のいる空間まで貫いた、それ以上の答えは必要だろうか。
答えはノーだ。必要なのは、今を欲しいと望む、未来を歩む覚悟だ。
「馬鹿を口走るな。そもそも、お前がこの後行う方が……何よりも、何よりも! マナミを傷つける行為だろうが」
感情を押し殺しているのに、吐き出した声が熱かった。
その時、空間が俺を取り囲み始めた。
ここでは初めて見るが、誘いだ、と俺は知っている。
こいつの常とう手段で、味方打ちを誘うやり口なのだから。
――やっぱり、こいつは変わらないな。何年、いや、輪廻の数だけ出会っても。
俺は本来、この先、今を見たことが無いと思っていた。
だけどそれは間違いの記憶だと気づいたのは、お風呂にマナミが入ってきた際、星を眺めた時だった。
実際のところ、メグちゃんと夢で接触した際に復元はされていたのかもしれないが。
俺は静かに指を鳴らした。
「なぜ、黒次が魔法を……っ!」
俺を取り囲む空間だけが、硝子のように割れた。
割れる空間の破片の先に映るナトゥーラに、俺は鋭い目を向ける。
「言ったはずだ、ここは終着点だ、と」
俺は先のマナミとの戦いで、全てが流れ込んだ。
マナミと築いてきた、全てを思い出して。
いつかの俺は魔法を使えた。
いつかの俺は筋肉を思うがままに使った。
いつかの俺は一人でマナミを守ると誓った。
今の俺は――俺というクロジであり、マナミ、エルリッシュ王、メグちゃんがついている。
一人だけだったら、ここまでたどり着けなかった、気づけなかった。
「悪魔は定めた契約をせず。メグちゃんが俺に託してくれた、魔法だ」
「そうか、メグと出会って――」
「それだけじゃない。さっき空間を割れたのは、エルリッシュ王の力だ。メグちゃんの魔法は間接的だけど、俺の体に魔法耐性をくれただけじゃなく、王の剣術を視覚上に出せる魔法も授けていたらしいな」
俺も驚きだったが、エルリッシュ王は話をする前から、未来の分岐でメグちゃんに賭けていたのだろう。
あの妹を持った兄だからこそ、理にかなった判断を取った感じだと思われるが。
「そういや、俺とマナミ、エルリッシュ王、メグちゃん。この四人が同じ時間、同じ軸で揃うことは今までなかったな」
「なぜ、なぜ、祖の邪魔をする」
暗闇から、幾重もの線が伸びた。
俺を貫いた直後、死体撃ちをするように何回も貫いた。
ふと吐き出した息は既に、再生を終えている。
「どうした? 随分と感情的だな。だらだらと感情を出すなよ、偽りの半身の存在で」
「いつ、どこで、その情報を」
「これは教えてやるよ。ユリシアがそもそも知っていた。それだけだ。ああ、強いて言えば……いや、どうせお前は自害して邪魔をしてきそうだから、俺が死んだら冥途の土産に持っててやるよ」
メグちゃんには正直救われている。
あの日、メグちゃんが俺の夢に干渉した際、魔女の母であるユリシアの記憶を持ってきたからこそ、俺の消えた記憶が復元できたようなものだ。
ユリシア自身、半身であるナトゥーラの存在を認識こそできるが、ナトゥーラの魔法はそれを上回る。
先程から俺に使う魔法、オーダー。
周囲の空間を己の私利私欲の形に変え、争いの種を作る魔法。
争いの種というよりかは、己以外の全てを受け入れない、唯我独尊を極と書いてドクズと読むに近いものだ。
そんなことよりも、俺は一つだけ確かめないといけないことがある。
「ナトゥーラ。お前、この時間で何をしようとした?」
握りしめた拳から、血が垂れた。
俺は痛みよりも先に、怒りが湧き上がっている。
答え次第では、すぐにでも――。
「最悪の素となる、フィニスの卵。チェンジ・オーダー、あれがユリシアの手じゃなく、お前の手に渡った時点で、あの場で変えたよな?」
「ほんと、どうして脳筋じゃなくなったのか。祖がフィニスの卵を取り込めば、空間は愚か、全てを支配できる。ただそれだけ」
「それだけ、のためにマナミを先に狙う気だろ?」
俺が許せないのは、こいつが真っ先にマナミを狙うことだ。
マナミはナトゥーラを認識していたが、敢えて『大魔女』と言って、隠していた。
それはあくまで、ユリシアが大魔女として母親でこそあるが、ナトゥーラも少なからずマナミに『■■■』の魔女名を与え、魔法を与えた一人だからだろう。
皮肉なことに、現在でナトゥーラを確実に消せる魔法を持つのは、マナミのみ。
「そう。……マナミは穢れてしまった。なら、石化、結晶化し、闇の中に葬ればいい」
「先の問答なら、その結果、俺を殺せるのもマナミのみ。だから、永遠に俺はこの時を彷徨って、二度と輪廻転生、マナミに出会うことがなくなる」
俺の筋肉はあくまで、俺の魂の生死によって決まる。
魂がいくら絶望しようと、穢れようと、俺という魂がそこにとどまれる限り、時間が上書きされることはない。
俺を殺せるのも、好きにできるのも、マナミの再現性の無い魔法のもつ破壊のみ、という皮肉な話だ。
最愛の者こそが本当の敵になりうる。
「なら、黒次は今ここから立ち去る。殺せない、祖のことを」
「……それは、どうかな」
「なっ、なぜ、なぜ、其方がそれを!」
俺はもう一度、拳を構えた。
俺の答え。それは既に、決まっていたんだ。
マナミとの今を、魔女に恋をしたい、その続きを求めたい。
構えた手の甲にはぼんやりとしていた紋様がくっきりと映り、双葉の葉だけを上下で合わせたシルエットが浮かび上がっている。
周りには彩るように、ひし形模様が十二個ほど円状に刻まれている。
俺の体には、今まで蓄積された全てが集約されているんだ。
メグちゃんの魔法によって、更に耐性を持った体へと集中しているから理解できる。
そして先刻の戦いの後、マナミは約束以上に、俺に託してくれた。
「お前、この世界に綴るまで様々な分岐線があったとしても、線上でブレない一か所を叩かれたら弱いよな?」
「試すか、祖を?」
「試す、試さないの話じゃないんだ!」
俺は記憶を頼りに、マナミから授けられた魔法を拳に籠め、ナトゥーラを貫いた。
魔法が直撃したナトゥーラは……消滅する、はずだった。
「なっ、どうして」
魔法はあろうことか届かず、影に呑み込まれていた。
「既にフィニスの卵は吸収済み。黒次、次の輪廻はない」
ナトゥーラが放った魔法は、まるで全てを呑み込む闇のような影。
――俺はまた、間違ったのか。
――俺はまた、繰り返すのか。
……いや、ここで終わりなのか。
マナミとの戦いの傷痕のせいにしたくないが、体は無理していたのだろう。
本来なら届くはずの魔法、それが届かなかった、仕留めるに至らなかった。
――諦めたく、ない。
眼前へと迫る影の波が、俺を呑み込もうとした時だった。
「……え?」
影の波はなかったかのように、眼前で消えたんだ。
その時、俺は揺らめく波を感じた。
ふと見上げれば、大穴を下降するように、ローブを着た存在が舞い降りてきていた。
黒髪ショートの右ワンサイドテール。
宝石のような黄緑色の瞳を、見間違えるはずがない。
「■■■、裏切るのか。な――」
「ごめんなさい、クロジ。私は、あなたを救いたいから」
「……マナミ」
刹那、全てが書き換えられていくように、変化を遂げた。
大魔女ナトゥーラは最後の最後まで足掻き、もがき、苦しむ声を上げたが、粒となって消えていたんだ。
全てが闇に包まれていた空間は、白い空間に変わっている。
先ほどまで頭上に空いていた大穴すら、無かったことになっている。
マナミは使ったんだ、俺も、ナトゥーラも認識できないほど正確に、再現性の無い魔法を。
目の前に降り立ったマナミを見て、俺は思わず笑みを浮かべたんだ。
「すまない、マナミ。少しだけ、休ませてくれないか」
俺は立つのが精一杯だったのか、足に力が入らない。
安心したせいか、力なく、前のめりになって倒れそうになった時だった。
「クロジ、気づけなくて、ごめんなさい。ゆっくり、休んで」
マナミは近づいてきて、抱きしめるように、ぎゅっと胸元に俺の顔をうずめさせてくれたんだ。
「……マナミ。マナミ、マナミ……マナミ……よかった、よかった」
俺は少し休みながらも、マナミの胸の中で泣いてしまった。
初めて、手が弱かった。
初めて、この手で愛する者の服を掴んだ。
そっと頭を撫でる小さな手が、より安らぎを覚えさせてくる。
怖かったわけでもないのに、涙が、声が止まることを知らない。
「お疲れ様、クロジ。……帰ろう、みんなの元に」




