62 筋肉として、魔女として、交差する立場があって
俺はお風呂に浸かりながら、ぼんやりと夜空を眺めていた。
――明日は、マナミとの……。
伸ばした手から、水滴が落ちていく。
お風呂のお湯に跳ねる水滴は、俺の心を刺激しているようで気恥ずかしさがある。
「クロジ」
「ま、マナミ!?」
水面が揺れて、近づく反響。
水音がゆっくりと、徐々に、鼓動を刺激してくる。
後ろを振り向くことをしないのは、俺が男としての意志ではない。
マナミをただ、大事にしたい、その想いがあるからだ。
マナミの事を一番に思っている。それは、筋肉を優先するのと同じほどに、俺にとってマナミはかけがえのない存在……マナミ以外は考えられないだけだ。
魔女に恋をしたい。その願い一つでここまでやってきたが、マナミ以外の魔女と深く関わったことは一度もないのだから。
「嫌、だった?」
「嫌じゃない。むしろ嬉しいというか、マナミは……いや、嬉しい。俺以外に、無防備な姿をさらすな――」
「クロジだけだから。それに、お風呂は、ここしかない。クロジ以外とは、入りたくない」
マナミが心を許してくれているのならいいが、少しは警戒心を持ってほしいものだ。
とはいえ、一瞬で魔法の光に包まれた時点で、いつでも覚悟はしておいた方がいいのだろう。
この場だと立場が逆な気もするが、魔女と筋肉ではここまで差があっても仕方がない。
思わず息を吐き出した時、背中にぺったりとくっつく、小さな手のひらの感触があった。
唐突なことに震えてしまったが、マナミが大胆なのは今に始まったことではない。
マナミは何かと大胆な時もあれば、慎重な時もあるほどに、マイペースの権化そのものなのだから。
「マナミ。今日はどうして一緒に?」
「……クロジ、明日のお祭り、緊張してるのかな、って」
「……よくわかるな」
「クロジは顔に出るから。それに、私も緊張してる。だから、一緒だったら、いいなって」
恥ずかしそうに言うマナミは、手を動かしたのだろう。
揺れる水面がマナミを中央にして広がり、体に伝えてきたのだ。
マナミも緊張している、と分かったのは気恥ずかしいものではある。
「そうだな。一緒だ」
「嬉しい」
「マナミ、素直な気持ちには正直だよな」
「そういうの、言わなくていいの」
くすくすと笑うマナミを中心にして緩やかに広がる水面の波紋は、彼女の気持ちを露わにしているのだろうか。
俺が望んだ、魔女に恋をしたい、そんな願いが叶っていたのなら……叶ってこそいるが、その先をついつい望んでしまう。
今までの記憶なら、俺はこの時点を知らない。そう、知らない筈だ。
大魔女であるナトゥーラと対峙し、必ずマナミによって俺の物語は涙に呑まれて終わる。
涙を流してくれる存在が、俺は辛かったのに。
誤魔化すように、空を見上げた時だった。
「っ、いてぇっ……」
「クロジ? 大丈夫? 具合、悪い?」
空を見た瞬間、記憶がかき混ぜられた気分だ。
筋肉のいたずらなら笑えるが、どこか違う感触に、何とも言えない。
「……大丈夫だ。少し、思い出しただけだ」
「クロジは、ずっと、ずっと、繰り返してた……」
「まあ、所謂輪廻転生みたいな状態ではあったな。筋肉の発作だ、気にするな」
「……隠しごとは、恋以上になるのなら、私はきっと消す」
マナミの言葉に、俺は振り向きたくなった。
それでも振り向かないのは、素肌を露わにしているマナミをタダで見るつもりがないからだ。タダで見ることはできないと、重々承知していても、だ。
直接素肌に触れていなければ、なんて言葉をマナミは以前言っていたが、きっと忘れているのだろう。
「そういや、マナミはどうして一緒に?」
「そうだった……!」
話題を逸らしたつもりだったが、マナミは本当に忘れていたようだ。
天然なのか、マイペースなのか、どっちもマナミらしくて微笑ましい。
後ろを見ていないのに、マナミが呼吸を整えていると知っている。
「クロジ」
「ああ」
「――明日の祭典、私はクロジに、今の私を全てぶつける。だから、クロジも本気で、来て」
「……それ、別に対面した時に言えば……そういうことか」
俺は理解した。
マナミはきっと、国の人が見ている中では、魔女として振舞うだろう。
だからこそ、今ここで宣言した。
魔女としての威厳を俺の前では捨てて、マナミはただ一人の女の子として、一人の個として、俺に言葉を贈っている。
「マナミ。俺の拳は負けない。だから、マナミも全力で来てくれ」
「クロジらしい。……でも、私は絶島の魔女。簡単に負けないし、負けるつもりで戦わない」
「まあ、殺し合いじゃないからな。ただ、俺はこの戦いに、想いを伝える気だ」
マナミは魔女だ。
俺が恋をしたい、魔女だ。
魔女だからこそ、俺は負けない。
たとえ戦いに負けたとしても、歩いた道に答えはあったし、この先も、さらに先も、俺はマナミと歩むと決めている。
負けないのは筋肉が残してくれた、俺の記憶に誓ってでも、全ての終着点にしたいからだ。
――筋肉よ。俺は、俺は、俺らしくいるか。
眺めた空。
その先に、置いてきてしまった俺は居るだろうか。
空の先、時間の先、空間の先、俺の拳は全てを貫いて届けられる。いや、届けなければいけない、穿たなければいけない想いがあるんだ。
「■■■としてじゃない。私は、マナミ。クロジにもらった名前に恥じない、クロジがずっと追い求め続けたいと思える、魔女」
「大丈夫だ。俺はマナミ以外に興味ないし、たとえその他の魔女が相手だろうと、俺はマナミ以外には負けないさ」
「そういうこと、サラッと言うの、変質者」
何度も聞いているはずなのに、変質者、なんて久しぶりに聞いたものだ。
――驚いた……。マナミ、本当にいたずら好きだ。
ふと気づけば、背に柔らかな感触を感じた。
正面に回されている、お湯に滴った白い腕。
小さな手が重なって抱きしめてくる。だからこそ、背に当たる餅のように膨らんだ柔らかい感触を覚えてしまう。
「……マナミ。嬉しいよ」
「変質者」
「そうかもな」
お互いに笑っている。
その鼓動が重なって、理解できた。
暫くしてマナミが先に上がろうとした時、俺は振り返らずに止めた。
「マナミ、お風呂から出た後――頼みたいことがあるんだ」
「クロジの頼みなら。私にできることなら、全て……」
背合わせで交わした約束。
どうして生き残るのか、どうして生きるのか。
俺とマナミは最初こそ持ち合わせているものは違った。だけど今は、お互いがお互いを尊重している。
交わした言葉は、水面に揺れる波紋として静かに交じり合っていた。




