48 恋した魔女の中で生きると決めた日
意識がぼんやりとしていた。
やけに体が軽く、まるで水面に浮かんでいるようだ。
この不思議な感覚を、俺は何度も体験しているし、知っている。
重い鉛で閉ざされているべき瞼を、こじ開けるように持ち上げた。
「……なんで、この記憶が……」
目の前の光景に、俺は膝から崩れ落ちそうになった。
視界に広がる光景――俺があの日、マナミに自分を殺すように頼んだ光景が広がっていたからだ
これが夢の中だと、俺は瞬時に判断できた。
判断できたところで、進み始めた夢を止めることはできない。
この夢はそもそも、筋肉が残してくれた記憶を辿れば、今の俺になる一つ前、進むための分かれ目だ。
この時の俺は、魂を蝕む毒と永遠に肉体を焼き続ける炎に耐え切れなかった。
夢の俺は苦しみながら、目の前にいる魔女――■■■、後のマナミに手を伸ばしたんだ。
「すまん。また、俺はお前を……壊すことになりそうだ……」
「黒次……ごめんなさい、ごめんなさい」
マナミは泣いていた。
大粒の涙をこぼして、泣き声を我慢して泣いていたんだ。
悲しい顔をするマナミを、今のマナミに見たいと思えない。それほどまでに、この記憶に触れるのだけを故意的に避けていたと言える。
避けていたところで、不自然な言葉、未来を知ったような口ぶりを自然としていた時点で予想はできていたが。
「最後に、頼みたいことがある」
夢の中の俺は、弱りきった指先でマナミの頬についた涙をぬぐいながら、声を振り絞っていた。
「勝手を言う。お前のあの力で、俺をお前の中で生きさせてくれ。ずっとそばで、生きたいんだ」
周りを見れば既に……大魔女の表裏一体と言えるナトゥーラが姿を消しているあたり、最後の慈悲を与えたのだろう。
弱弱しい手が、マナミの頬を落ちるようになぞっている。
「黒次。私の魔法は、あなたには毒。きっと、あなたが生きていた時間軸、その全てが輪廻として、最終地点としてここに繋がってしまう」
「終着点か、それもいいな。構わない。俺の時間を、生きる時間を、■■■に恋をしたい、その為だけに捧げさせてくれ」
俺はこの時から、マナミに恋をするのが確定していた。
魔女の用語で口から出されるマナミの本来の名前は、未だに溶けない氷に閉ざされているのに。
マナミは受け止めたのか、そっと、夢の中の俺を抱きしめていた。
震える手は、黒次を破壊したくない、その思いだけが見ている俺にすら伝わるほどだ。
「そうだ。筋肉がお前を忘れないように、■■■に俺が名前を付ける。それが、最後に残せるものだな」
振り絞った声でマナミの不安を拭おうとしているのか、この俺は本当におかしなことを口にしている。
「お前は魔女なのに、優しいし、俺が愛した美しさがある。何十回以上もだ。だから、そうだな……」
「黒次、少しずつ、魔法を流すから……消える前に、私の中で生き残り続ける前に、私の名前を決めて。きっと、次に会う黒次には、私が名前をつけるから」
「それは嬉しいな」
対価か、皮肉か、マナミは記憶を唯一残せない。
それなのに今の俺に……無意識とはいえ黒次を筋肉と称して、クロジを名前として口にしたのは、少なからず面影でもあったのだろう。
見ているだけでわかったが、夢の中の俺はマナミに魔法を使われていた。
徐々に、徐々に、ゆっくりと、俺の体を壊さないようにマナミは自分の方へと手繰り寄せているんだ。
同化とまではいかないが、マナミの中で生き続ける、この世界でマナミの支えになれるように。
もしかしたら、この経路が繋がっているのだとすれば、少なくとも俺の意志があの力の制御棒にでもなっていそうだ。
「……決めた」
「うん。どんなの?」
「俺の世界でなら、愛に、美しいの美と書いて、愛美。マナミだ。ああ、島を守って、民や王から愛される魔女にはいい名前だ」
「マナミ。ありがとう、嬉しい。私は、マナミ」
「ああ、マナミ……だ」
夢の俺は、随分と体力を使い果たしていたのだろう。
最後には目尻に水をためて、マナミに体を預けて目を閉じていた。
この光景は、以前の俺なら悪夢、まさしく悪魔が見せる夢だっただろう。
それを最後まで見ている、それほどまでに成長している。
「黒次? ……ありがとう。そして、さようなら。今度は、私が恋をしたい、そう思わせるほどに安心させて」
マナミの最後の言葉を聞いた直後だった。
白い光に包まれて、この空間、いや、世界そのものを魔法で覆い隠したんだ。
マナミのあの力……それはマナミにも制御できない魔法であり、破壊に等しい意味合いを持つ力。
きっとこの世界線は、マナミの中で俺が生きると決めた後、マナミの手によって……再起動された。
筋肉から聞いたことがあるが、マナミのあの力は時間軸に干渉するほどの力があるらしい。
卵から孵って肉体を持つまで……その卵と肉体の間にあった生きた時間を消して、現在の空間にその壊された時間を無くした状態として誕生させてしまう。
フィニスが卵に戻ったのも、卵から孵る前、その先のルートを壊すだけ壊し、卵へと帰してしまったからだ。
一歩間違えれば全てを破壊できる力を持つ。それほどまでにマナミの力はマナミ自身を悩ませるほどに強大で、感情の振れ幅によっては制御できなくなる魔法であり呪い。
俺は消えゆく世界をこの目で見ながら、改めてマナミの魔法を思い返していた。
そして、この後は夢から覚める、と考えていた時だ。
「クロジたま」
「……なんで、メグちゃんがここに?」
驚きを隠せなかった。
しかも、どこか大人びているような。
メグちゃん特有の幼さもあるにはあるが、明らかに纏わせる雰囲気が別の存在を意識させてくる。
直感的にはメグちゃんであると、理解できていた。
理解できていたとしても、夢の中で俺を認識できる、その時点でだいぶ異端だ。
ローブについたフードを被ってこそいるが、蒼い瞳は確かにメグちゃんであり、一日だけとはいえ印象に焼き付いている。
気づけば、メグちゃんは俺との距離を詰めていた。
まるで浮くように近づくものだから、俺は不意を取られた形となっている。
「夢の中で、クロジたまに会いに来ちゃった」
「いくら夢の中でも、普通は無理だろ?」
俺の問いに、メグちゃんは無邪気な笑みを浮かべながら口にした。
「恐れは悪魔へと変わる。メグ、魔女なの」
「話だけは聞かせてもらう。俺が目を覚ますには、どのみちメグちゃん次第なんだろ?」
「うん。話が早い早い」
幼子に怖さを覚えるのは、無邪気ゆえの言葉を持つからだ。
――夢の中、しかもメグちゃんの介入、流石に俺は知らないぞ?
覚めない夢の行く先にあるのは、悪夢なのか、正夢なのか、はたまた希望か。




